『雨あがれ』の一部。
どうも。
トド@暴走老人(要介護1)の見張り中です。
さて。
去る6月4日から14日まで開催された"Short Shorts Film Festival & Asia 2015" 。
当方は、東南アジアプログラム&シンポジウムと台湾・高雄映画祭プログラムを鑑賞しただけなのですが、一応ブログにアップしようと思いメモを取っておいたので、今回はそのメモを元にヘタレ感想文を執筆いたしますです。
あくまでメモですんで、念のため。
なお、原題及び監督のお名前はまた後ほど補充いたします。
あしからずご了承下さい。
・東南アジアプログラム
・東南アジアプログラム
『握りしめた石ころ』(2014年、カンボジア)
マカロニウェスタン風アクション(音楽までパクリ)。
ただし、武器はパチンコ。
あっという間に悪を退治、あっという間に去っていきます。
『雨あがれ』(2013年、インドネシア)
呪術師の教えに従い、長雨が止むためのおまじない(インドネシアに古くから伝わる風習との由)に精を出す少女。
しかし、そのおまじないはパンツを屋根に置く、というものでした……。
他人の家のパンツを盗み、自分のパンツまで脱いで屋根に投げていく少女、その願いの理由がなんともけなげ。
『父の手形』(2015年、ラオス)
古典舞踊の指導者である父と、それを古臭く思う息子との葛藤と和解を描く作品。
ラオス文化を守ることは国の礎を築くこと、という考えに、新たな道を歩みだしたばかりのこの国の息吹を感じます。
欧米文化の急速な流入により、それまで意識することがなかった自分たちの固有の文化について改めて考え、それを再構築していく、という作業は、かつての日本でも行われたことだとも思います。
ただ残念だったのは、父と息子の葛藤があまり深く掘り下げられていなかった点。
カンボジアの作品もそうでしたが、登場人物の内面描写があっさりし過ぎるきらいがあります。
『 マダム・タンの秘密の情熱』(2014年、シンガポール)
定年後の夫の目をごまかしつつ、作家活動に勤しむ老婦人の物語。
華人社会における女性の生き方について考えさせられます。
ちなみに、劇中の使用言語は北京語(ラジオ、カフェ)、広東語(女子トイレ)、福建語(女子トイレ&老婦人の自宅)。
一口に「中国語」といっても、いろいろあるんでござんすよ(←上映前に流れたシンガポールの説明映像に「主な使用言語:マレー語、中国語、タミル語」とあったもんで)。
『闘鶏』(2011年、東ティモール)
闘鶏を描いたドキュメンタリー。
男たちのものという闘鶏の現場に女性監督がカメラを持ち込むことには様々な困難があったことと思いますが(監督を招いた上映後のQ&Aでもその質問が)、「闘鶏は東ティモールの文化である」とのポリシーのもと、説得及び撮影をおこなったとのこと。
周知の通り、東ティモールは今世紀に入って独立した若い国ですが、ここでもラオス同様の状況(自分たち固有の文化を見直す)が見て取れます。
朝から晩まで闘鶏場に入り浸る男たちの姿を見ながら、女たちは同じこの時間をどのように過ごしているのかが気になりますた。
次はぜひ、女たちのドキュメンタリーを撮ってほしいものです。
『オフェリアのために』(2014年、フィリピン)
女の子がどうしても欲しかったお母さんは、息子に手作りのドレスを着せて女装をさせますが、息子はいやでいやで仕方なく、やがて……という、母子の葛藤物語。
監督自身の祖母と父がモデルとの由。
流産してしまった女の子の名前がオフェリアと名づけられたという件に、なぜか『ハムレット』のオフィーリア(川を流れていくところね)を思い出してしまったわたす。
(つづく)
ちなみに、劇中の使用言語は北京語(ラジオ、カフェ)、広東語(女子トイレ)、福建語(女子トイレ&老婦人の自宅)。
一口に「中国語」といっても、いろいろあるんでござんすよ(←上映前に流れたシンガポールの説明映像に「主な使用言語:マレー語、中国語、タミル語」とあったもんで)。
『闘鶏』(2011年、東ティモール)
闘鶏を描いたドキュメンタリー。
男たちのものという闘鶏の現場に女性監督がカメラを持ち込むことには様々な困難があったことと思いますが(監督を招いた上映後のQ&Aでもその質問が)、「闘鶏は東ティモールの文化である」とのポリシーのもと、説得及び撮影をおこなったとのこと。
周知の通り、東ティモールは今世紀に入って独立した若い国ですが、ここでもラオス同様の状況(自分たち固有の文化を見直す)が見て取れます。
朝から晩まで闘鶏場に入り浸る男たちの姿を見ながら、女たちは同じこの時間をどのように過ごしているのかが気になりますた。
次はぜひ、女たちのドキュメンタリーを撮ってほしいものです。
『オフェリアのために』(2014年、フィリピン)
女の子がどうしても欲しかったお母さんは、息子に手作りのドレスを着せて女装をさせますが、息子はいやでいやで仕方なく、やがて……という、母子の葛藤物語。
監督自身の祖母と父がモデルとの由。
流産してしまった女の子の名前がオフェリアと名づけられたという件に、なぜか『ハムレット』のオフィーリア(川を流れていくところね)を思い出してしまったわたす。
(つづく)
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