また食べたいなあ。
1963年、東映東京。小林恒夫監督。高倉健、三田佳子、江原真二郎、佐藤慶、他。
どうも。
トド@カレー食べ放題にいきたいです。
ついったーでもつぶやいてますたが、ここんとこ体調不良で不眠、胸焼け、吐き気、寝汗ぐっしょりといった不定愁訴バリバリの毎日を過ごしておりました。
どうにかこうにか、身体の調子も上向いてきたところです。
さて、本題に行く前にちょっと別の話題を。
今朝(10月11日)の『朝日新聞』に「悪たれと純粋さと 『車谷長吉全集』が完結」なる記事が掲載されていましたが、その中にこんな件がありました。
(全集は・せんきち注)小説、随筆、評論、〈私(わたくし)の全集が出る初雀(はつすずめ)〉という俳句など、ほぼ全著作を収める。見どころのひとつは、哀切な「車谷長吉恋文絵(こいぶみえ)」だ。
車谷さんは18歳のとき、東京の雑踏で女子高生に足を踏まれた。24歳でこの〈なをこちゃん〉に偶然再会し、恋いこがれる。思いを絶ち切るため、34歳のとき、ほぼ毎日、99通の絵手紙を送り続けた。2007年に兵庫県の文学館で車谷さんの文学展が開かれる際、学芸員が彼女を捜しだすと、71通残っていた。「奇跡だ」と車谷さんは思った。
〈さみしい〉〈誰にも言えない〉〈ね、お願い、こちら向いてよ。あんぽんたん〉〈だめだめきみにはあのひとに求愛する資格なんてないよ〉
水彩画に添えられたことばの中に、悪たれのイメージとはかけ離れた、優しく繊細で純粋な車谷さんがいる。
…でもさあ、
優しく繊細で純粋
って、車谷氏が作家として大成したからそう思えるんで、単なるフツーの一般男子だったら、
ノンコ、さみしいんだよ~ん!
の深畑さんと大差ないんじゃないかしらん。
といったところで、本題。
健さんが、昔気質というよりはアナクロにしか見えない侠客を演じたハンパ仁侠映画。
調べてみたら、『人生劇場 飛車角』はこの映画の直後の上映ですた。
本作のハンパ加減は、そういった制作時期の問題もあるのかも知れません。
しかし、いわゆる「仁侠路線」に本格的に舵を切る前の過渡期の作品として見た場合、ストーリーや人物設定の混沌状態も含め、それなりに考察の余地のある作品と言えなくもないかも…。
周りのやくざがみんな洋装なのに、健さん1人だけ着流し(なぜか殴り込みの時だけ洋装)でかなり浮いているのですが、役柄的には江原真二郎や佐藤慶の方が目立っていて、相当損をしている印象です。
背中に背負ってる入れ墨も、遠目にはピグモンにしか見えませんでしたし。
それに何より、健さんが密かに思いを寄せる亡き組長の娘(三田佳子)がどうにも煮え切らない女で、「ああ、三原葉子が組長の娘だったらよかったのに!」と歯噛みしながら観てしまいますた(「女王蜂」シリーズの観過ぎや)。
まあ、三原葉子だったら、自分で殴り込みをかけるでしょうけど。
それから、父親を健さんに殺された千葉ちゃんが健さんを常に付け狙っているのですが、どういう経緯で健さんが(千葉ちゃんの父親を)殺してしまったのかがよくわからないため、若干余計なサイドストーリーと思えたのも難点。
てなわけで、最後はとうとうキレた健さんが1人殴り込みをかけ、それを三田佳子が泣いて止めるというその後の仁侠映画ではお約束のパターンになるわけですけれど、佐藤慶(敵対する組の組長)もさることながら江原真二郎(健さんの弟分)もかなり汚いことをしているので(善悪の構図が明確でない)、「どっちもどっちだよな」というのが正直なところですた。
そういえば、筑波久子が葉子楣みたいな役どころ(バストロイドじゃないよ)で出ていましたが、演技よりも「やっぱり髪長いなあ、お手入れ大変だっただろうなあ」とか、「日活辞めてからずいぶん痩せたんだなあ」とか、全く関係のないところに興味が向いてしまいますた。
何観てるんだか。
付記:『暴力街』なるタイトルの映画は東映で計3本作られていて、これは2本目の作品に当たります(他は1955年と1974年)。
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