煽るだけ煽っておいて「信用ある日活映画」とは。ワロタ。
どうも。
トド@妄執まみれです。
さて、少し前に取り上げたネタの補遺の補遺。
ほとんどわたくし1人の勝手な興味だけでやってますけど。
えー、かつて香港の古新聞漁りを扱った記事で「なかった」と申し上げた筑波久子に関する記事ですが、先日「色情電影」というキーワードで記事をチェックしていたところ、彼女のことに触れた記事に遭遇いたしました(1958年5月7日付『香港工商日報』。よりによって、こんなキーワードでね。とほほ)。
タイトルは、
日本色情電影泛濫
日活の太陽族映画に端を発した肉感電影(セクシー映画、でいいのかな?)の氾濫について取り上げた記事ですが、新東宝の前田通子(なんだ、前田通子の記事も「ない」って書いちゃったけどあったじゃん)、日活の白木マリ、松竹の泉京子といったグラマー女優の名を列記した後、その中でももっとも誘惑的なのが『乳房と銃弾』の筑波久子である、と定義付けています。
が。
驚いたのはその後。
彼女のプロフィールについて、
筑波久子は元は浅草の三流劇場で踊っていたダンサーだったが、生まれついての肉体(的魅力)を駆使して『燃える肉体』『肉体の悪夢』『狂った関係』等の作品で大胆な演技を披露、最近主演した『乳房と銃弾』で更なる人気を獲得した(例によって抄訳&超訳)。
と、とんでもねえガセネタが書かれていますた。
どうやら香港のマスコミにかかっては、
慶應義塾大学法学部政治学科中退
という彼女の輝かしい(?)学歴もすっかりなかったことにされてしまったようです。
そういえば、前田通子が映画撮影のために台湾へ渡ったときも、彼の地の新聞には「前田通子は米久の娘」(正しくは泉京子)だの、「寝る時には何も身につけない」(すっぽんぽんで寝ていたのは三原葉子)だのと、同様のガセネタが躍っておりました。
インターネットなどなかった頃ののどかなお話、と言えなくもありませんが、まあ、ご本人にしてみれば失礼千万な話ですね、やっぱり。
(オチのないまま終了)
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