鬱陶しいお天気が続きますね。
昨日はシネマヴェーラ渋谷で『エロ将軍と二十一人の愛妾』を観てきました。
則文監督もお見えでした。
スクリーンで観るのは初めてだったのですが、いやあ、ほんとに・・・・。
帰りがけ、一緒に観に行った友人と香港ロジなる店に立ち寄り、料理などつまみながら話をしているうちに気分はもう居酒屋状態となって、最終的には料理は食わずに酒だけ飲んでました。
で、『エロ将軍~』のことに話を戻しますが、この時期になると既に腋毛の処理は当たり前になっていたらしく、皆さんきちんと剃り剃り(抜き抜き?)なさっていましたが、腕の産毛はそのままで、いったいいつから腕のムダ毛処理は始まったのだろう?という新たな謎に直面してしまいました。
ま、今でも腕に関してはナチュラル派(あるいは夏のみ派)の方がけっこういらっしゃいますので、そう古いことではないと思うのですけれど。
さて。
今日の本題も、毛に関する話題です。
1962年から63年にかけて、元新東宝の女優・前田通子が台湾へ招かれて映画に出演したという話は以前にも書きましたが(こちらとこちら)、1963年2月11日付『聯合報』には前田通子が出演した2本目の作品『秋風秋雨割心腸』の撮影ルポが掲載されています。
それによると、この映画は高雄医学院に通う男女学生の悲恋物語で、ヒロインは前田通子、お相手は易原(『カミカゼ野郎 真昼の決斗』にも出てました)で、最後はヒロインが愛河に身を投げて命を絶つ、という結末のようです。
記事には、10日午前、件の投身自殺の場面を撮影しようとしたものの、現場である愛河に見物人が殺到、そのために撮影が遅れ、午後3時になってようやく撮り始めることができた、と書かれており、なかなかのフィーバー(死語)ぶりだったことが伺えるのですが、この前田通子を巡る騒ぎを『聯合報』では、なぜか
腋毛旋風
と形容していました。
なにゆえに「腋毛旋風」なる用語が生まれたのか、これより前の紙面にもその謂れを記された記事が見当たらないため、肝心の由来が不明なままのですが、文章から読み取るとセクシーとか肉感的とかいうことを表すために腋毛を持ってきたことは間違いないようです。
ということは、当時の台湾では「女性の腋毛=セクシー」と看做されていた、ということになるのでしょうか。
かの地の腋毛事情に詳しい方、ご教示お待ちしております(ムダ毛研究家かよ)。
2 件のコメント:
せんきちサン、ご無沙汰してます。
「ご無沙汰」通り越してると思いますが、、、覚えていらっしゃいますでしょうか?
ナルです。
随分前(何年前でしょう・・・( ̄▽ ̄;))お世話になったモンです。
久し振りに覗いたら、日記からブログへ転向なさったようで。
相変わらずご研究を熱心に重ねてるようで、記事を拝見してせんきちサン、健在!っと納得しております。
又拝見させていただきまーす。
ナルさん
ひょえー!お久しぶりです。
また、お越し下さいまし。
ナルさん、そういえばナルさんのサイトの方はどうなりましたか?
よろしければ、URLお教え下さい。
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