〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕
どうも。
トド@今週はカレーを4回食べますたです。
未だ傷心の身ですけれど、ちょっとだけ更新。
『ピラニア 3D』(Piranha 3D)公開記念かどうかは知りませんが、チャンネルNECOで筑波久子(Chako van Leeuwen←あれ?1937年11月6日生まれつkじゃなかったの?)の特集をやっていたので、放映作品についてちいとばかしメモを。
『燃える肉体』
1957年、日活。小杉勇監督。筑波久子、水島道太郎、宍戸錠、他。
筑波久子版『現代ポルノ伝 先天性淫婦』(うそ)。
傍迷惑なフェロモン垂れ流し女・稲葉比沙子(筑波久子)の流転を描くドラマ。
『嵐を呼ぶ男』の併映作品だったからかどうかは知りませんが、この映画のヒロインも「嵐を呼ぶ女」です。
むかしの男(宍戸錠)から逃れるために信州から東京へやってきた孤児・比沙子は、御徒町で声をかけられた万引き集団の仲間と間違えられて錦糸町で逮捕されるものの、孤児院で世話になった陶芸家・島先生(水島道太郎)に引き取られて彼の許へ。しかし、ストーカーと化した男の執拗な追跡は続き、島先生の許も飛び出して渋谷で働き始めますが…。
錦糸町や渋谷等、出てくる街が(当時としては)チープなのが映画の内容にぴったり。
行く先々で男絡みのトラブルが絶えない筑波久子に妙な情けをかけてしまったラストの水島道太郎は(彼女を引き取ったその夜、速攻で迫られてました)、うっかり毒饅頭を食べちゃった人のように見えますた(まだヤッてはいないけど)。
この後兄弟が増えて大変だろうなあ。
男の暴力に耐えかねて東京へ逃げてきた比沙子ですけれど、どうやらエッチの相性は最高だったらしく、一度は押し寄せる快楽の波に身を任せそうになります。
しかし、男の部屋に他の女の下着が干してあるのを発見、激怒した比沙子は口論の末男を刺してしまいます…って、女の下着が無ければやりまくってた(お下劣)のかよー!
筑波久子がムチムチの肢体をくねらせて踊るダンスシーン(タイトルバックも)が、やっぱり見どころかしらん。
『海女の岩礁』
1958年、日活。森永健次郎監督。筑波久子、二谷英明、香月美奈子、他。
筑波久子版『カルメン故郷に帰る』(やっぱりうそ)。
海女の仕事がいやで東京へ逃げ出した(いつも逃げてるな)雅枝は、ヌードモデルやストリッパーといった職についた後故郷へ舞い戻り、再び海女として働き始めます。
例によってフェロモン垂れ流しの雅枝に、幼馴染のアキ(香月美奈子)の許婚・定男(二谷英明)もKO、2人は深い仲になります。
東京では女優をやっていたと言う雅枝ですが、村にかつてのヒモがやってきて彼女の前歴をばらし、さらには雅枝と定男の関係がアキの知るところとなり、思い余ったアキはある行動に出るのでした…。
(以下、ネタバレ)
東京で働いていればいいものを、なまじ帰ってきたばっかりに村中を混乱に陥れ、そのくせ自分だけは生き残るというすさまじいオチに、開いた口がふさがりませんでした。
許婚を雅枝に盗られたばかりか、彼女の犠牲になって死んでいくアキが浮かばれませんわ。
そうは言っても、当時としては大胆すぎる筑波久子の遊泳シーンを見ていると、正直ストーリーなどどうでもよくなるんですけれど。
「童顔と不釣合いなムチムチボディ」というのが、やっぱりツボですわね、奥さん。
『海底から来た女』
1959年、日活。蔵原惟繕監督。筑波久子、川地民夫、内田良平、他。
筑波久子版『JAWS』(これまたうそ)。
都知事様原作(『鱶女』)の映画化ですが、奔放な兄と真面目な弟、そこに絡む謎の女という設定はまんま『狂った果実』。
筑波久子はああいうキャラなのに、生臭くもなくましてや鮫肌でもありませんですた。
常に水に濡れたビキニスタイル。
ある種の異類婚譚と言えますが、『白蛇伝』みたいな展開にはなりません。
神経病みの作家を演じた内田良平と、「今日は楽しい鱶祭り」とばかりによってたかって筑波久子を退治にかかる漁師たちが不気味ですた。
それにしても、川地民夫は結局筑波久子とまぐわった(再びお下劣)のだろか(すごい気になる)。
でも、筑波久子の童顔とむっちり体型から連想できるのは、鮫は鮫でもジンベイザメだったりします。
人畜無害。
人間(漁師の長老除く)にはわからない筑波久子の正体がなぜか犬にはわかるらしく(獣同士だから?)、筑波久子を見ると犬が猛烈に吠え出すという描写がありましたが、でもねえ、猿じゃないんし(そういう問題じゃないよ)。
しかし、この3本の映画を観るかぎり、彼女が演じていた役柄って実際の彼女(資産家令嬢で慶応大学生)とはおよそかけ離れた役柄ばかりだったのね。
『からっ風野郎』の三島みたいだわ。
追記:彼女の自叙伝(「わが青春に悔あり」←彼女と姉・禎子の関係は、まるで谷崎松子と渡辺重子のそれのようですた)によれば、女優時代、恋人を突然の事故で失ってからは自暴自棄になり、映画を地で行くような荒んだ日々を送るようになったとのことです。
ところで、当時の日本の海女映画が香港や台湾でもけっこうな人気があったことは、拙ブログでも折に触れて取り上げてまいりました。
中でも泉京子は香港でプロモーションを行ったり、台湾で舞台に立ったりしていますし、前田通子は2本の台湾映画に出演しています。
しかし、筑波久子の海女映画は裕次郎やアキラ映画の影に隠れて、香港や台湾で上映されることはなかったようです。
もし上映されていれば、それなりに人気を得たであろうことは想像に難くないだけに、返す返すも残念であります。
もったいない!
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