2011年6月26日日曜日

青山灣の太白のことなど(改題しますた)

〔ちょっとお耳に〕

『お姐ちゃん罷り通る(香港三小姐)』(1959年、東宝・邵氏)より。
太白の店内。
向かって左からピンチ(中島そのみ)、
パンチ(団令子)、センチ(重山規子)。

どうも。
トド@画像アップロードに手間取りますたです。

前回の記事ではまたぞろ昔の香港のスライド特集をお届けしましたが、スライド収集をしていて気付いたのが、新界にあった水上レストランのこと。
新界には沙田の沙田畫舫の他、

沙田畫舫(例によって褪色の激しい
スライドで申し訳ございません)。


夜の沙田畫舫。
(手持ちの香港名所トランプから)。

あの香港仔で有名な太白も支店(?)を構えていたらしいようなのであります。
その証拠が下のスライド写真。

「香港」ではなく常に「新界」のスライド群に分類。
船には舢舨ではなく、陸上から掛けられた橋で
直接渡るという構造になっています
(沙田畫舫も同じ構造)。


橋の袂にあったらしい龍の像。

てなわけで、不肖せんきち、さっそく新界の太白について調査を開始したものの、ネット上にはほとんど資料がございませんで、いつ頃からいつ頃まで新界のどの辺りに位置していたのかも判然としないままなのでありますが、ウィキペディアによれば太白の船は1952年に一度建造された後、1960年に更に大きな船が建造されたため前の船は御用済みとなっており(新しい船での営業開始は1961年)、どうもこの御用済みの船が新界へ移動して第2の人生(船生?)を送ることになったようなのであります。

追記:その後、困った時の古新聞漁りをしたところ、1962年1月、青山灣で開業した旨の記事(1962年1月17日付『香港工商日報』)を発見いたしました。そこで以下、青山灣と表記いたします。


念のため、青山灣の船と1952年製の船が同一であるか否か、当時の映像で確認したところ、1955年のアメリカ映画『慕情(Love Is A Many Splendored Thing.生死戀)』に登場する太白は、


こんな按配、さらに1959年の日港合作映画『お姐ちゃん罷り通る(香港三小姐)』における太白は、

真ん中が太白。
向かって右が海角皇宮。



こんな感じでして、どうやら青山湾の船と同一の船のようです。
つまりは、わたくしの推測どおり、1962年に1952年製の旧型船を用いて営業を開始したのが青山灣の太白海鮮舫ということになります。

また、船着場も1955年当時は


こんな感じだったものが、1959年になると、


こんな感じに変化いたします(向かって右は海角皇宮の船着場)。

そして、1960年に完成した新型船はこんな感じ。



別角度からどうぞ。

ちなみに、お隣の海角皇宮も最初は


こんな感じ(手持ちの絵葉書から)だったのが、後に建て替えられて、


このように大型化いたします(これも手持ちの絵葉書から)。

1961年の日港合作映画
『香港の夜(香港之夜)』ではまだ旧型船。


1963年の日港合作映画『ホノルル・東京・香港(香港・東京・夏威夷)』から。
「海角皇宮」の文字が見えます。これは船着場でしょうか。


ところで、今日手に入れることのできる昔の香港のスライド、絵葉書の類における太白と海角皇宮のツーショット(?)写真は、どちらも新造船になってからのものが大半で、

向かって左から太白、海角皇宮。


こちらは別角度からの遠景。
画面右側手前が海角皇宮、奥が太白。


夜の景色。

それ以前のものは殆ど見たことがございません。

夜の船着場。


ということで、最後までお付き合い
下さいましてありがとうございました。

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