どうも。
トド@明日はメタボ検診です。
前回の記事を書いた後、『香港影人口述歴史叢書之四:王天林』(2007年、香港電影資料館)を再読していたところ、またしてもアジア映画祭に関する危ない話が出てきたので、こちらでちょっこし取り上げておきます。
最初にお断りしておくと、以下の情報は、全て王天林監督の談話に基づくものです。
3、他人のパクリはチクります
1961年にマニラで開催された第8回アジア映画祭でのこと。
電懋の出品作である『野玫瑰之戀』(もちろん、王監督の映画ね)の評判が大変よく、「受賞間違いなし!」と言われていたのですが(というか、ほとんど受賞が決まっていたらしい)、これに腹を立てたのが邵組、もとい、邵氏の親分・邵逸夫。
「この映画は洋ピン、じゃなくて、洋物の焼き直しじゃないか!」
と難癖をつけて、受賞を取り消しにしてしまったとさ、ジャンジャン。
まあ、たしかに『野玫瑰之戀』は、歌劇『カルメン(Cermen)』とドイツ映画『嘆きの天使(Der blaue Engel)』を下敷きにしていますが、
「香港に著作権はない!」
と豪語していた
稀代のパ○リ王(1字自粛)
たる邵逸夫に、そんなこと言われたかないですよね、正直(パ○リの実態に関しては、こちらをご参照下さい)。
で、結局、『野玫瑰之戀』の代わりに栄冠を射止めたのは、邵氏の『千嬌百媚』だったのでありました。
Fさんの特集企画によれば、第8回映画祭ではこの他にも、日本勢が一致団結して韓国映画『下女』の受賞を阻んだ、なんていう逸話もあるそうですので(真偽のほどは定かでないようですけれど)、「声の大きい者が得をした」映画祭だったようです。
しかし、今日においてもなお『野玫瑰之戀』と『下女』の評価が高い点から考えると、このときのアジア映画祭においては、受賞を逃した作品が真に優れた映画だった、ということになりそうです。
ちなみに、1964年に台北で開催された第11回映画祭で、電懋作品が助演男優賞と助演女優賞(本来なら主演であるべきなのですが)しか取れなかった理由についても、王監督は下記のような説を唱えています。
曰く、開催国である台湾の中央電影幹部が参加国から寄付金を募る際、陸運濤に「寄付が多ければ多いほど、受賞できる賞の数も多くなる」と話したため、これを不満に思った陸は会費以外の一切の支出を拒み、それゆえわざと2つしか受賞できないようにされてしまったのだそうな。
んー、これもありそうな話ではあるわね。
官製映画会社の中央電影のこと、右派の映画会社だった電懋に「国府支持なら沢山金出せ」とか平気で言いそうですもん、たしかに。
というわけで、アジア映画祭をめぐるダークな話題ですた。
くわばらくわばら。
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