〔しようもない日常〕
湯冷めしたらしく、風邪引きました。
でも、明日は新文芸坐で橘ますみたんの映画(『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』)をやるので、おでかけせなば。
そういや、こんな特集上映もあったわ。
けっこう好きなんだよなあ、『ある女子高校医の記録 初体験』。
ところで、一昨日、『黒線地帯』と『黄線地帯』を観てきました。
ちょっぴり三条魔子も好きなあっしとしては、『黄線地帯』は魔子萌えの1本でもあります。
が、今回気になったのは、『黒線地帯』ではぼうぼうだった三原葉子の腋毛が、『黄線地帯』ではきれいさっぱり処理されていたこと。
『黒線地帯』の公開は1960年1月13日、『黄線地帯』は1960年4月29日と、約3ヵ月半の間隔があるわけで、この3ヶ月の間に、
腋毛って、ムダ毛なのだわ。きちんと処理しなくちゃ。
と三原葉子に思わせる出来事が何かあったのか、今となっては知る由もありませんが、1958年の『憲兵と幽霊』(中川信夫監督)でフサフサ腋毛をなびかせて颯爽と踊っていた万里昌代も、この頃(1960年)にはきちんと腋毛を処理していたことから考えると、1950年代末から1960年代初頭にかけて「腋毛はムダ毛である」とイケてる(昔風に言えば「イカす」)日本女性に思わせるような、
腋毛革命(仮)
が深く静かに進行していたのではないだろうかという気がしてまいります。
もっとも、先述の『元禄女系図』(1969年)における「ハダカの女騎馬戦」では、腋毛ぼうぼうの女性がまだ相当数見られましたので、イケてる、イケてないに関わらず日本女性がみな腋毛を処理するようになったのは、1970年代に入ってからのことなのでありましょう。
不肖せんきちの個人的体験でいうと(1970年代後半。年バレバレ)、うちの母は「エバクリーム」という名のおっそろしく臭い脱毛クリームを使っていました。
ときどき失敗して、何本も毛が生え残っていましたっけ。
(そろそろ寝ます)
2 件のコメント:
こんばんは。
『黄線地帯』ではなくなっていたこと、私も書こうと思っていて忘れました。製作年を憶えていなかったので、あとで同じ年の映画と知ってびっくりでした。
“上海社會檔案”は、やっぱり買うべきでしょうか。
xiaogangさん
こんばんわ。
わずか3ヵ月後に腋毛なしになっていました、葉子たん。早業です。
>上海社會檔案
まだ商品が届かないのでなんとも言えませんが、入手しておけば話の種にはなるかと思います。
観たらまたこちらでご報告しますね。
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