〔えいが〕
1970年、台湾(中影)。白景瑞監督。柯俊雄、歸亞蕾、張小燕、李湘主演。
書こう書こうと思いながら、例によって鑑賞後、かなりの時が経ってしまいました。
覚え書き程度で失敬。
第8回金馬奨最優秀作品賞、主演女優賞(歸亞蕾)、編集賞、第16回アジア映画祭主演女優賞(歸亞蕾)、脚色賞を受賞した、台湾映画史に残る名作の1つ・・・・なのですけれど、やっぱり国策のにおいプンプンな映画でした。とほほ。
アメリカから台湾(台北)へ一時帰国した台湾人たち(当然のことながら外省人)のドラマが、3話形式のオムニバスで描かれていきます。
第1話は、牧場を経営する両親の元へ帰国した息子(武家騏←たぶん。記憶が・・・・)とその妻(アメリカ華僑)が、台湾の大地に骨をうずめようと決意するまでと、その妹でアメリカかぶれのコギャル(張小燕。ミニスカートがまぶしいぜ、小燕姐!)が巻き起こす大騒動。
第2話は、画家の恋人(馮海)のためにせっせとお金を貯めて帰国、その金で画業に専念してもらおうと思ったら、男の面子に拘る彼は彼女(李湘)を罵倒、2人は別れてしまいましたとさ、というお話。
で、恋人と別れた彼女は、アメリカへは帰らずに、おばが経営する幼稚園で一緒に働くことを決心します。
第3話は、アメリカでちゃっかり現地妻を作って台湾妻(歸亞蕾)と息子をほったらかしにしていた青年建築家(柯俊雄)が離婚のため帰国しますが、妻子への愛に目覚めて台北で家族水入らずの生活を送ることを選ぶ、というお話。
全体を通じて、登場人物たちは最終的には一時帰国のつもりが永久帰国になるという、「さよならアメリカ、ただいま台北」というオチになっており、つまりは、
アメリカかぶれなんてクソ食らえ!台北こそ我がふるさと!国府台湾萬歳!
というテーマに貫かれていることがわかります。
これも、結局は政府の「頭脳流出防止」みたいな国策に基づいているのでしょう。
下手にアメリカで民主化運動に目覚められてもこまっただろうしね、国民党としちゃ。
ただ、おそらく、この映画以前の時代には「中国大陸=ふるさと」であっただろう外省人の概念が、ここに至って「台北=ふるさと」に変化している点は、特筆するに値します。
少しは現実に目覚めてきたと言っていいのでしょうか。
3話からなる作品の内、第2話はサイケな美術と謎のバンド(ナイトクラブで出現。『人蛇大戦・蛇』の「ビューティフル・サンデー・バンド」と双璧の爆笑バンド)が楽しめたぐらいで、ストーリー的には何の面白みもなし。
第1話も、やたらと多用される分割画面(DVD化したときのトリミングの仕方が悪かったのか、端っこバンバン切れてました)と細かいカット割り、岡本喜八ばりの編集センス(ただし1箇所のみ)といった、スタッフの実験精神(?)に見るべきものがあったものの、お話自体はコギャルのミニスカート以外さっぱりしませんでした。
というわけで、ありがちな古めかしい内容ながら、一番よかったのは最後の第3話。
半分以上は歸亞蕾の演技で見せるんですけどね。
柯俊雄の役柄は、今観ると彼の私生活(女房〔張美瑤〕子供ほったらかしにして愛人と同居←ようやく離婚したけどさ)とだぶるような気もいたします。
ところで、白景瑞監督はこの頃李行監督等と独立プロ(大衆電影事業公司)を設立、『再見阿郎』のような台湾の現実に根ざした作品を撮りますが、これはやはり(官製映画会社の)中影では自分の好きなように映画を撮れない、ということがその背景にあったのでしょうか。
そこいらあたり、もう少し自分なりに探ってみたいと思いますです。
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