まだまだ注目の広島6区、しずかちゃんの応援に、あの
広能さんが
駆けつけた模様です。
こうなったら、ホリエモンは武田さんを呼ぶしかない?
さて、今日は台湾の古新聞から拾ったネタ。
1955年7月29日付『聯合報』の1面に台湾の航空会社である民航空運公司(たしか、陸運濤はここの飛行機に乗っていて事故死したはず)の広告が載っていましたが、それによれば、当時の羽田-台北の往復運賃は、
160米ドル
でした。
ご周知の通り、当時は1ドル=360円の時代ですから、そのレートで計算すると、
5万7600円
ざます。
以前、こちらで取り上げた香港旅行ネタでは、1961年の羽田-香港の往復運賃が10万2945円ですので、それよりはぐっとお安いのかも知れませんが、その頃(1955年)のサラリーマンの月給が1万円強だとすると、ほぼ6ヶ月分の給料に相当します。
今の感覚なら、お安く見積もっても100万円ほどにはなりますわね。
やっぱり、高いよ。
でも、広告のコピーは、
エコノミーのお値段で、ファーストクラスのサービス(超訳)
でしたわ。
やっぱり、「夢のまた夢」の海外旅行だったのね。
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