2005年8月1日月曜日

続 吉右衛門とオパーイ

〔えいが〕

オパーイの話でおしまいにするのもなんなので、一応、昨日観た分のメモ。

『一谷嫩軍記』
1950年、プレミアピクチュア。マキノ正博監督(パートカラー)。

冒頭だけ褪せ褪せカラー(フジカラー)。
「東京劇場を1950年1月28日と29日の2日間借り切り、初代中村吉右衛門(1886-1954)の当たり狂言「熊谷陣屋」を撮影した記録映画(撮影前日までは17世中村勘三郎の襲名披露興行が同劇場で行われていた)。マキノ正博が監督、岡崎宏三等がキャメラを担当しており、キャメラ8台(9台という記録もある)を操作しながら同時録音で撮影された」(解説より)。
カメラがときどきあらぬ方向を撮影しているのも、ご愛敬でしょうか。
「送り三重」で杵屋栄二さんが登場したのは、うれしいおまけ。

『歌麿』
1952年、秀映社。住田暎介監督(カラー)。

「浮世絵師・喜多川歌麿(1753-1806)の繊細な技法を解き明かしてゆく記録映画」で、摺りや彫りの過程の映像はありがちだけど有用でした。
しかーし!
昨日も触れた通り、歌麿再現映像のつもりで出したオパーイギャルが、すべてをぶちこわしにしております。
再現どころか、あれじゃ幻滅。
最後なんか、赤い腰巻だけつけた海女さんたちが素潜りしている映像が流れて、「お願いだから、前を向いてくれるな」と思っていたら、岩場に座ってオパーイ(垂れてる)ベローン。

勘弁してください。
ほんとに吉田暎二先生が考証指導だったのか?

いくらオパーイ好き(おいおい)のあっしでも、見たくないものは見たくないもんで。

『菅原伝授手習鑑』
1950年、プレミアピクチュア。マキノ正博監督(パートカラー)。

「マキノ正博が『一谷嫩軍記』に引き続き中村吉右衛門後援会の依頼で監督した初代中村吉右衛門の記録映画。1950年5月27日に名古屋御園座で吉右衛門一座が公演していた「寺子屋」を撮影している」(解説より)。
後から撮影したアップの映像を合間合間に挿入したりして、ちょこっとですが、前作よりも映画的になっております。
お子ちゃま時代の当代幸四郎&吉右衛門も出ておりました。
カラー映像は、冒頭だけでなく「首実検」の件でも登場。
まず白黒映像の「首実検」の後、「それでは、カラーでもお楽しみください」とばかりに、今度はカラー映像による「首実検」となります。

「熊谷陣屋」「寺子屋」ときて、この後に「先代萩」がきたらもう卒倒ものなんですが、さすがにそれはありませんでした。ほっ。

ところで。

映画の後、銀座シネパトスで『ベルベット・レイン(江湖)』の前売り券を買い、特製プレスをゲットいたしました。

なれど。

いたしかたのないことながら、あっしの好きな小倩(呉倩蓮)の扱いが小さいね。

フンッ!

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