2014年12月30日火曜日

初春や べっぴんさんと 夢マサラ (五七五)

〔えいが〕〔べっぴんさん〕〔ディーピカー・パードゥコーン〕

アイーン!×


どうも。
トド@食べてばかりいますです。

さて、本年最後の更新は、マサラ上映のお知らせ。
来年(2015年)の1月4日(日)、キネカ大森にて『チェンナイ・エクスプレス お竜参上』、じゃなくて、『チェンナイ・エクスプレス 愛と勇気のヒーロー参上』のマサラ上映が開催されます(13:35~ 上映時間の変更がありました。変更後の時間は13:45~です!)。

今回のキネカ大森での上映は「名画座2本立て」での上映でして(1月3日〔土〕~1月9日〔金〕)、なんと『クリッシュ』との2本立てでございます。
昨年10月のボリウッドフェスティバルにお越しになれなかった皆様、もう1度スクリーンで観たいという皆様、ぜひキネカ大森へ足をお運び下さい(上映スケジュールはこちら)。
そしてそして!
『チェンナイ・エクスプレス』上映期間中の1月5日(月)、われらがべっぴんさんことディーピカー・パードゥコーン嬢が29歳のお誕生日を迎えるのを記念して、べっぴんさんへのお祝いのお花をキネカ大森のロビーに飾って頂けることになりました。
そこで、こんな企画の参加者をただいま募集しております。

ディーピカ誕生日お祝いフラワー@キネカ大森 有志募集

詳細は、こちらのリンクをご覧頂くとして、明日31日(大晦日)まで参加頂ける方を募集しております。
ツイッターやってないよ!という方は、こちらのコメント欄でもけっこうです。
どうぞ、ふるってご参加下さい。

では、来年のお正月はキネカ大森でお会いしましょう!

皆様、よいお年を。

2014年12月29日月曜日

超極私的ロケ地めぐり in 京都 九

〔橘ますみ〕

久しぶりに来たら、外観が
すっかり変わっていたので
すぐにそれとは気づかなかったよ、
京都みなみ会館。
 
 
どうも。
トド@昨日も飲んだくれてますたです。
 
さて。
 
尤敏企画が年を跨ぐこと必定なので、臨時ニュースを先に。
 お久しぶりの橘ますみたん映画ロケ地ネタ(前回はこちら)。
 
11月末、仕事で京都に 行ってきますた。
総長(賭博かよ)、もとい、早朝の新幹線に乗って午前9時前には京都駅に着いた不肖せんきち、仕事は午後1時からだったので、「さて、どうするべい」等と思いつつ、なんとなく引き寄せられるように新幹線改札口お向かいの近鉄線乗り場へ突入。
そのまま電車で一駅揺られ、東寺へと向かったのでありました。
 
そう、ここ東寺(九条大宮)かいわいは、以前にも取り上げましたが、『異常性愛記録 ハレンチ』のロケ地であるのみならず、 『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』や『温泉スッポン芸者』等等にも登場する東映とエロの幸せな出会いを取り結んできた聖地でもございます。
 
 
紅葉がきれいですた。

 

というわけで、積み残しになっていた調査に着手。

『異常性愛記録 ハレンチ』の中で、深畑に暴力を振るわれて(ストーカー+DV)ひどい頭痛に悩まされるようになったノンコ(橘ますみたん)が、常連客・寺内(小池朝雄)の勤める病院で検査を受けるくだり、病院の外観がちらりと映りますが、
 
検査後、病院を出るノンコと寺内。
赤いマントが素敵よ、ますみたん。
 
そこは有給、もとい、悠久の都 ・京都、今でもちょっと改装しただけで現役の病院として立派に稼働中ですた。
場所は、東寺慶賀門の斜め向かい。
 
こちらが建物全体。
 
 
 右後方奥に見えるのが、東寺東大門。
 
 
玄関ドアは、新しいものに
取り替えられています。

そんなこんなで、積み残しになっていた調査を終え、東寺にも参拝して、お仕事先へ向かいましたとさ。
めでたしめでたし(意味不明)。

以前、取り上げた伏見信用金庫
(現・京都中央信用金庫)の定礎板。
この翌年、『ハレンチ』が制作
されたのでした。

 
 
 
 

2014年12月21日日曜日

尤敏ゆかりの土地巡り in 吉隆坡 (その三)

〔尤敏〕〔えいが〕〔たび〕

1962年当時のパヴィリオン・シアター。


どうも。
トド@あらまあ、もうすくお正月!です。

なんだか年を跨いでの企画になっちまいそうですけれど、とりあえず、前回の続き。
 
・パヴィリオン・シアター(Pavilion Theatre、光藝戲院)跡
 
かつてブキッ・ビンタン通りにあった映画館。
1936年、陸運濤の母である林淑佳(広東省から裸一貫でマレー半島に渡り、やがて巨万の富を築いた陸佑の第四夫人)が聯營戲院集團有限公司を設立、この地にパヴィリオン・シアターを建てて、映画産業に参入します。
その後、 日本軍のマレー半島侵攻による苦難の時代を経て、日本の敗戦後、再び事業を開始、やがて映画製作にも乗り出し、陸運濤はアジア映画史に残る大きな功績を残すことになるのでした。
 
そんな電懋創業の地とも言えるこの映画館ですが、惜しくも21世紀に入って閉館、 現在はクアラルンプールで敷設中のMRTの建設予定地になっているらしく、どっかんどっかんと工事中でおました。
 
 
昔の面影は皆無orz
 
これが開通するとさらに
便利になるのでしょう、きっと。

1962年4月9日、このパヴィリオン・シアターで『香港の夜(香港之夜)』のプレミア上映会が開催され、『香港の星(香港之星)』のマレーシアロケで当地を訪れていた尤敏と宝田明も出席、舞台挨拶を行いました。
 
舞台挨拶を行う尤敏と宝田明。

 
マレーシアの記者と記念撮影をする尤敏。
 

パヴィリオン・シアターの外で
尤敏の出待ちをする人々。

なお、現在でもブキッ・ビンタン通りには同名の巨大ショッピングモール及び映画館がありますが、こことは無関係です。

(例によって続く)

2014年12月13日土曜日

尤敏ゆかりの土地巡り in 吉隆坡 (その二)

〔尤敏〕〔えいが〕〔たび〕

本題とはかんけーありませんが。
泊まっていたホテル(リッツ・カールトン)で
飲んだカクテル、スージー・カン、じゃなくて、ウォン。
ウォッカベース&スイカ味ですた。


どうも。
トド@あいかわらず忙しいです。
どしたんでしょ。
隕石が降ってくるわよ。
さて、前回の続き。

・マジェスティック・ホテル(The Majestic Hotel Kuala Lumpur)

1959年、クアラルンプールで開催されたアジア映画祭(現・アジア太平洋映画祭)の折、尤敏が宿泊したのがここ
電懋のオーナーだった陸運濤ゆかりのホテルです。

クアラルンプール鉄道駅前にどかんと鎮座。
かつての表玄関に今も聳える威容。

ここはコロニアル・カフェのアフタヌーンティーが有名ですが、我々はちょいと時間をずらしてランチを頂いてみました。

優雅な空間。
まずここでメニューを決めた後、
テーブルに通されました。

向かって右はバースペース。
夜はバンドの生演奏もあるようです。
アフタヌーンティーの時間には混み合う
らしいのですが、ランチタイムは静かそのもの。
落ち着いて食事ができます。

メインの一品。
ビーフシチューです。
付け合わせのマッシュポテトもおいしい。


アフタヌーンティータイム一の人気スポット、
オーキッド・コンサバトリー。
数ヶ月先まで予約で満杯らしいっす。
傍から見ると温室でお茶飲んでるようにしか
見えませんが(おいおい)。

従業員の方もフレンドリーかつ親切、それでいて礼儀正しく、ランチのお値段もびっくりするほどお手頃価格で(一度経験してみればわかります)、すばらしいひと時を過ごすことができました。
コロニアル・カフェのランチ、おすすめです。

(まだまだ続く)

2014年12月7日日曜日

帰ってきた嗚呼、プラパ!(ヨッパライじゃないよw) 

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕

プラパちゃん改めプラパたんご出演の
トーク番組で紹介されていたお写真。
向かって左から張美瑤、プラパたん、千葉泰樹監督。

どうも。
トド@寒くて寒くてどうしましょうです。

さて、宿題の処理が始まったばかりですが、ここで臨時ニュースです。

昨日(6日)、フィルムセンターで上映された『バンコックの夜(曼谷之夜)』。
「第2の尤敏」として台湾からやって来た寶島玉女こと張美瑤小姐と、この時期香港や台湾でも人気のあった加山雄三が共演した切ないメロドラマ(日本〔東宝〕・台湾〔台製〕・香港〔國泰〕合作映画)ですが、この映画で張美瑤演じる美蘭のけなげな侍女・プラパを演じたタイ女優プリム・プラパポーンたん(以下、プラパたんと記します)について、拙ブログでは過去2回に亘って詳しい情報(なのか?)をお届けしてまいりました。



で。

昨日、実に11年ぶりにスクリーンでこの映画を観ながら(チャンネルNECOで放映された際の録画が家にあるので、折に触れて観返してはいたのですけれど)、「一昨年、張美瑤さんも亡くなっちゃったし、今頃はプラパたん、どこでどうしてござろうぞ(「艶容女舞衣」風に)」と物思いに耽っていたところ、

がーん!

Google先生をお呼びしてみたら、あったじゃないの、プラパたんの近影が。
 
それが、これ!
 

 


美しく年齢を重ねたプラパたんのお姿が、そこにはありました。
 
どうやら最近、またマスコミへの露出の機会が増えているらしく、なんでもありますYouTubeには、プラパたんご出演のトーク番組もありましたわよ!
 
 
 
タイ語&字幕なしなので何がなにやら詳しい中身はさっぱり生ビール(あ、サッポロね。さむいorz)なのですけれど、年代順に作品の抜粋を流し、それに関するお話を聞く、という内容のようです。
そして冒頭には、『バンコックの夜』のスチールや撮影時のスナップ、鎌倉大仏での記念写真等が登場、この映画に出演したことが彼女にとって今でもいい思い出なのだなあと、胸が熱くなりますたです。
後半では、例のチャイヨー特撮映画も紹介されていましたw
 
いつかタイでも上映されるといいね、『バンコックの夜』。

(以上、せんきちがお送りしました)

おまけ:前回のプラパたん記事で、わたくし、彼女のことを「1952年生まれ」と書いたのですが、どうやら「1946年生まれ」の間違いのようです。お詫びして、訂正いたします。しかし、6歳の誤差って、まるで何莉莉みたいね(コアな邵氏迷にしかわからない)。
 

2014年12月6日土曜日

尤敏ゆかりの土地巡り in 吉隆坡 (その一)

〔尤敏〕〔えいが〕〔たび〕

『香港の星(香港之星)』で宝田先生が
尤敏にプロポーズしたこの庭園、
先生のお話ではシンガポールの蘭園らしいのですが、
不肖せんきちに推理ではKLのレイク・ガーデンではないかと。


どうも。
トド@なんだかとっても忙しいです。

そんなこんなで忙しさに追われているうち、フォルムセンターでの香港三部作の1回目の上映も終わってしまいました。
2日の『香港の夜(香港之夜)、3日の『香港の星(香港之星)』上映の際には宝田先生もご来場、舞台挨拶を なさいました。

で。

こちらでも宿題に取り掛かることにいたします。

・マレーシア・ツーリズム・センター(Malaysia Tourism Centre)

1959年、クアラルンプールで開催された第6回アジア映画祭(現・アジア太平洋映画祭)。
尤敏は、邵氏から電懋(キャセイ)に移籍後の第1作『玉女私情』で初の主演女優賞を獲得しました。

主演女優賞のトロフィを抱く尤敏。
このトロフィは現在、シンガポールの
キャセイギャラリーにあるはず…です。


そして、この時、 メイン会場として使用されたのが、現在ではマレーシア・ツーリズム・センター(Malaysia Tourism Centre)となっているトゥンク・アブドゥル・ラーマン・ホール(Tunku Abdul Rahman Hall)。

ただいま改装工事中らしく、立ち入り禁止の
柵が張り巡らせれていますた。
でも、皆さんお構いなしにずんずん侵入www



センター内には今でも同名のホールがありますが、これが昔のままの物なのか、それとも名前はそのままに新しく建設されたものなのかは、残念ながらわかりませんでした。

ということで、まずは手始めに軽めのネタから。
続きはまた改めて。

(いつものようにだらだらと続く)