2007年3月26日月曜日

雪花片片 (Falling Snowflakes)

〔えいが〕

国民党命!

1974年、台湾(中影)。劉家昌監督。秦祥林、胡錦、張沖、湯蘭花、岳陽主演。

足が治ったと思ったら、今度はお腹の具合が悪くて、引きこもり状態が続いております。
今日は、そんな引きこもり生活の中で観た映画をご紹介。

第23回アジア映画祭(アジア太平洋映画祭)において、最感人影片奨、演技優異男女主角奨、優異攝影講奨、最動人主題音樂奨(何と訳せばよいのだ?これらの賞)を受賞した作品ですが、一言でいってしまえば、

愛情文芸映画と反共映画の幸福な出会い(?)によって生まれたトンデモ反共メロドラマ

であります。
さすがは台湾映画界が誇るヒットメーカーにして、せんきち的にはトホホ映画の巨匠である(なにしろ初めて観た作品が『梅花』だったもんで)劉家昌監督、期待を裏切らない(?)見事なお仕事ぶりです。

大まかなストーリーは下記の通り。

国共内戦下の中国東北部。
医師である秦(秦祥林)は戦いの最前線に留まり、患者の治療に明け暮れていましたが、妻の小蘭(マダムヤンこと湯蘭花)と父(魏蘇)を一足先に瀋陽へ避難させることを決意、2人を知人の陳に託します。
やがて秦の住む街は共産党軍の手に落ち、秦の許へ現われた共産党軍の荒くれ者たちは患者の中から国民党軍の兵士を連れ出すと、有無を言わさず一斉に処刑しまうのでした。
このことにショックを受けた秦はうつ状態に陥りますが、かつて彼が助けた共産党軍幹部・李(岳陽)の恋人・金鳳(胡錦)は彼を励まし、金鳳の尽力によって通行証を手に入れた秦は妻たちを追って瀋陽へと向かいます。
途中、共産党軍に捕らえられて無理やり軍の一員にされたりした秦でしたが、隙を見て逃走、ようやく瀋陽に辿り着くものの、そこも既に共産党に支配され、妻は去った後でした。
瀋陽で金鳳と再会した秦は、今度も彼女の助けを得て街を脱出、ようやく妻と再会します。
妻たちの一行は、国民党軍の軍人・張(張沖)と行動を共にしていました。
その後、東北部は完全に共産党の支配下となるものの、李の功績は完全に無視され、ここに至って李はようやく自分が党に利用されていただけであったことを悟るのでした。
しかし、李と金鳳の生命の危険は、すぐそこまで迫っていました。
一方、秦たちは共産党支配地域からの脱出を目前にしていましたが、そこでは共産党軍の埋めた地雷が彼等を待ち受けていました・・・・。

瀋陽を巡る国共の攻防戦と言うと「遼瀋戦役」ですが、実際の戦闘は1948年の9月から11月にかけてですので雪なんかないはずなのですけれど、ここでは常に雪が舞っています(推定韓国ロケ)。

万年雪かよ。

そんな雪の中で男と女がくっ付いたり離れたりしながら物語は展開しますが、主人公の秦は妻にラブラブのはずだったのに、金鳳にやさしくされてついフラフラしてしまったかと思えば、秦の妻も妻で、自分を守ってくれる張と何となくいい仲になっちゃうという、このご夫婦は目の前のニンジンに弱い人たちのようです。
特に秦は、瀋陽で妻の置手紙を読みながら涙を流していたくせに、そこへ金鳳が現れるやいなや「君に逢いたかった」とか言って(金鳳を)抱きしめるという変わり身の早さを見せていました。

また、あくまでも反共映画なので、国民党軍の隊長さん(張沖)が軍服姿もりりしい立派な人物なのに対して、共産党軍の方はマタギみたいな格好をして字もろくに読めず、平気で無辜の市民を皆殺しにする野蛮人の集まりにされちゃっています。

映画の終盤になっていきなり江青そっくりのおばさん(もちろん毛沢東夫人の方ね。劉監督の前妻じゃなくて)が登場、彼女たちの一派(四人組?)が李と金鳳を粛清しちゃうんですけれど、遼瀋戦役において大活躍したのが林彪だったことを考え合わせると、これは文革をおちょくった趣向のようです。

しかし、ここまで国民党命!な映画を作る劉監督、両岸関係、特に国共の関係が劇的に変化した今でも国民党一筋なのでしょうか、ご本人に聞いてみたい気がします。

ともあれ、ここんとこ憂うつな毎日を送っていたせんきちでしたが、この映画を観てなんだか元気が出てきましたわ。
そういう映画じゃないんだけどさ、ほんとは。

2007年3月21日水曜日

無罪放免

〔しようもない日常〕

溜まった血液を抜くために開けた穴の痕。
なんだか妙に毛深いわ・・・・。

今日は全国的に休日。
朝からテレ東で『海を渡った新幹線』という台湾新幹線に関するスペシャル番組が放映されていたので、録画しがてら観ました。
ちょうど17日(土)から『朝日新聞』夕刊でも「異郷の新幹線」なる同種の特集記事の連載が始まりましたが、朝日のそれは比較的ネガティヴな情報が多いのに対して(読んでいてちょっと不安になります)、テレビの方は困難に見舞われながらもそれを一つずつクリアーしてついに営業運転に漕ぎつける、という前向きな内容でありました。

さてさて。

昨日、3ヶ月以上通った整形外科のセンセイからお墨付きを頂き、ついに無罪放免となりました。
と言っても、骨折線はまだかすかに残っているし、飛んだり跳ねたりは厳禁なのですけれど。
とりあえず、これからは日常生活の中で徐々に慣らしていく、ということのようです。

現在の足。向かって右が骨折した方、左は無傷。
右側はまだなんとなくむくんでいるやうな。


せんきちとしては、目下のところ一番困るのが正座が出来ないこと。
ヘタレではありますが、いちおう箏や三味線などをたしなんでおりますので、これが出来ないと本当に困るのです。
今は椅子に座ってお稽古をしているものの、いつまでもそんなわけにはゆかず・・・・。

焦らずいくしかありませんね。

(取り急ぎご報告、ということにして終了)

2007年3月17日土曜日

香港ウシシ旅行団!

〔ちょっとお耳に〕

1987年当時の香港観光協会発行のガイドブック。
『香港観光83のコースガイド』。

私生活でもネット上でもトラブル続きで、いささか疲弊気味のせんきちです。
木曜日に買ったばかりの鉢植えを玄関前に置いておいたら、今朝さっそく盗まれました。
ツイていません・・・・。

気を取り直していきましょう。

今日は、拙ブログおなじみ(?)の古雑誌ネタ。
『平凡パンチ』1987年2月26日号の特集「香港 パンチ・ウシシ旅行団が行く!」のご紹介でおます。

『平凡パンチ』と香港、と言いますと、1969年4月の『平凡パンチデラックス』第22号に掲載された「香港の顔」なるグラビア特集を以前ご紹介しましたが、今回の特集記事はそれを凌ぐ大規模なものでして、「香港の顔」では取り上げられていなかった映画女優さん方のお写真もばっちり載っております。
その名も、

現地特写!香港美女セクシーショット

登場する女優さんはと言えば、

葉蒨文、鍾楚紅、關芝琳、朱寶意、張曼玉、開心少女組、倪淑君、王祖賢、劉嘉玲、林青霞、楊紫瓊、梅艶芳

の面々。
倪淑君ってのが何だか渋い人選です。

今もご活躍の劉嘉玲さんは、

太すぎる眉毛が時代を偲ばせます。

今や押しも押されぬハリウッド女優となったミシェール姐さんは、

カラオケで『恋におちて』を歌っちゃいそうな印象です。

ムダ毛研究家のせんきちとしては、

文字通り「脇が甘い」王祖賢のわきの下が
非常に気になりますた。

映画関連では「ザ・香港人 スゴイ人の生活と意見」なるコーナーでも潘廸生と鄒文懐が取り上げられていましたが、ミシェール姐さんと潘廸生はこの当時はまだ結婚直前のラブラブ期、だったのでせうか。

また、「香港青年、日本文化を大いに笑う」という香港の若者たち(男女4人)による座談会では、中山美穂が、


男A(鍾さん・大学2年):この人のカオは中国でもチベットに近いほうの自治領にいる人のカオに似ている感じ(笑)。
女A(楊さん・短大2年):この人が向うから歩いてきたら、やっぱりマレーシアの人とかフィリピンの人みたいに見える。目も上がってて、キツネみたいなカオだから。


とさんざんコケにされていました。

特集ではこの他、蛭子能収らのスペシャルエッセイや岡崎京子の漫画(『香港コーリング』)、お約束(?)の現地フーゾクガイド、九龍城砦潜入ルポ等が掲載されていましたが、このうち、岡崎京子の『香港コーリング』は、山本鈴香という若い女性が香港で財閥令嬢・李香蘭(!)の誘拐事件に巻き込まれ・・・・というもので、その後鈴香は香蘭の双子の姉・香鈴だとわかり、「リンリン・ランランⅡ」なる姉妹デュオを結成、超人気アイドルになるという無理やり過ぎるオチの漫画でおました。

「香鈴」といえば思い出す・・・・。

てなわけで、某ヤフオクで何気なく見かけて大した期待もせずに落札したこの雑誌、なかなかどうして、興味深い情報が満載でした。

(無理やり終了)

こちらは1987年当時のマカオ政府観光局発行のガイド。
「中国の大河に浮かぶ小さなポルトガル」だそうです。

2007年3月13日火曜日

JALスチュワーデスのトラベル中国語会話

〔ほん〕


1991年5月、キョーハンブックス。

1週間ぶりのご無沙汰でございます。
台湾の友人、昨日無事に帰国した・・・・はずですが、先週さんざん振り回されたおかげで、精も根も尽き果てたせんきちです。

さて。

有名建築家やふくろう先生、はたまた前宮城県知事と、候補者乱立気味の東京都知事選挙。
しかし、肝心の

あの人が足りない

と思っているのは、せんきちだけでしょうか。

黄泉の国から立候補しておくれ(←すいません。まだご存命でした)。

といったところで、本題。

先日、散歩の途中に立ち寄ったブックオフにて、105円で購入した中国語会話本のご紹介。
今から16年前の1991年、第2次天安門事件の余韻覚めやらぬ頃にJALが出した旅行用会話集です。

表紙で微笑むのは、本文執筆を担当した(らしい)香港出身の客室乗務員・王美珍(Anna Wong)さん。
プロフィールによると「乗務歴9年」で、


私の場合父が北京語しか話さず、香港っ子の私も自然に北京語を覚えてしまいました。


との由。

1991年に乗務歴9年ということは、1982年入社として1960年頃の生まれ。
「北京語しか話さない」という王さんのお父さんは、大躍進の頃に内地からやって来た北方人か、はたまた国共内戦に敗れて香港へ流れ着いた元国府軍兵士(調景嶺在住)か、気になるところです。

気になるといえば、先日読んだ『トオサンの桜』にも「1941年、10歳の頃に広東省から台北へ移住した」という多桑(劉添根さん)が出てきて、日中戦争真っ只中の時代に何ゆえわざわざ日本の植民地である台湾へ引っ越してきたのか、その理由が知りたかったのですが、その辺りの事情は見事なまでにスルーされていて、がっかりいたしました。

で。

会話本の内容ですが、左ページに日本語と英語、右ページに中国語というレイアウトで、中国語に声調記号は付いているものの、ピンイン表記は難しいため怪しいカタカナ表記で代用してあります。
ですので、例えば「初めまして」は、


初次見面(ツウツジィェンミェン)


と、ツーツーレロレロ状態になるといった按配。

ま、それでも、以前ご紹介した日本語教則本(こちらこちら)よりは数段ましなのですけれど、ちいとばかり衝撃を受けたのがこちら。


いいえ」が、



ブスだよ、ブス!

目の前でブスブス連発された日にゃあ、あたしだったら(図星だけに)どつきますよ。

ところで。

先ほどもちらりと書いた通り、この本が出た1991年は1989年の第2次天安門事件のわずか2年後。
だもんで、あたしゃてっきり事件のおかげで激減した日本人旅行者を呼び戻すためにこういった本が出たのだとばかり思っていたら、

1989年:358,828人、1990年:463,265人(29.1%増)、1991年:640,859人(38.3%増)

と(こちらを参考にしました)、何のこたあない、本の力なんぞ借りなくともそれなりに順調に増えていました、日本人旅行者。

喉もと過ぎれば・・・・なのですなあ。

(オチらしいオチもなく終了)

2007年3月6日火曜日

無責任ABC

〔ちょっとお耳に〕

『無責任遊侠伝』撮影の合間に
あやとりをして遊ぶ莫愁。
ハナ肇、犬塚弘、藤本真澄の顔が見えます。

先日の「お知らせ」で予告した通り、台湾の友人がやってまいりました。
さっそくこき使われております。
そんなわけで大物ネタに取り組む気力も体力もないため、今さらな感のある製品情報でお茶を濁しますです(スマソ)。

香港クレージー作戦』と同時期(1963年)に香港・澳門ロケを行ったクレージーキャッツのもう1つの中華映画『無責任遊侠伝(澳門風雲)』のDVDが、昨年暮れにリリースされました。


お馴染の無責任男・植木等がここではギャンブルの天才に扮し、澳門で一か八かのギャンブル勝負に打って出るというお話。
クライマックスとなる平田昭彦(悪役)との決戦では、澳門が舞台というのになぜか丁半勝負の壺ふり対決なのがご愛敬です。

杉江敏男監督から壺ふりを教わる白冰。
向かって一番左は馬力。

当時、東宝と深い関係にあった電懋から白冰、莫愁、高翔、馬力が参加していますが、悪役である平田昭彦が中国人ではなく実は敵前逃亡した元日本兵、つまり日本人だったという設定になっているのは、おそらく電懋側への配慮ではないかと考えられます。
谷啓(白冰の兄役)の元恋人でありながら、彼を捨てて平田昭彦の情婦となっている莫愁も100%悪い女ではありませんでしたし。
『香港の夜』で中村哲の用心棒をやっていた天本英世が、ここでも平田昭彦の用心棒に扮していました。

そして。

社長シリーズの追尾を飾る作品である『社長学ABC』のDVDについて。
こちらこちらのDVDレンタルのサイトには情報があるのですが、なぜかセルDVDのリリース情報はありません。
レンタルオンリーということなのでしょうか。


森繁社長が会長に勇退し、小林桂樹が社長に昇進する本作は、台湾ロケが売り物の1本。
日月潭でロケを行っている点が、日本映画としてはきわめて珍しいと言えます(今の九族文化村みたいな原住民のテーマパークも登場)。
ま、そうは言っても、単なる観光映画からは一歩も出ていないのですけれど。

また、香港へ渡って邵氏に加入する前の恬妮が、ちょうど『社長洋行記』における尤敏のような役どころで出演しているのも見もの。
『社長洋行記』での尤敏の婚約者は三船敏郎ですが、恬妮の婚約者はなんと王貞治(写真のみの出演)でした。

それでは、またこき使われてきます。

2007年3月2日金曜日

松葉杖卒業 (又名:人類の進化)

〔しようもない日常〕

白色恐怖を描いたドラマ。
一昨日は228事件から60年の日でした。

ごぶさたしております。
おかげさまで松葉杖を卒業、直立二足歩行の訓練を始めたせんきちですが、この数日というもの、花粉症がひどくて、

身も心もボロボロ

になっておりました。

せんきちがボロボロになっている間にも、「似非『無間道』がオスカー受賞」というツッコミどころ満載のニュースが飛び込んでまいりましたが、これはもうすでに多くの方がお取り上げになっておりますので、今さらわたくしのような者が言及するまでもないこと。
むしろ「ムダ毛研究家」のせんきちとしては、「おふくろさん騒動」の当事者である、

川内康範センセイの耳毛

に大注目しております。

初めて見たときは「変わったモミアゲ」かと思ったよ。

聞くところによると、センセイは青森県にお住まいとのことですので、寒冷地においては防寒の見地からあのように自然と長ーい耳毛になるのであろうかと、

気候と耳毛の不思議な関係

という新しいテーマについて考えてみる必要性を感じております(うそうそ)。

で。

先月の25日(日)、午後2時からTBS系列でコソーリ放映されたテレビドラマ『たった一度の雪 SAPPORO・1972年』(北海道放送制作)の感想をちょっとだけ。

詳しい内容等に関しては公式サイトをご参照いただくとして、せんきち的にはメインのストーリーよりも陳柏霖演じる孫台生の人物造型及び言動に興味を持ちました。

台湾北部の田舎町にある小さな食堂の息子として生まれた台生(名前からして台湾の申し子のようだ)は、かつての統治者である日本及び日本人に対して屈折した感情を持つと同時に、蒋介石と国民政府に対する憎悪も人一倍強いという本省人(鶴〔福〕佬人)の若者。
彼の父は、国民政府による北京語強制に反発して日本語で押し通したため警察に捕まったという過去を持っています。
劇中、台生は聖子娘演じるヒロイン相手に蒋介石&国民政府に対する憎しみや、台湾人は自分たちの国を持ったことがない(国民政府はあくまで外来政権)といった心情を吐露するのですが、今ならともかく当時そんなにあからさまに政治批判をして大丈夫だったのだろうかと、観ていてハラハラしてしまいましたよ。
いくら蒋介石が憎いといっても、その憎むべき総統の命に従って札幌に送り込まれたのですから、密告されたらどーするよ?という心配ばかりが先に立ち・・・・。

ラスト、35年後のヒロイン(戸田恵子)が台生を訪ねると、台生にクリソツの息子(陳二役)がやって来て「父も母も亡くなりました」と言うのですが、2人の死の原因が明らかにされないため、せんきちの頭の中では

台生は札幌での言動を密告されたか、あるいはその後民主化運動に身を投じたせいで緑島に送られ、獄中での無理が祟って若死、残された妻は夫の意志を継いで政治活動を開始するも、選挙中に謎の自動車によってひき逃げされて死亡。

という勝手な妄想が渦巻いてしまいました。

ある意味、この孫台生なる人物は1972年というよりも、近年の本土化した台湾を投影した人物、ということができそうです。
また、台湾側の撮影協力が民視だったことも、台生の人物造型に大きく関係しているのではないかと思います。
台視や中視や華視じゃ、こうはならなかったかも。

お知らせ:今週末、またぞろ台湾の友人が来日するため、来週一杯はその接待に忙殺されそうです(というか、そうなるに決まってるんだけど)。てなわけで、またしばらくお休みするかも知れません。あしからず、ご了承下さい。