2009年8月29日土曜日

安志杰(アンディ・オン)のおかあさん 続

〔ちょっとお耳に〕

どうも。
トド@のりピー激やせよりも上島竜兵激やせの方が気になるです。

このところ、いろいろな役者さんの訃報が相次いでいますが、香港でも先日、成奎安先生がお亡くなりになりますた。
享年54歳。まだまだお若い…。
不肖せんきち、成奎安先生というと、なぜかいつもこの映画を思い出します。

さて、3ヶ月ほど前、安志杰のお母さん(金燕)が日本で芸能活動を行っていた旨のコネタ記事(安志杰(アンディ・オン)のおかあさん)を書きましたが、この間、某ヤフオクで日本でのデビューシングル(「遠く消えた恋」)を捕獲したので、そのご報告でも。

前回の記事で書いた通り、日本での芸名は
キャンディ・シュー。
ジャケットは2つ折になっていて、


広げると、ポスターに変身!
いつでもあなたのお部屋にキャンディが!


呼んだ?


歌詞カードには「金燕」の表記も。
楽譜も付いていますた。

ちなみに、上記デビューシングルに収載の2曲(「遠く消えた恋」「恋はいじわる」)は、下記のCDにて比較的気軽に聴くことができます。

「遠く消えた恋」収録。


「恋はいじわる」収録。

この他のシングルはどうやらかなりのレア物のようで、入手困難らしいのですが、機会があったら捕獲を試みてみることにいたします。

2009年8月25日火曜日

NHKBSハイビジョンシネマにて

〔ちょっとお耳に〕


どうも。
トド@アフラックのCMの招き猫怖いです。

取り急ぎ、告知のみ。

9月6日(日)から10日(木)まで、NHKBSハイビジョンの「ハイビジョンシネマ」にて、昨年の第9回NHKアジア・フィルム・フェスティバルで上映された作品が一挙放映されます(『キネマの天地』を除く)。
放映スケジュール
は、下記の通り。

9月6日(日)
『追憶の切符 (車票)』(2008年 中国、香港)
午後11:35~午前1:19

9月7日(月)
『My Son~あふれる想い~(My Son)』(2007年 韓国)
午後11:05~午前0:55

9月8日(火)
『僕たちのキックオフ(Kick Off)』(2008年 イラク・クルディスタン地域、日本)
午後11:05~午前0:27

9月9日(水)
『Orzボーイズ!(囧男孩)』(2008年 台湾)
午後11:05~午前0:50

9月10日(木)
『パンドラの箱(Pandora's Box)』(2008年 トルコ・フランス・ドイツ・ベルギー)
午後11:05~午前1:00

「うちじゃあ、まだハイビジョンが観られないんだよなあ」とお嘆きのあなた、この機会にデジタル対応の録画機器をお買い求めになってみてはいかがでしょうか(って、テレビ局と電器会社の回し者かよ、オレ)。

追記:上記の作品群、10月にはBS2でも放映予定です(なんだ、アナログでも観られるんじゃん)。

2009年8月21日金曜日

香港屋簷下 (The Looks of Hong Kong)

〔えいが〕

みんなであぶりをやりました。

1974年、香港(馬氏)。馮淬帆監督。柯俊雄、徐楓、唐菁、胡錦、丁珮、他。

どうも。
トド@立秋後に夏バテです。

先日、酒井"悪"のりピー事件に関して、「夫が隠し持っていた覚醒剤を調べようとした警察官に対し、のりピーは「下半身の薬なので見せられない」と言い訳したそうですけれど」と書きましたが、夫は夫で

下の病気でズボンを脱ぎたくない

とゴネていたそうな。
いくら別居中とはいえ、

下の病気の夫を持つ元アイドル

ってのも、なんか…いやだよねえ…。
そうまでして罪を逃れたかったのか、あんたら。

…本題に入ります。

馮淬帆の監督デビュー作…らしいっす。
タイトルは1964年の中聯作品と同じですが、中身は別物。
ただし、1964年版もこちらも、『巴黎屋簷下(Sous les toits de Paris、巴里の屋根の下)』を踏まえたタイトルであることは確か。



表向きは「性産業、麻薬、賭博撲滅」を叫びながら、裏では手下(馮淬帆)を使ってそれらの産業で私腹を肥やしている悪徳立法委員(唐菁)一味と、彼らの毒牙に係りそうになる貧乏人たち(柯俊雄、徐楓、他)の人間模様を描いていますが、DVDのパッケージにあるような「貧乏人たちが悪徳立法委員をやっつける」のではなく、警察が立法委員の裏稼業を一網打尽にするものの、立法委員は政庁幹部と通じており、彼にはお咎めがなかったどころかまたぞろ同じ裏稼業で金儲けを始める、というかなり皮肉なオチになっています。

香港映画とは言いながら、メインの役者さんたちはほとんどが台湾系の皆さん(柯俊雄、徐楓、唐菁、胡錦、丁珮、武家麒、葛小寶、他)で、北京語発声だった模様(どのみち声優さんが声を当てているのですけれど)。

監督のみならず、脚本も書いて出演もこなしている馮淬帆。
この時点(1974年)で既にハゲかけている・・・ということは、
その後のあの髪型はヅラだったってことか!


胡錦の絵の先生として登場するこの御仁(クレジットなし)、
ひょっとして、あなたは方圓さんですか?


ちなみに、メイクは全く別の方が担当。

社会派映画としては寒いギャグが多すぎ、さりとて人情喜劇としては物足りない、というきわめて中途半端な映画でしたが、ムダに豪華なキャスト(沈殿霞まで出てました)で、まあ、そこそこ楽しめましたです。


おまけ:『巴里の屋根の下』と言えば主題歌も有名ですけれど、不肖せんきちが子供の頃よく聴いていたのがジャクリーヌ・フランソワ(Jacqueline François)版。
もちろん、彼女の代名詞であるところのこの曲も大好きです。

2009年8月15日土曜日

なぜか何湄 嘉禾電影編

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕
チョメチョメ逝く…。
不肖せんきち、中学時代、クラスメイトに「松方弘樹と山城新伍が好き」と話したら、
「男の趣味が悪い」と一笑に付された経験がございます。合掌。


どうも。
トド@今年の盆踊りは「のりピー音頭」で決まりだ!です。

さて。

ここのところ集中掲載中の丘ナオミさんネタ、先日、いつもお世話になっている「香港電影之館」のToruさんより丘さんの特集記事(嘉禾新星何湄)が掲載された『嘉禾電影』1974年8月号の情報をご提供いただきましたので、その記事に関してちょいと気づいた点をメモしておきます。

1、日本国籍の華人女優

記事中には丘さんについて「日籍華裔女星」とありましたが、先だっての『映画秘宝』のインタビュー記事やトークイベントでもそのようなことは一言もおっしゃっていなかったので、おそらく、これは香港の観衆に親しみを持ってもらうための嘉禾のウソということになるかと思います。
それと、邵氏が自前の脱星を使って映画を撮っていた手前、日本人の助っ人を呼んだと正面切って言うと、営業上不利になると考えたのかも知れません。
とはいうものの、池さんや衣麻さんになると、「日本の東映からやって来た助っ人女優」であることを全面的に打ち出すようになっちゃうんですけれど。

2、デビュー作は『おさな妻の告白 陶酔 クライマックス』

記事中では丘さんの映画デビュー作が『少妻的自白(おさな妻の告白 陶酔 クライマックス)』になっていますが、これは日活での第1作。
デビュー作はもちろん『女番長ゲリラ(十三太妹)』(東映)です。
これは丘さんの出演に協力してくれたであろう日活の顔を立てたのではないか、と考えられます。

3、つるつるにもなりました、怪我もしました

前記の通り、デビュー作のタイトルこそ日活の顔を立てているものの、『女番長ゲリラ』の撮影のために髪を剃った話やバイクの事故で怪我をした話等、東映時代のエピソードもきちんと紹介されています。

4、マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)に似ている

「彼女を見た人は、みなマリリン・モンローにどこか似ていると言う」云々とありますが、似ていますか?(丸投げ)

5、37インチ、25インチ、36インチ

丘さんのスリーサイズ。センチに換算すると、バスト:約94センチ、ウェスト:約63.5センチ、ヒップ:約91.4センチになります。

6、撮影時期について


この記事には、丘さんがいつ頃『艶窟神探』撮影のために香港に赴いたかが書かれていました。
それによると、「1974年5月末に3週間の予定で香港に到着、6月中旬には日活での撮影があるため香港を離れた」との由。
ということは、以前せんきちが推測したような

契約は一番最初だったけれど、撮影や公開スケジュールの都合のせいで池さんよりも後になってしまった」(誤)

のではなく、

契約も撮影も一番最初だったけれど、公開スケジュールの都合で池さんよりも後になってしまった」(正)

というのが、本当のところでありました。
つまり、丘さんの発言(「香港映画に出たのは、私が最初なんですよ」)は、まぎれもない真実だったのであります。

ということで、いろいろ興味深い事実が判明した記事でした。

Toruさん、ありがとうございました。

2009年8月8日土曜日

なぜか何湄 突撃編

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕

送ってあげて、キングさん。

どうも。
トド@「のりピーやっぴー」の「や」はヤクの「や」だったのか!です。
当初、夫が隠し持っていた覚醒剤を調べようとした警察官に対し、のりピーは「下半身の薬なので見せられない」と言い訳したそうですけれど、この話を聞いて昔うわさになった元アイドル歌手・YK(KYでもいいけどさ)の「電動民芸品事件」を思い出したのは、わたくしだけでせうか?

例の甲状腺腫瘍の件、現在通院中の病院からはぶじ脱出できそうなのですが、多額の検査代を負担した影響がじわじわと出てきまして、ただいまビンボー暮らしです。
少し余裕が出来たら、今度は甲状腺専門の病院に行きたいと考えております(検診で引っかかったさいに紹介してもらった最初の病院〔←脱出中の病院ね〕は、某大学病院耳鼻科ですた)。

さて。

先だって、丘ナオミの中国名・何湄の由来について書きましたが、現在、ラピュタ阿佐ヶ谷にて開催中のレイトショー「THE恐怖女子高校」にて、丘さんのトークイベントがあるというので、不肖せんきち、突撃してまいりました。



この日上映されたのは、シリーズ第1作『恐怖女子高校 女暴力教室』。
丘さんの役どころは、聖光学園の女子高生・王メイ子。
神戸の女子高が舞台の映画にふさわしく(?)華僑の子女(勝手に推定)という、このとき(デビュー2作目)すでに将来の香港行きを思わせるような国際色豊かな役を演じています。

上映後のトークイベントの大部分は、『映画秘宝』掲載のインタビューの折の話題と被っていたものの(美空ひばりとのエピソードは、やっぱりすごい!)、丘さんが中国名を名乗った理由が、

「李香蘭(山口淑子)のような<日本人でありながら中国人>という存在に憧れがあったので、自分も中国名を名乗りたい、と嘉禾に希望した」

からという、新たな事実が判明したのは大きな収穫でした。
となると、香港における第1作『艶窟神探』での丘さんの役名が「淑子」だったのも、嘉禾の粋な計らいだったのかも知れません。

イベント終了後、不肖せんきちは1階のロビーに下りられた丘さんをずーずーしく追っかけ、持参した『香港工商日報』(1974年9月17日付)の丘さん掲載記事のコピーを進呈、すると丘さんは、

「まあ、何が書いてあるか全然わからないけれど、とてもうれしいわ」

と大変喜んで下さったので、すかさず、

「監督(鄭昌和)が、丘さんのことをたいそう褒めていらっしゃる記事です」

と申し添えておきますた。

そして、ここぞとばかりに「サインいただけますか?」とおねだり、『艶窟神探』のVCDにサインをしていただきました。




そういえば、丘さんは『破戒』の日本盤DVDリリースを全くご存知なかったようで、てっきりリリースのさいにキングレコード側から丘さんサイドにはきちんと連絡が行っているものとばかり思い込んでいたせんきちは、これってどうなのか知らん?と正直疑問に感じましたです。
いちおうご本人には、香港では『艶窟神探』も『破戒』もソフト化されていること、特に『破戒』は日本盤があるので日本語字幕でご覧になれる旨お伝えしておきましたが、今からでも遅くないので、キングレコードの方、ぜひ丘さんに『破戒』のDVDを進呈して差し上げて下さい。
お願いします。

というわけで、最初の丘さんネタ執筆から足掛け4年近くの歳月が流れましたが、丘さんの中国名の由来やその理由を知ることができただけでなく、まさかご本人にもお目にかかることができようとは、不肖せんきち、望外の喜びであります。
昨夜は、せんきちにとって貴重な「難忘的一夜」となりますた。

最後に、何度もしつこいようだけど、DVD、送って下さいね!

(おしまい)



追記:王メイ子さんって、実在するんですね・・・。