2006年12月28日木曜日

ドレーン!ベン!

〔しようもない日常〕

エレーン(Elaine)だよ。

昨日は樂蒂の祥月命日でした。
明日は尤敏の祥月命日です。

引き続き、経過報告。

先週いっぱい、毎日病院に通った結果、週末にドレーンは取れました。
ほんとなら先週は台北で阿妹のミュージカル(『愛上卡門』)を観ているはずだったのですけれど、あえなくキャンセル。
チケットの支払いだけが残りました・・・・。

脛に開けた穴は消毒しながら塞がるのを待つことになり、折れた骨もどうにかズレが止まって、あとは気長に骨が繋がるのを待つ、という、二重の「待ち」で完治まで過ごすことになりました。
下手をすればお正月にも通院して消毒、という事態だったのですが、これも自宅で消毒すればOKということで、お正月は呑気に寝て過ごすことにしますわ、はい。

ではでは、良いお年を。

最近の足。紫色&むくみ放題。
せんきちの足はむらさき。
(『長崎の夜はむらさき』のメロディーでどうぞ)


こんなお薬も塗り塗りしております。

おまけ:骨折したばかりの頃、なぜか思い出したのが今何かと話題の石原「青汁」真理子が腰椎骨折したときのこと。
例の暴露本の記述を信じると、あれ、実は当時お付き合いしていた方のDVが原因だったらしいんですが、先だって香港のお友達から送っていただいた顧媚の回顧録によれば、王羽の林翠に対するDVもそーとー酷かったみたいっす。

こちらの本

王羽といえば、「車の停め方が気に入らない」と岳華に難癖つけて大乱闘になった話が佩佩さんの本(『戯非戯』)に出てきますけれど、奥さんにも始終難癖つけてたんですね。
夫の暴力に耐えかねた林翠が別れ話を切り出すとさらなる鉄拳制裁!という、お定まりのパターンだったようで。

くわばらくわばら。

2006年12月20日水曜日

ケツを出せ!

〔しようもない日常〕

ミイラ。

いつの間にやら闘病ブログになってますが、とりあえず近況報告。

脛の腫れが引かないので中に溜まった血液を抜くことになり、局部麻酔をして患部に穴を開け、汚れた血をドピューッと出しましたが、それでもまだ溜まっているので穴にドレーンを挿入、毎日消毒をしながら経過を観察中です。

で。

折れた骨の方は、再度レントゲンを撮ってみたところ、折れた部分が

ずれてきてました。

やばい・・・・。

完治までには2~3ヶ月かかりそうです(お医者さんの弁)。

さて。

怪我の話ばかりするのも何なので、ちょっとだけ橘ますみたんネタを。

『極悪坊主』のフランス盤DVDがあったので購入してみますた。

リージョン2なれどPAL盤。

フランス語タイトルは、"Le moine sacrilege"。
「冒涜修道士」ぐらいの意味みたいっす(ほぼ直訳?)。

ますみたんは「おぼこい女郎さん」というお約束の役どころで、これという見どころはなし。
おまけに若山富三郎を争う女2人が京唄子と白木マリという胸焼け必至の組み合わせで、加えて「鼠の刺身を食べさせられる名和さん」というさらに胸焼け必至のギャグがあったりと、高い金払って買ったわりには報われなかった映画でおましたが、ま、「観たよ」ということで無理やり自己満足して終了。

特典映像の中に同じ会社からリリースされてる別作品の予告が収録されていましたが、『0課の女 赤い手錠』や『女囚701号 さそり』はともかく、『上海ブルース(上海之夜)』や『0061 北京より愛をこめて!? (國産凌凌漆)』まで入っていました。

アジアは友だち。

2006年12月16日土曜日

これでも貼ってな!

〔しようもない日常〕

というわけで、骨折から約2週間の歳月が流れました。
折れたのは足の甲の骨(中足骨というそうです)なのですが、ついでに脛も強打、巨大なたんこぶができてしまい、一向に腫れと痛みが引きません。
今はただ、

主治医の先生の言うことを聞いて、


こまめに湿布を取り替えつつ、
おとなしく過ごしております。


以上、近況報告でした。

おまけ:麥兜の新しいサイト

2006年12月8日金曜日

折れましておめでとうございます

〔しようもない日常〕

わたしの骨折映画
そして骨折と言えば、
忘れてならないのがこの人


ごぶさたしております。
台湾の友人、昨日無事に帰国いたしました。

そして。

不肖せんきち、恥ずかしながら12月3日(日曜日)自宅階段にて転倒、着地に失敗して

右足を骨折

いたしました。


てなわけで、いろいろ書きたいネタもあるのですけれど(「勝手に國聯特集」をやろうと思い、國聯作品のVCDを大量購入した矢先でした)、それはまたもう少し容態が落ち着いてからにいたしたく存じます。

こう書いている間にも、右足が疼きます。
とほほ・・・・。

あしからず、ご了承下さい。

2006年11月23日木曜日

アフリカの熱帯雨林で迷走中

〔しようもない日常〕

訳あって、『ただ、君を愛してる』を鑑賞。
あまりに予想通りのオチに、お口あんぐり。
宮﨑あおいも二度死ぬ。

風邪も癒えてきたので、そろそろ再開しようかと思っていた矢先、台湾の友人が来日、接待というほどのこともないのですけれど、今朝も電話で指令を受けてパソコンの前で検索作業に専念しておりました。
てなわけで、通常通りの更新はもう少し先になりそうです。

今日は情報を2つ。

1つめ。

ただいま、台湾で「慶祝台語電影五十週年 戯夢五十」という台湾語映画の特集上映が開催されています。
1956年、何基明監督による最初の35ミリ台湾語長編映画『薛平貴與王寶釧』が上映されてから今年でちょうど50年になることを記念しての催しです。

何基明監督について、くわしくは
こちらをお読み下さい。


台湾語映画というと、日本人監督が招かれて作品を撮ったことでも知られていますが、今回の特集上映ではその中から湯浅浪男監督の『懐念的人』(1967)が取り上げられています。

2つめ。

来年、1月5日(金)から2月4日(日)までフィルムセンター大ホールで開催される「日本映画史横断② 歌謡・ミュージカル映画名作選」にて、『香港の夜(香港之夜)』が上映されます。
不肖せんきち、この映画がまさか「歌謡映画」だとは思ってもみなかったので、全くのノーチェック、昨日友人から教えてもらってようやく知った次第です。

おはづかしい・・・・。

上映スケジュールは下記の通り。

1月12日(金)15:00~、 1月28日(日)13:00~

12日はお仕事で観に行けませんが、28日には馳せ参じようと思います。

2006年11月17日金曜日

『博奕打ち』DVDリリース

〔橘ますみ〕


まだ風邪が癒えていないのですけれど、「誰も書かなきゃオレが書く!」の橘ますみたんネタ。

来たる21日、「博奕打ち」シリーズ第1作にして橘ますみたんの記念すべき映画デビュー作『博奕打ち』のDVDがリリースになるざます。

本作でのますみたんは飛田の女郎役。
桜町弘子の妹分ですが、2人まとめて上海に売られちゃいます。

鶴田浩二のお気に入りだったますみたんは、後にシリーズ第3作『博奕打ち 不死身の勝負』でヒロイン役も演じているんですけれど、せんきち個人の好みとしては第1作のますみたんの方がおきゃんで好きです。

とりいそぎ、お知らせまで。

2006年11月13日月曜日

再び中休み:来る者、去る者

〔しようもない日常〕


ご無沙汰しております。
ここ数日の冷え込みのせいで、風邪を引きますた。
だもんで、再び中休みに突入でおます。
小ネタをちょっとだけ。

1、こんにちわ

東洋の貴婦人「ペニンシュラ」を東京に 香港上海ホテルズCOO ピーター・C・ボーラーさん(53歳)

先々週の土曜日、『朝日新聞』朝刊「be business」に掲載された記事でおますが、ペニンシュラ東京が建つ場所って、旧の日比谷パークビル、つまり、日活国際会館のあった場所なのですねえ。

1955年、『東京‐香港 蜜月旅行』の日本ロケ(のついでに、『菊子姑娘』なんかの日本ロケもこなしたらしいけど)のため林黛や厳俊等が来日したさい、ちょうど別の映画の日本ロケ(おそらく新華の映画じゃないかと思いますが、作品名は不詳)で来日していた王引や高寶樹等と合流、日活国際会館前で写した集合写真が『東京‐香港 蜜月旅行』香港公開時の特刊に掲載されています。

『東京‐香港 蜜月旅行』は國際(正確には衛星会社である國泰)と松竹の合作、そして新華作品はおそらく東宝がイッチョカミしているであろう点から見て、そのどちらにも日活はノータッチなのですが、滞在先には国際会館階上にあった日活ホテルを利用していた、ということなのでしょうか。

いずれにせよ、その後その土地に香港随一のホテルであるペニンシュラが進出することになろうとは、林黛や厳俊、王引等は思いもしなかったに違いありません。

土地に歴史あり。

2、さようなら

香港のスターフェリー、埠頭が移転

昨日の朝のNHKニュースでもやってましたが、中環天星碼頭というと思い出すのが『香車美人』で葛蘭と張揚が待ち合わせをするシーン。
この映画でも観ながら往時の中環天星碼頭でも偲ぼうと思っていたら、誰かに貸したまま返って来ていないのかVCDが見当たりません。

(業務連絡:せんきちから『香車美人』のVCDを借りた方、大至急メールを下さい)

仕方なく(でもないけど)、次善の策として『東京ギャング対香港ギャング』のビデオを引っ張り出してきて鑑賞。
この映画は、高倉健と内田良平を乗せたスターフェリーが中環に着くところから始まります。

というわけで、風邪が治るまでしばしのご猶予を。

付記:日比谷パークビルと言えばアメリカン・ファーマシー。が、ここってトモズと同系列だったのね。知らなんだ。

2006年11月8日水曜日

中休み:越後のもみぢ

〔しようもない日常〕

クマったなあ。

今日はちょいと中休み。
週末、母の郷里(新潟・南魚沼)へ行ってきたので、そのお写真でも。

里の方はまだでしたが、山の方は紅葉がたけなわ。
越後の短い秋を満喫いたしました。
この後、長い雪の季節に入る・・・・はずなのですが、今年はいつまでも暖かいので、雪が降り始めるのは例年よりも遅くなることでしょう。

母の実家近辺。
田んぼしかありません。


とあるダム湖の奥に位置する渓谷を散策。
落石覚悟で奥へと分け入ると、紅葉と滝が眼前に。


青い空、白い雲、薄の穂、そして紅葉。


淋しき停車場。


散策後は、山間の温泉宿に荷を解きました。

温泉のある村は、祖父(父方)の故郷。
祖父は昭和12年(1937)に中国で戦死しましたが、土しか帰ってこなかったそうです。
日中戦争が勃発した昭和12年の時点で既にお骨が帰ってこなかったというのは驚きという他ありませんが、おじいちゃんは文字通り「中国の土」になったのでした。

どこに眠っているのやら。

2006年11月3日金曜日

アフリカの熱帯雨林にゐました (その弐)

〔しようもない日常〕

日光に空港はありません(ロケ地:新宿)。

台湾から友人がやって来るというので、「温泉に行きたい」という彼女のため情報収集にせっせと励んでいたら、「ここもいいわ」「あら、ここも捨てがたいわね」と迷い始めて袋小路に。
たかが温泉宿1軒探すのに、へとへとになっております。

では続き。

10月26日(木)

『八月的故事(八月的故事)』
2006年、香港。麥婉欣監督。田原、藤岡竜雄、張詠恩主演。

香港電台製作のテレビ用作品(30分枠)の拡大版(62分)。
テレビで放映された分は、こちらで観ることが出来ます。
せんきち的には王菲の『紅豆』に尽きるかな、これ。
後ほど30分の方も観て、どこがどう増えているのかを確認してみようと思いますけど、大人になってからの3人というのは蛇足の感あり。
ディーン・セキ、じゃなくて、ディーン藤岡(なんだかデューク東郷のぱっちもんみたいだ)は、杭州から修業にやって来た青年で、ゆえに広東語がちょっとおかしいという設定になってましたが、北京語もけっこう癖があるので、ま、杭州あたりが妥当な線でしょう。
田原の広東語が変なのは、あれは、どういう原因になってたんでしょうか。
田原の稼ぎの悪いお父ちゃん役で葛民輝が出てました(プロデュースも)。

(於:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン1)

『父子(父子)』
2006年、香港。譚家明監督。郭富城、楊采妮主演。

父子共依存映画。
ろくでなしのお父ちゃんにどこまでもついて行く哀れな息子は、きっと「僕がしっかりしなくちゃ。お父ちゃんが仕事をするようになれば、きっとお母ちゃんも帰ってきてくれる」とけなげに思ったんでしょうけれど、一緒にいたら駄目になって行くだけの関係なんだよ、あんたたちは。
さすがに耐えられなくなって家出したお母ちゃんの許を訪ねていくと、お母ちゃんは別の男(アーロン二役。なんだかんだいっても、似たような男を好きになるってことなんだろか)と再婚してお腹にはその男との子供が。
おまけに甘えて泣く息子に向かって、お母ちゃんは「お腹に子供がいるから」と最後通告。
終盤、息子がお父ちゃんに向かって言う「ママは僕を捨てたんじゃない。パパを捨てたんだ」という台詞は、自分に言い聞かせるためのものだったんでしょう。

私の父親もこのお父ちゃんと似たようなもんで(泥棒しろとは言われなかったが)、ろくでなしの大バカ男でしたが(まだ生きているので父子バトルは現在進行形)、それだけにあのオチには釈然としないものが残りました。
あれじゃ息子が可哀相過ぎるし、言っちゃあなんだがああいう人間は根っこまで腐ってるから、どこまで行っても更生することなんかないと思うよ(多分にうちの親父を基準に考えております)。
それでも父親の姿を見届けたい息子の気持ちは、徳光さんに聞いてみないとわかんないなあ。

いつもながら場末臭プンプン(褒めてるのよ)の秦海璐と、映画初出演ながらどこにでもいるふつーのオバサンをごく自然に演じていた許茹芸といった脇役陣が印象に残りました。
特に許茹芸なんか、ティーチインのときにわざわざ「自分は台湾の歌手で」とか自己紹介してたよ。
知らない人が観てマレーシアのおばさん華人女優と思われるのを恐れたんだろうか。

どうにもやりきれない映画ではありましたが、映像はものごっつう綺麗でした。
余計やりきれないな。

(於:シアターコクーン)

(つづく)

2006年10月30日月曜日

アフリカの熱帯雨林にゐました (その壱)

〔しようもない日常〕

止まって下さい。

お久しぶりです。
誰からも呼ばれていませんが、しつこく帰ってきました。

いつもはヒマーなお仕事がこの時期に限って忙しくなり、その上東京国際映画祭見物も重なり・・・・で、ちいとばかしごぶさたしてしまいますた。
というわけで、まずは在庫一掃とばかり、東京国際映画祭で見物した映画のメモでも。

10月25日(水)

お仕事の関係で映画祭参戦が遅れに遅れ、週も半ばになってからようやく参戦。
この日は昼間に1本観てから一旦帰宅して仕事の続き&夕食の支度を済ませ、その後もう1度外出して2本観ました。

『アリスの鏡(愛麗絲的鏡子)』
2005年、台湾。姚宏易監督。 謝欣穎、歐陽靖、段鈞豪主演。

女の子同士(曉鏡と阿咪)のカップルに1人の男(小豪)が介在することにより、2人の関係に亀裂が生じ始めるんですけど、阿咪が小豪のことを好きになったために曉鏡が嫉妬しているのかと思いきや、実は小豪は曉鏡の元カレ(カレだよ、カレ!)でしかも今でも未練たっぷりということがわかった時点であっしの頭は大混乱。

あんたら、ゲイなのか、バイなのか、それとも彼氏がいない間の場繋ぎに女の子と付き合ってみましたー!なノンケなのか、一体全体何者なのさ?

まあ、百歩譲ってバイだったとしても、たった1人の男のせいでこんなにもあっけなく関係が壊れてしまう女同士の絆って何なんでしょう。

斎藤綾子でも読んで、出直して下さい。

(於:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン2)

『I'll Call You(得閒飲茶)』
2006年、香港。林子聰監督。 方力申、梁慧嘉主演。

タカビーわがままギャルともてない君のカップルがすったもんだの末、別れてからようやくお互いの大切さに気付くもののなかなか本心を言い出せず・・・・といったお話ですが、もてない君とその親友たちの(男3人の)濃密な関係を見ていると後半の林家棟の台詞じゃないけれど、やっぱりこれなら彼女なんて必要ないよなあと思い、ひょっとして、これは隠れたゲイ映画なのでは?などとも思ってしまいますた。

(於:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン2)

『永遠の夏(盛夏光年)』
2006年、台湾。陳正道監督。張孝全、張睿家、楊淇主演。

男同士の絆に女性が介在してそこからストーリーが展開するというパターンは『アリスの鏡』と似てなくもないけれど、こちらは幼馴染の親友の片方(正行)が片方(守恆)に片思いして、その片思いしている男の子(正行)に女の子(惠嘉)が恋をするものの彼の秘密を知ってしまい、で、思われている方の男の子(守恆)は女の子(惠嘉)のことを好きになって2人は大学入学後に付き合い始める・・・・という比較的受け入れやすい流れ(ありがちといえばありがちですが)。

ただ、守恆が正行とベッドを共にしながらそれでもなお「お前は俺の1番の親友だ!」と言い続けるその姿には、かなりの違和感が・・・・。
守恆の方がイニシアチブ握っていたにも関わらず、だよん。
親友を失いたくないという思いはわかるんですが、でも、そこまでやるか、おい?

正行の秘密を知りながらも彼を見守り、その後彼に対する罪の意識を抱きつつ守恆と付き合う惠嘉が男2人よりも魅力的でした。

(於:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン5)

(つづく)

2006年10月22日日曜日

茶呑み話のつれづれに

〔ちょっとお耳に〕


今日は他愛のない雑談ネタでも。

1、ひばり in 台湾

昨晩(21日)、テレ朝で放映された美空ひばりのスペシャル番組において、ひばり(雲雀)の台湾公演(1965年)に関するエピソードを取り上げていましたが、わたくしが美空ひばりが台湾でも公演を行っていたことを知ったのは今から17年前のこと。
彼女の死後刊行された写真集の中に国賓大飯店のバルコニーから手を振るひばりの写真が掲載されており、「へえ、ひばりって、台湾でも公演をしていんだ」と思ったのでした。
その後歳月は流れて2004年、台湾の超太っ腹デジタルアーカイブ「國家文化資料庫」で尤敏の資料を漁っていたわたくしは、ふと、「あ、そういえば、ひばりも台湾公演していたんだよな。それならここにも何か資料があるだろう」と思い、「美空雲雀」で検索したところ(UTF-8なので日本語入力でOK)、そこには台湾公演のさい松山空港に降り立ったひばりの映像が残されていました。
テレビでは「日本初公開」と銘打って放映されたこの映像、ネット上ではいつでも閲覧することができます。
見逃した方は、ぜひ國家文化資料庫にアクセスの上、美空雲雀で検索してこの貴重な映像をご覧になってみて下さい。

ところで。

昨年の東京国際映画祭で上映された台湾映画『月光の下、我思う(月光下、我記得)』では、日本語世代の母親(楊貴媚)が美空ひばり好きという設定になっていましたが、残念ながら著作権のこともあってひばり自身の歌声が流れることはありませんでした。
そのとき監督(林正盛)に伺ったところによると、やはり「お金の問題」が一番ネックになったとのこと。
パチンコもいいけど、こういう映画で曲を使わせてあげる方がもっと効果的だと思うんだけどねえ。

2、渡鬼は続くよどこまでも

「岡倉のお父さん」藤岡琢也さんが死去

この日は奇しくも坂口安吾生誕100年の日。
なにゆえに安吾かといえば、坂口の夫人・三千代さんの手記『クラクラ日記』のドラマ化作品(TBS。毎週水曜21:30~22:30〔水曜劇場〕。1968/1/31 ~ 1968/4/24。13回)で安吾を演じたのが藤岡琢也だったからなのです。
三千代夫人を演じた若尾文子はともかく、藤岡琢也の安吾というのはちょっと想像がつきません。
今年は生誕100年ということで「坂口安吾映画祭」(っても、5本きりなんだけど)も開催されているようですけど、せっかくの機会なのですからこのドラマの映像でも発掘上映してほしかったところです。

ジャズ好きだった藤岡さんがかつて(25年ほど前)司会をしていた月いち番組(土曜深夜) 『ミッドナイト・ジャズ』も好きでした。

とにもかくにも合掌。

それでも渡鬼は続く。

3、いろいろあります

17日の記事で取り上げた台湾歴史博物館の映像資料
よくよく調べてみたら、記録映画だけでなく、劇映画やアニメもありました。
わかった範囲でメモしておきます。

『海底王』=『海底王キートン』
『生活之歌』=『動物となり組
『生活之歌』(全八第一~第八)=『生活の歓び
『砂煙り高田のグラウンド』=『砂煙高田のグランド
『森のお醫者と白衣の勇士』=『森とお医者と白衣の勇士
『第二出發』(全八第一、第六~第八)=『第二の出発
『明サ行く純愛の一夜』=『明け行く純愛の一夜

『明サ行く純愛の一夜』ではカタカナの「サ」とひらがなの「け」を間違って用いていますが、日本語のわかる人ならこれでは意味が通じなくなるとすぐに気付くはず。
ひょっとして、デジタル化に関わるスタッフの中に日本語を解する人がいないのではないかという、一抹の不安が・・・・。

4、花と竜
これも少し前、1日の記事で『純情きらリ』のオチに対して、「どうせなら、(あおいちゃんが)ピン子にのりうつってほしかったよ」と書いたことに関する捕捉。
わたくしがこう書いたのも、あながち根拠のない話ではございません。

『純情きらリ』は、音楽家を目指しながらも時代に翻弄され夢かなわず若くして亡くなったある女性の一生を通じて、

意味のない人生なんてない。

ということを訴えようとした作品でしたが、これって実は『純情きらリ』の前にやはり浅野妙子脚本・宮﨑あおい主演で放映されたドラマ、『ちょっと待って、神様』の平凡な主婦・竜子(泉ピン子)の姿を通して既に提示されていたテーマなのであります。
天国へ行った桜子がみんなを見守っているというラストも、『ちょっと待って、神様』で秋日子(宮﨑あおい)が「きっとおばさん(竜子)が見守っていてくれる」と、竜子の存在を感じるラストを想起させるものでしたし。

そう考えながら改めて『純情きらり』の桜子を観察してみると、桜子ちゃんって、なんだか秋日子の身体を借りた竜子のキャラに似ています。

いつも前向きで、ひたむきで、ちょっぴり(かなり?)おせっかいで、自分のことよりも家族のことばかり考えている。

宮﨑あおいは、この後再来年の大河ドラマ『篤姫』で主役を張りますが、このドラマの脚本もてっきり浅野妙子が書くものだと思い込んでいた不肖せんきち、二度あることは三度あるとばかり、

意味のない人生などないのじゃ。BY:篤姫(はあと)

のようなオチにならないようにしてもらいたいもんだ、と危惧していたら、何のこたあない、これは別の方(田淵久美子)が書くんですね。
でも、放送前情報に、


大河ドラマ「篤姫」は、時代に翻弄されながらも、自らの運命を前向きにとらえ力強く生き抜いた“薩摩おごじょ”の一生


とあるからには、やっぱり『純情きらり』の延長線上に位置するドラマになりそうな予感。
これじゃまるで、『ちょっと待って、神様』→『純情きらり』→『篤姫』と、

宮﨑あおいの成長小説

を見せられているような気分ですわ。

和宮との嫁姑バトルはあるのか?

2006年10月19日木曜日

心有千千結 (The Heart With A Million Knots)

〔えいが〕

互いに反発しながらも惹かれあう2人なのでありました。

1973年、台湾(大衆)。李行監督。甄珍、秦祥林、葛香亭主演。

遅ればせながら、「侯孝賢映画祭」勝手に協賛企画。
侯監督が監督として一人立ちする以前の作品を取り上げてみますた。
一応、手持ちのソフトが何本かあったのですが、有力候補は「甄珍&秦祥林」もしくは「林鳳嬌&鍾鎮濤」の組み合わせで、せんきち的には「林鳳嬌よりも甄珍の方が好き」だったのと、どうせなら最初期の作品にした方がよかろうとも思い、この作品に決定いたしました(男優はハナから無視)。

本作では記録を担当。

でもせっかくですので、他の作品のクレジットだけでもご覧下さい。

『悲之秋』(助監督)。
王童が芸術指導。

『早安台北』(脚本)。

『天涼好個秋』(脚本)。

同上(助監督)。

本作は瓊瑤作品の映画化です。
超おおざっぱなストーリーは下記の通り。

看護婦の江雨薇(甄珍)は、気難しく癇癪持ちの孤独な富豪・耿克毅(葛香亭)の担当となりますが、誠意を以て患者に接する雨薇を耿は気に入り、自分の専属看護婦として自宅に招きいれます。
耿には3人の息子がいましたが、長男と次男は父の財産をあてにするだけで父子の間には諍いが耐えませんでした。
一方、三男の若塵(秦祥林)は正妻の子ではなく、耿と彼の秘書との間に生まれた息子でした。
秘書は息子の将来を考えて我が子を耿に託して自分は身を引き、若塵は耿の家で育てられるものの、家族の仲はうまくいきませんでした。
ある日、耿に結婚を反対された若塵は出奔、それっきり消息を絶ってしまいます。
3人の息子の中で若塵を最も気にかけていた耿は、何とかして若塵に戻ってきて欲しいと願っていましたが、雨薇の尽力によってようやくそれが適い、父子は再び共に暮らし始めます。
が、これに不満を持つ長男と次男が何かと干渉するようになり、その最中、耿は発作を起こして倒れ帰らぬ人となります。
死後、弁護士によって耿の遺書の内容があきらかにされましたが、それは意外なものでした・・・・。

登場人物を見ればおわかりの通り、紆余曲折がありつつも甄珍と秦祥林が結局はピッタンコくっ付くというお約束のキャスティングなんですけど、秦祥林は生身の甄珍を愛しているというよりは、甄珍に母親の面影を見ているという傾向の方が強いので、最後に立派な青年実業家となった秦祥林が甄珍と再会する件は、

ママ、見てみて!僕、こんなに成長したんだよ!

と母親からの承認を求める元不良息子のようにも思えました。

同じように、葛香亭が甄珍を気に入るのも、彼女を娘のように感じてというよりは無意識の内に妻や愛人の代わりを求めているような感じで、もしもこのお父さんがもうちょっと若くて元気だったら、父子と甄珍の三角関係成立!な展開になったであろうと容易に推測できます。

看護婦っていう職業がまた母性を象徴するような職業ですしねえ。

ついでに言うと、秦祥林の生母は葛香亭からは何も求めることをせず、自らは日陰の身に甘んじ、ついには息子を父親に託して異国の地(日本)で淋しく死んでゆくという、どこまでも男にとって都合のいい女に描かれています。
何ゆえに葛香亭とこの女性が愛し合うに至ったのかという、肝心の経過が全く描かれていないだけになおさらです。
それがまあ当時の愛人としてのあるべき姿だったのかも知れませんが。

映像的にはプロデュースを担当した白景瑞の生霊が李行にのり移ったのか(六条御息所じゃないんだから)、かなり過剰な描写が目白押しで、特に葛香亭が発作を起こして倒れる件は一言「くどい!」と叫びたくなりました。

顧嘉煇の音楽は、同時代の日本のテレビドラマにクリソツ。
思わず岡崎友紀の顔が眼に浮かびました。

ところで。

侯孝賢映画祭のパンフに掲載されたインタビューの中で、監督が海外からの帰国組に大変影響を受けた旨のコメントがありましたが、侯監督のような土着のたたき上げ組と楊徳昌をはじめとする帰国組、これに張艾嘉のような香港組が加わっての台湾ニューシネマという構図は、ちょうど李行の世代、つまり1960年代から70年代にかけての台湾の北京語映画全盛時代にも当てはまるような気がします。
すなわち、李行(たたき上げ組)、白景瑞(帰国組)、李翰祥、胡金銓(香港組)という構図がそれで、歴史は繰り返すということなのでしょうか。
となると、また同じようなムーブメントが(台湾映画に)やって来るのかしらん?

2006年10月17日火曜日

片格轉動間的台灣顯彰

〔ちょっとお耳に〕

お金には縁がないので。

今日の『朝日新聞』朝刊。
「週刊アジア」の隅っこに、


植民地時代語る映像
【台北】台湾歴史博物館は、日本の植民地時代に台湾で上映された記録映画などのデジタル化を進めている。本数は約170本。台湾内の収蔵家から買い取って、カビが生えていたり切れていたりしたフィルムを手作業で修復した。修復が終わった作品を、このほど博物館のホームページで公開を始めた。(後略)


とあったので、早速探索してみました。
ちなみに、台湾歴史博物館は台北にある国立歴史博物館とは別物。
台南にて目下快感、じゃなくて、開館準備中のおニューの博物館でおます。
台北は大陸、台南は台湾、という棲み分けなのかしらん。

かんじんの映像資料は、「片格轉動間的台灣顯彰」というコーナーにありました。
公開済みの作品リストはこちらになります。
リストによると、全部で168本あるみたいですけど、70本ほどはすでに公開されている模様。

國家文化資料庫もそうですが、こうやって貴重な映像資料やら画像資料やらを気前よくドーンとネット上で公開してくれるのは、外国に住む者にとっては何ともありがたいことです。

これからゆっくり観てみます。

2006年10月15日日曜日

反省だけなら猿でもできる

〔しようもない日常〕

これは香港版日本でも発売されるようです。

毎日暴飲暴食のせんきちです。

昨日はシネマヴェーラ渋谷で『風が踊る(風兒踢踏踩)』を観た後、いったん銀座へ行って友人が出展している書の展覧会を鑑賞、それからまた渋谷へ戻って別の友人と『HHH:侯孝賢(HHH:Portrait of Hou Hsiao-hsien)』を観てから夕食へ。

が。

その友人もわたくしも大変な酒飲みゆえ、必然的に酒が主でつまみは従という結果になり、帰り際、勘定書きを見たら、

席料:400円(1人200円)、つまみ代(4品で)2590円

なのに対して、

酒代:4400円

になってましたわ。

これでもセーブしたんだけどねえ。

これからは酒代の安いところで飲むようにします(とりあえず反省)。

ところで。

シネマヴェーラの受付で1200円というそこそこお手頃な値段で販売されていた『百年の恋歌 侯孝賢』なる今回の映画祭のパンフレット、ざっと目を通してみただけでも黙って見過ごすわけには行かないいくつかのミスを発見。

1、まず最初のインタビューの3頁:「ホウ・シャオシェン監督の作品は、日本では1988年に第7作目の『童年往事‐時の流れ』(85)が最初に公開され、そしてその後遡る形で全ての監督作が劇場公開されています」とありますが、これは前にも取り上げた通り、1984年の『坊やの人形』の公開(10月6 ~7日広島映像文化センター、10月18~11月4日東京下北沢・鈴なり壱番館、11月1~5日名古屋シネマテーク、11月16~17日大阪浪速開放会館)を全く無視した発言。
しつこいようですが、この事実を敢えて無視するのであればその根拠(例えば「1984年のそれはいわゆる『自主公開』と看做されるので『一般公開』とは区別した」ですとか)を示してほしいところです(『坊やの人形』日本公開の経緯に関しては、こちらをご参照下さい)。
2、同じくインタビューの4頁:《光陰的時光》は《光陰的故事》のことでしょう、きっと。
3、侯監督のプロフィール(60頁):「国立芸術学院」(現・台北芸術大学)とあるのは「国立芸専」(現:台湾芸術大学)の誤り。国立芸術学院の卒業生は呉倩蓮や陳湘琪ら。
4、侯監督のフィルモグラフィ(61頁):出演作品の欄に「1986年『ソウル』(監督:舒琪)1986年『老娘夠騒』(陶徳辰)」とありますが、『ソウル』の原題が『老娘夠騒』であるのはご周知のとおり。よって、後者のタイトルは正しくは『福徳正神』。

いくらお手頃値段だからといって、校正には万全を期してほしいものです。

そういや、わたくしが銀座へ行っている間、シネマヴェーラでは『フラワーズ・オブ・シャンハイ(海上花)』カンヌバージョンを上映していましたが、あんなに女性客の含有率が多く、また、女子トイレに行列が出来ているシネマヴェーラというのを、あたしゃ初めて見ましたよ。

トイレは空いてるほうがいいね。

2006年10月13日金曜日

人斬り観音唄

〔えいが〕

音楽はこちらで聴けます。

1970年、東映京都。原田隆司監督。菅原文太、大木実、若山富三郎主演。

本題に入る前に、例によって前置き。

8日の記事で、

常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾート・ハワイアンズ)の椰子の木は、台湾からやってきた。

と書きましたが、その後、知人のKさん(こないだ桜鍋を一緒に食べに行ったKさん。台湾系華僑)がなんとわざわざスパリゾート・ハワイアンズに問い合わせてくれた結果、それはあくまで映画(『フラガール』)の中での話で、じっさいには、

鹿児島、宮崎、沖縄から持ってきている。

とのことでした。

考えてみりゃ、そりゃそうだよな、いざ輸入するとなったら検疫とか大変そうだし。

ところで、せんきちが子供の頃、常磐ハワイアンセンターへ行ってきたご近所の方からよくお土産に頂いたのがメヒコのシーフードピラフ。


当時は、「すごいなあ。福島にはハワイだけでなくメキシコまであるんだ」と思ったものです。

でもなんでカニなんでしょ?

といったところで本題。

若山富三郎の『極悪坊主』シリーズで、主人公・真海にしつこく付きまとっていた宿敵・了達を主演に据えた外伝なのですけれど、せんきち的には了達が

拳法と鞭の使い手

であるところから、「早すぎたカラテ映画」ではないかと考えている作品でおます。

鞭といえばこの映画
佩佩ちゃんと文太のムチムチ対決!


内容的には、了達に付き従う小坊主・林太郎(念のために申し添えると2人とも盲目)の母親探しや、林太郎の目の治療といったメインの要素はいつの間にか雲散霧消してしまい、通りすがりの琉球人を助けるという行きがかり上引くに引けなくなったお話のみ解決、というなんだか消化不良な映画なんですが、とりあえずはひたすら鞭を振り回し、敵に目潰しや飛び蹴り(これが拳法なのか否かは意見の分かれるところでしょうけれど)を食らわす文太の根暗なアクションに注目!ということでよろしいのではないかと。

この映画では琉球人を騙す悪い日本人とそれを救う主人公という構図ですが、その他の仁侠映画でもアイヌや満州の中国人といった異人さんが悪い日本人に迫害されていると、主人公がそれを救う、といったパターンがしばしば見受けられます。
ただ、どちらかと言えば主人公の立場(正義)をより強めるための設定で、人種問題がどうこうというものではないと思うのですけれど。

若山富三郎は、ここでは大酒飲みの目医者(自称:ヘボンの弟子)役で登場。林太郎の目は治る見込みがあるとの診察をするものの、治療のための勉強をしにドイツへ行くとかで、あっさり退場。
いつもシーバスリーガルをラッパ飲みしていますが、その時代(1877年)にはまだシーバスリーガルはなかったはず(1891年誕生)。

その時代になかったといえば、拓ぼんと同じぐらい目立っていた福本清三の髪型もその時代には・・・・。

色黒(エログロじゃなくて)坊主の文太の横顔、誰かに似てると思ったら、古天樂でしたわ。

2代目了達、よろしく。

2006年10月11日水曜日

2人合わせて李香蘭

〔しようもない日常〕

どうもここんとこ身体の調子が悪くて困ります。
特にお肌が・・・・。
お肌が不調だと気分までユーウツになってしまいますわ。

そんなわけで、今日はつまらない日常雑記。

先月末から、テレ東深夜の「シネ・ラ・バンバ」枠でコソーリ悦ちゃんの『女必殺拳』シリーズが放映されています。
先週は、シリーズ2作目の『女必殺拳 危機一発』でした。


第1作では兄が犠牲になった悦ちゃん扮する李紅竜ですが、本作では姉が犠牲に。
思わず「あんたのおかげで一家全滅」と言いたくなりますけれど、姉を演じていたのがこちらでも何度か取り上げております光川環世こと李月隨さん
役名は李白蘭。
姉妹2人で『紅白歌合戦』ができそうな名前です。
また、音的には、

姉:りびゃくらん
妹:りこうりゅう


で、2人の名前をいいとこ取りして合体すると

りこうらん

になるという、すてきな仕掛けが施されております。
たしかお兄さんの名前は李万青でしたから、3人合わせるとあら不思議、


フランス国旗の出来上がりです。

李紅竜を助ける謎の男・『アンコ椿は恋の花』の椿俊輔(実は香港人)を演じていたのが、倉田さん。
いつも口笛で『太湖船』を吹いていますが、これはやはり倉田さんご自身のアイデアでしょうか。
血なまぐさい陰謀にのどかなメロディーがミスマッチというか、いったいこの人は強いのか弱いのかわからない、得体の知れない謎の男であることを印象付けるという意味では効果的な選曲なのかもしれません。
『香港の星』では、難民診療所の待合室で女の子が歌ってた曲なんですけどね。

強いのか弱いのかわからないと言えば、敵役の本位田3兄弟(猪一郎、鹿二郎、蝶三郎)と羅内幻十郎(力也怪演)も謎の男たちです。
一気にやっつけるのかと思いきや、肝心なところになると捨て台詞を残してさっさと退散、特に羅内幻十郎は暴れるだけ暴れたわりにはあっけなく殺されてジ・エンド。

先々週、先週と見逃した皆様、明日の深夜は第3作『帰ってきた女必殺拳』が放映です。
今直ぐ録画予約することをおすすめいたします。

2006年10月8日日曜日

ファイナル・ウォー (For the Cause)

〔えいが〕

お願いですから、もうこれっきりにして下さい。

2000年、アメリカ。デヴィッド・ダグラス、ティム・ダグラス監督。ディーン・ケイン主演。

猴、もとい、猿、じゃなくて、去る10月2日はミシェル・クルジーク(Michelle Krusiec 、楊雅慧)のお誕生日だったので、お祝いを兼ねて出演作のDVDを鑑賞しますた。

TSUTAYA onlineの商品説明には、


2XXX年。100年に及んだ世界戦争で地球は崩壊寸前だった。終結の見えない戦いに疲労しきっていた僅かに生き残った人類は宇宙へ未来を託す。そして人類は新たな希望を見出すため、地球から遠く離れた惑星に建造された2つのコロニーに移住したのだが…。
「ブリザード・ウォー」「U.S.シールズ」のヌー・イメージが描く近未来戦争アクション。監督・脚本・SFXは大ヒット作「スピード」でSFXを手掛けたデヴィット・ダグラスとティム・ダグラス。荒廃した未来の地球で、人類が繰り広げる戦いを描く。


とあり、一方、TSUTAYA DISCASでは、


『ブレイク・スルー』のディーン・ケインが出演した、宇宙を舞台に人類たちの最終戦争の恐怖を描く近未来戦争アクション。100年に及んだ世界戦争で荒廃した地球を諦めた人類は宇宙のコロニーで生活しているが、2つのコロニー間の争いは絶えなかった…


と紹介されていますが、他の惑星なんかにゃちっとも見えないし(寒そうな冬のアメリカにしか見えないよ)、近未来の話なのに兵器や装備はアナログだし、何より、この人たちがなぜ戦っているのかの理由が全く不明なトンデモ戦争映画。
一応、SFらしいんですけど、物好きな戦争ごっこを通じてもっともらしく反戦を訴えた映画というのが関の山でしたわ。

ミシェル・クルジークの役どころは、レイトンという名の戦闘プログラマー。
よく見るとガレッジ・セールの川ちゃんに似ているディーン・ケイン(Dean Cain)扮するマッド将軍の手先になって裏切り行為に走り、それがばれて射殺されてしまいます。
この戦闘プログラマー、魔女という別名の通り、魔法を駆使して敵を倒すこともできるんですが、彼女たちが後生大事に肩からぶら下げているメカがまたダサい。
博品館トイパークで売っているおもちゃ(対象年齢3歳以上)みたいでした。

何もかもがチャチすぎる内容とは裏腹な『ファイナル・ウォー』という大げさなその邦題、「お願いだから、こんな物を作るはもうこれっきりにして」という意味においては言いえて妙のタイトルであったと言えましょう。

ところで。

気になるミシェル・クルジークの新作ですが、タイトルは『トゥルー・ノース(True North)』。
共演は楊紫瓊とショーン・ビーン(Sean Bean)、監督はアジフ・カパディア(Asif Kapadia)。
堂々の主演ざます。

日本公開に期待しましょう。

上記の話題とは何の関係もないおまけ:先だって『フラガール』を観て、常磐ハワイアンセンターの椰子の木が台湾からやって来たことを知りましたが、松雪泰子演じるまどか先生のモデルとなったカレイナニ早川さんも台湾生まれだったんですね。

台湾発ハワイ経由いわき往き。

以前、海南島に行ったとき、いつも椰子の木と一緒にビンロウの木が植えられていたので「なんでいつも一緒なんだ?」と尋ねたところ、「椰子の木とビンロウの木は夫婦なので(椰子が雄でビンロウが雌)、だから雌雄一緒に植えるんだよ」と現地のお姉ちゃんが教えてくれたことがありましたが、どこでもそういう風な植え方をしているのでしょうかねえ。

2006年10月6日金曜日

鄧麗君もの2種

〔えいが〕

看板に偽りあり(こちらは香港盤)。


中秋節ですが、東京は大雨です。
不肖せんきち、お腹壊してました。
ビールの飲み過ぎかしらん。

橋本聖子議員、第3子は「とりの」君

web版ではカギカッコが付いていますが、紙面ではカギカッコが無かったもんで、うっかり

とりのきみ

なんて読んじまいましたよ。
「イタリアの街」というよりは「馴染みの焼き鳥屋」みたいなネーミングですけど、長男の名前は

亘利翔(ぎりしゃ)

なんですね。
まさに、

仏恥義理

なそのセンス、次の女の子の名前は

茶偉名(ちゃいな)

夜露死苦!

というところで本題。

鄧麗君関連の映画を2本観たので、記憶喪失になる前にメモ。

看見你就笑(Everybody Is Laughing)


1972年、台湾。陳洪民監督。鄧麗君、王莫愁、その他大勢。

こないだの台北からの帰りがけ、空港で買ったDVD
配給会社(金世紀)のクレジットはあるんですけど、製作会社がどうしてもわかりませんでした(「台灣電影資料庫」にもデータなし)。

「鄧麗君が出ているというフレコミのくだらない映画がある」という話はかねてから聞いていたものの、これがもう聞きしに勝るくだらなさ。
お金と時間の無駄なので、買わない方が身の為だと思います。

お話は民国初期、とある軍閥のどスケベ将軍をめぐるすったもんだを描いたベタ過ぎる喜劇ですが、中身のくだらなさに反してキャストは豪華。
王莫愁、唐寶雲、柯俊雄、歐威、秦漢、蒋光超・・・・等々、よくもまあこんな映画に出たもんだと思うような役者が勢ぞろい。
特に、王莫愁は将軍様の第一夫人役で登場頻度高でおました。
この時期の彼女って、なんだかリニューアル後の山本リンダに似てますわ。

テレサは狂言回しのような役どころ。
彼女の出てくる場面のみが現代です。

愛情一、二、三(Love Styles XYZ)

1971年、台湾(大衆)。李行監督。張美瑤、柯俊雄、歐威、林嘉主演。

タイトルを読んでピンと来る方も多いと思いますが、あの曲が主題歌の映画
3話からなるオムニバスで、第1話はプレイボーイ(柯俊雄)と付き合った純情娘(張美瑤)の恋の行方、第2話はオートバイ修理工場の主人(歐威)が起こした詐欺事件とその妻(張美瑤)との偽装離婚の顛末、第3話はオールドミス(林嘉)と男やもめ(歐威)の恋にオールドミスが勤める歯科医の医者夫婦(柯俊雄、張美瑤〔歐威の妹という設定〕)の離婚騒動が絡む、というもの。

大人のラブコメを狙った感じのお話でそこそこ楽しめましたが、何より、柯俊雄と張美瑤の役柄にその後の2人の姿を重ね合わせてしまい、映画の中身よりもそっちの方が気になってしまいました。
第1話ではいやがる張美瑤を追い回す柯俊雄が色魔みたいでしたし、第2話では張美瑤を寝取る男の役が柯俊雄、第3話では喧嘩ばかりしている夫婦という設定でしたしねえ。

第3話で歐威と林嘉が恋に落ちるきっかけとなる、その舞台は停電中のエレベータ。
どこかで見たようなパターンです。

この時期、台湾の男優と言えば柯俊雄か歐威かといったあんばいで、本作でも2人仲良く共演していますが(2人とも本省人で台湾語映画出身)、このわずか2年後に歐威は亡くなってしまうわけでして、その早すぎる死が改めて惜しまれます。

2006年10月1日日曜日

デブを見ていた午後

〔しようもない日常〕

桜子の忘れ形見・きいち君は、長じて
立派な画家になりましたとさ。
めでたしめでたし(別人だよ!)。


じゃ、こっちか?(どのみち別人)

昨日最終回を迎えた『純情きらり』。
物語は一気に50年後に飛び、老けメイクをしたあおいちゃんが登場するのかと思いきや、胸を病んで

死んじまいましたしー!

不肖せんきち、数年前に年下の親友を突然亡くして以来、主要な登場人物が若死にする映画やドラマを観るとどーにもやり切れない気分になるので、これ以上の言及は避けますです。
どうせなら、そのままピン子にのりうつって欲しかったよ。

ということで、同じ日(つまり昨日ね)。
早朝から都内某所のチケットぴあにお友達と一緒に並んで東京国際映画祭のチケットをゲット(希望通り買えました)したせんきちはその足で両国国技館へ直行、

和歌乃山引退山分襲名披露大相撲(よーするに断髪式ね)

を観てまいりました。

本日の主役・元小結和歌乃山関。

国技館へ行くのは寺尾の断髪式以来。
4人マスを3人で使い、比較的余裕のある環境にて鑑賞。

花相撲名物の初切(しょっきり)では、口に含んだ水を吹きかける反則技やボクシング、柄杓で相手を殴る等のお約束のネタの他、

ハンカチ王子の物真似

が新たなネタとして加わっていました(いつまで通じるのか、このネタ)。

相撲観戦のさいの三種の神器。
ビール、焼鳥、すもうあんぱん。

十両の取組の後、いよいよ断髪となりますが、ここで髷切ってくれた人の数が多ければ多いほどご祝儀もガッポリなので、1時間近くだらだらと切り続け、途中にはお約束の著名人ゲストが登場。
一番の有名どころは吉川晃司、意外なところでは呉汝俊がチョメチョメ、じゃなくて、チョキチョキしておりましたわ。

チョキチョキする吉川晃司。


最後に師匠の武蔵川親方(ゴローちゃん)が留めバサミをいれて髷とおさらば、愛児3人からの花束贈呈を以て断髪は終了。
続いて幕内と横綱土俵入りがあってから幕内の取組、最後に整髪を済ませた和歌乃山改め年寄山分からのごあいさつがあるのかと思っていたのに、結びの一番(朝青龍対白鵬)が終わったらとっとと弓取り式。
ごあいさつは無しでした。

終了が午後4時と早かったので、同行のお友達と共に対岸の浅草橋駅までぶらぶら散歩。
両国橋を渡り、柳橋界隈をうろついてしばし江戸情緒に浸りました。

柳橋の舟宿・小松屋。
亀清楼も健在でした。

駅のそばのやなぎばし逸品會でお買い物してから、地下鉄で浅草へ。
逸品會のお菓子は、かつてよく長唄のお稽古場でいただいた思い出の味(2人目のお師匠さん。最初のお師匠さんのお稽古場での思い出の味は、花月のかりんとうや空也の最中)。

観音様にお参りをした後は、先だって行かれなかった神谷バーの2階へ。
ビールを飲みながら軽く食事をして、7時半頃おひらきとなりました。

観音様。

結局、だらだらと昼間から酒を飲み続け、それでいて悪酔いはしなかった1日でおました。

2006年9月29日金曜日

感恩歳月 (Honor Thy Father)

〔えいが〕


1989年、台湾(中影)。何平監督。午馬、鈴鹿景子(楊貴媚〔声の吹替〕)、馬景濤、石雋主演。

「王貞治監督病気平癒祈念企画」ですが、その前に少し別の話を。

先日亡くなった丹波哲郎、香港でも大きな扱いの記事が出ましたが、残念ながら『ならず者(雙雄喋血記)』に関する言及は無し。

『水滸伝(水滸傳)』の丹波さん。

この映画を観て『東京ギャング対香港ギャング』を観て『戦後秘話 宝石略奪』を観ると、丹波さんはマカオでひょっこり生きているのじゃないかという気がしてきます。

と、そんなおり、『ならず者』が上映されます(新文芸坐の「映画作法―澤井信一郎の世界」にて。中学生の頃、澤井監督にサイン貰ったことがあります)。
10月5日(木)平日1日限りの上映ですが、最終が午後8時50分からなので何とかその回だけでも観られないかなあと思っております。
ちなみに、明後日は『華麗なる追跡』と『0課の女 赤い手錠』の2本立。
これも見逃せません。

といったところで、本題。

1989年、台湾で製作された王監督の伝記映画(門間貴志氏の『アジア映画にみる日本1 中国・香港・台湾編』に詳しい解説があります)。
原作は、1984年に出版された王監督の母・登美さんの著書『ありがとうの歳月を生きて』。
王監督の父・仕福さんを午馬、母を鈴鹿景子、王さんの役は馬景濤が演じており、京都でロケーションが行われています。
脚本は、監督である何平と呉念眞の共同執筆。

実は1960年代半ばにも、王さんの後援会幹部である在日華僑の大物・劉天禄(東映の台湾における代理店・永昌のオーナー)が王さんの伝記映画を台湾で製作しようと計画、李翰祥監督に話を持っていったりしたのですが、結局製作されることはありませんでした。

映画は1986年の旧正月、王さんの回想という形で、自らの生い立ちから一本足打法の完成までを辿っていますが、物語の中心をなすのは常に王さんを見守り励ます家族と近所の人々との絆、そして荒川コーチとの師弟愛であり、とりわけ両親が王さんにそそぐ深い愛情を丹念に描いています。

草野球のヒーローだった王さんの試合を偶然見ていた荒川博(映画では高名なプロ野球コーチとなっていましたが、正確には当時はまだ現役選手)が、右打ちから左打ちにすることをアドバイスした話や、選抜大会で指に怪我をした王さんを父が中国の民間療法で治療した話、日本国籍でなかったために国体に出られなかった話、また、一本足打法を生み出すために行った日本刀を用いた特訓&畳の上での素振りで畳が擦り切れてしまった話・・・・等々、王さんのファンならば皆知っている超有名エピソード(せんきちも勿論知っております。子供の頃、大ファンでした)もきちんと登場しますが、父が中華人民共和国籍だったのに対し、父以外の家族は皆中華民国籍だったことや、仕福さんが1人だけで足しげく生まれ故郷の中国大陸へ里帰りしていたこと等は一切出てきません。
が、こうした複雑な事情は抜きにして、あくまでも王さんと彼を巡る人々の心温まる「ちょっといい話」にしている点は、ある意味無難と言えるのかもしれません。

王さんの父は周囲の日本人ときわめて良好な関係を築き(戦時中、罵倒される場面がありますが)、日本人も彼とその家族を支え続けますが、仕福さんは常日頃から日本人の信頼を得るために並々ならぬ努力をしていたらしいので、逆にそうまでしないと平穏無事に暮らせないのかなあとも思ってしまいますた。

終戦直後の東京ということで、王さんの実家である五十番(中華料理店)のかいわいは京都で撮影されていますが、映画の中で五十番のある場所は二年坂の角。
どこが墨田区なんだか・・・・。

一本足打法の生みの親である荒川コーチは石雋が演じているせいなのか、なんだか川上哲治並みの大家になっておりました。

それから、不思議だったのが五十番のラーメンのレシピ。
家族や師弟の絆を深める小道具としてきわめて重要な役割を果たすこのラーメンの具が、なぜか知らんけどトマトのスライス2切れと刻んだ葱なのよ(調理場にはトマトが山積。牛肉麺とごっちゃになってるような気が)。

あんまり食いたくないな。

付記:鈴鹿景子の吹替の声が楊貴媚にクリソツだったんですが、後でクレジット見たら「對白」のところに楊貴媚の名前が。やっぱり彼女だったのね。

映画と一緒にぜひこの本もお読み下さい。
後援会幹部が王さんと張美瑤を結婚させようと
していたなんていう驚きの事実も出てきます。

2006年9月25日月曜日

魔都・香港の密航ルートを探る

〔ちょっとお耳に〕

えー、約1週間のご無沙汰でした。
まだまだバテバテ中ですが、そろそろ再開いたします。

はじめにお知らせ。
メインサイト、超お久しぶりにおニューの記事を書きました。
某有名ブログではすでに取り上げ済みのネタらしいんですけど、ま、改めて仔細に検討ということで。

さて、本題。
前回に引き続き、今回も古本ネタ。
『週刊読売』1958年1月26日号の巻頭特集「魔都・香港を探る 読売記者の密航ルート潜入記」のご紹介。
この記事、大阪読売新聞社会部・曽我部道太記者が密航者に化けて香港に潜入、1ヶ月間彼の地に潜伏した、その間の取材記録であります。

先ず前段として、


神戸、大阪、横浜など日本の主要港湾都市を不良外人たちは"ハニー・ポート"と呼ぶ。密入国は思いのまま、荒かせぎは仕放題、そしてあぶなくなれば、いつでも"犯罪者の安全地帯"香港へ飛べるところから、このカゲ口が生れた。
だが、不良外人だけではない。ここ数年来日本人の犯罪者、ヤミ商人たちが港湾当局の目をかすめてヤミ船でドシドシ香港通いをしている。



なんていうセンセーショナル(でもないか)な現状を提示、続いて香港への密航の手段に関する記述に入ります。
曰く、

1、貨物船に荷物となって潜り込む。
2、客船の船員と結託して海上で落ち合い、こっそり船に乗せてもらう。
3、遠洋漁船に乗り込む。

の3種類の手段が紹介されていますが、このうち曽我部記者が選択したのは第1の方法。

1957年10月某日、関西の某港から貨物船に乗りこんだ曽我部記者の触れこみは、

欧州生まれの台湾人・李泰明

だったそうですけど、なぜわざわざ台湾語の出来ない台湾人に化けたのか、その理由は謎のまま。

約1週間後、香港に着いた船から無事脱出(脱出手段の説明もなし。この記者さん、肝心なところは全て省略する人のようです)して今度は香港市民に化けた曽我部記者をまず驚かせたのは、公称250人とされている在港日本人の人口よりもさらに多くの日本人が香港にいた、という事実でありました。
曽我部記者によればその人数は約1500人で、ほとんどが女性。
彼女たちは主にダンスホールの踊り子やマッサージ師として働いているものの、中には生活のため売春に手を染める者もおり、自分の意志で密航してきた者もいれば男に騙されて売り飛ばされた者もいるとの由。

記事中には密輸船で香港に売られてきた茨城出身の女性(王惠。日本名不詳)へのインタビューが掲載されていますが、そこには一緒に売られてきた友人のシゲ子はマカオに転売されて娼婦をしている旨の記述があり、『ならず者』の南田洋子もあながち絵空事ではないのだなあと実感いたしました。

この他、九龍城砦への潜入ルポや黒社会(三合会)に関するかんたんな解説もありましたが(14Kも登場)、当時すでに

香港には九龍城砦という一度入ったら生きて出て来られないとっても怖いところがあって、三合会というとっても怖いヤクザさんの組織がある。

という、この後大部分の日本人が共有することになる香港に対しての基本認識が出来上がっていたのには、正直びっくり(と言うべきか、がっかりと言うべきか)しました。

記事は曽我部記者のルポの後、「わたしたちの見た『香港』」のタイトルのもと、野村芳太郎や十返肇等々、香港を訪れたことのある著名人がコメントを寄せておしまいになりますが、気になったのは曽我部記者がどうやって日本に帰ったのか、そのことに関する記述が全くなかったこと。

先ほども述べたとおり、「肝心なことを省略する」傾向のある曽我部記者ですが、荷物になって潜り込んだのならば帰りも荷物にならなければならないはずで、そうでないのならば正直に警察に出頭して強制送還されたのか、あるいは領事館に泣きついたのか、それとも実のところは読売サイドからあらかじめ香港政庁に取材許可を申請済の、いわば出来レースによる密航だったのか、大きな謎が残る潜入取材でありました。

っつーことは、取材内容もみんなヤラセなのか?

2006年9月19日火曜日

長閑なることつつじの如し(意味不明)

〔ちょっとお耳に〕

これが問題の『明星』だ!

もっと前に書くはずだったネタを、今さら。

7月から8月にかけて東京のデパートでは古書展が開催される機会が多く、せんきちはこのうち銀座松坂屋、新宿京王、東急東横店のそれに足を運びましたが、そこで出会ったのが今回ご紹介する月刊『明星』1962年5月号。
不詳せんきち、『週刊明星』は尤敏の載っていそうな号について全てチェックしたのですが、月刊に関しては未チェックの号も多く(これもそんな1冊)、巻頭グラビアに尤敏が掲載されていたため、「日本一の尤敏ファン」を目指すせんきちとしては「速攻買い!」となった次第。

で、気になる記事の内容はというと、

尤敏のホリデー・イン・ジャパン

なるタイトルのもと、司葉子とツーショットで微笑む尤敏の写真と『香港の星』の北海道ロケの折のスナップが掲載されていました。


記事中には、


香港スター尤敏は今や日本のアイドルです。『香港の星』『社長洋行記』2本の東宝映画出演のため来日、わずか滞日1週間のいそがしいスケジュールでしたが、その間に、花と雪にいろどられた日本をエンジョイしました。
大の仲良しの司葉子さんと早ざきの山つつじの花咲く山の公園で、淡いピンク色の支那服姿も清らかな尤敏さんは、かわいらしい花々のような微笑をうかべて語りあいます。(以下略)



とあり、一瞬「おお、『香港の星』の時も司葉子に会っていたんだなあ」と思ってから、はたと気がつきました。

『社長洋行記』のスチール撮りと『香港の星』の北海道ロケのために尤敏が来日したのって、たしか2月だったはず(→たしかに2月でした)。

となると、もし仮に1962年の冬が記録的な暖冬だったとしても、こんな満開のつつじの中で写真撮影をするのは不可能になります。

そこで、再び仔細に写真を眺めてみると、おや?
司葉子が着ている服、これって、『香港の夜』の雲仙温泉の場面で着てた服じゃん。
それに尤敏の髪型、これはまぎれもなく1961年の髪型ざます(1962年はも少し短い)。

動かぬ証拠。

なんのこたあない、1961年の『香港の夜』雲仙ロケのさいに撮影した写真を流用しただけの代物でおました。

がっかり。

「本誌独占特写」なんて誇らしげに謳っちゃって、東宝からクレームは来なかったのかしらん。
映画の宣伝になれば何でもOKだったのでしょうかねえ。


今と違い、芸能マスコミがまだまだ長閑だった時代を偲ばせる記事でありました。

付記:当時の芸能人のファンレターの宛先って、今では信じられないことですがほぼ全てが「自宅の住所」。ストーカーなんていなかったんだろうか。