2006年7月28日金曜日

怪談おとし穴

〔えいが〕

夫です

1968年、大映東京。島耕二監督。成田三樹夫、渚まゆみ、三条魔子、船越英二主演。

ここ1週間ほど、謎の腰痛に悩まされております。
日曜日に整体に行って、昨日は接骨院で電気をかけてマッサージしてもらったんですが、

ますます悪化

しました。

後ほど、レントゲン撮ってもらいに整形外科へ行く予定。
週末、京都に行くんですが、ま、とりあえず今のところは直立歩行可能なので、だましだましやっていくことにします。

あ、そうそう、一昨日、ようやっと『異常性愛記録 ハレンチ』のチラシをゲットしました。
例の若杉英二のトイレ覗きシーンのスチールが使われていますが、若杉さん、映画の冒頭では自分が用を足すところを橘ますみたんに「見て」と懇願する、いきなり変態度250パーセントな所業をかましておられます(石井監督お得意の顔面アクション付き)。

12日が楽しみですね。

さて、本題です。

島耕二監督による、現代の怪談映画

以前ちょこっと触れましたが、香港に招かれた島監督が邵氏においてこれをリメイクしたのが『裸屍痕』です(史馬山名義)。
キャストで言うと、成田三樹夫が陳厚、渚まゆみが丁紅、三条魔子がたしか丁佩だったと思います(記憶違いだったらスマソ。丁佩と結婚するために丁紅を殺すって、どーなのよ!?)。
ストーリーはおおむね同じですけど、死体の処理方法が大幅に異なっています。
せんきち的には、オリジナルの処理方法の方がよいかと。

で。

オリジナルである本作ですが、徹頭徹尾渚まゆみがうっとうしい映画です。
生きてる時からくどくてビンボーくさくて下品なので、邪魔になって殺したくなる成田三樹夫の気持ちもなんとなくわかるような・・・・って、殺人を奨励しちゃいけないな(よいこのみんなは真似しないでね!)。

野心満々の成田三樹夫は、なんつーか、その、ヘアースタイルが・・・・。
今ならきっとここのCMにお呼びがかかるのではないかと。

オフィスビルという空間を使った現代の怪談という発想はそれなりに面白かったけれど、これでもかと話を引っ張り続けた割にはあっけないオチで、いささか拍子抜けいたしました。

せんきちは新東宝時代の三条魔子が好きなので、この映画の彼女には特に魅力を感じず。

というわけで、レントゲン撮ってきます。

(於:ラピュタ阿佐ヶ谷)

2006年7月24日月曜日

洋妞在北京

〔ちょっとお耳に〕

原語で読める方は・・・・。

本題に入る前に、昨日ちょっこし日台断交について触れたので、そのことに関する昔話なんぞを。

日本と中華民国が断交したのはせんきちが幼稚園児の頃でしたが、小学校6年生になったとき、たしか日中友好条約とやらが締結(だったか調印だったか)されて、学校のせんせーはそれを

とっても素晴らしいことだ!

と感激の面持ちで話しておりました。

が。

これに憤懣やるかたなかったのが、当時せんきちが通っていた剣道場のせんせー(バリバリの国粋主義者。職業:宮司)。
道場へ行くたびに、

日本人は蒋介石総統のご恩を忘れたのか!

という話を延々と聞かされたものでした。

ところがところが。

その後、中学生になったせんきちは社会科のせんせーが、

蒋介石は日本から賠償金を取らなかったと言ってる人たちがいるが、毛沢東だって取らなかったんだぞ!

と力説するのを聞き、いったいどちらを信じた方がよいものか、本当に困りはててしまいました。
よーするに、子供の頃のせんきちは、

日本人による国共内戦

に巻き込まれていたのでありましたよ。

さてさて。

先だって取り上げた『素顔の私を見つめて・・・(Saving Face)』の監督であるアリス・ウー(Alice Wu)、

向かって左から2人目の方。

次は何を撮るのか知らんと思い、ちょっくら調べてみたところ、

Foreign Babes in Beijing

なる作品であることが判明いたしました。

これ、原作はこんな本らしいんですけど、年内には日本語訳も出るみたいです。

っつーことは、北京ロケか?

翻訳が出たら読んでみます。

かなり期待できそう。

付記:ミシェル・クルジーク(Michelle Krusiec)の他の出演作を観たいなあと思ったら、おそるべし、You Tubeに映像大全が!

2006年7月23日日曜日

筧橋英烈傳 (Heroes Of The Eastern Skies)

〔えいが〕

とってもえらいひとたち

1977年、台湾(中影)。張曾澤監督。梁修身、李菁、金漢、陳莎莉、胡茵夢主演。

お腹壊しました。
もらった牛乳にやられたらしい。

国軍の全面協力を仰いで製作された抗日映画。
日中戦争初期の中華民国空軍の活躍を描いた作品です。
日台断交以降、台湾では抗日映画製作が奨励されたみたいですが、これもそんな1本。
日中戦争勃発後40年という節目の意味もあったのかしらん。
第14回金馬奨において作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、編集賞、録音賞を受賞しています。
こういう政治的な思惑満載の映画が主要な賞を獲っちゃうあたり、当時の金馬奨のあり様がよく伺えますわね。
ちなみに、特撮部門は三上睦男(特技監督)、川崎龍治(特技撮影)、鈴木昶(特技操演)と、日本鬼子(だって映画の中で連呼してるんだもん)が全面協力しております。

詳しい解説は門間貴志氏の『アジア映画にみる日本〈1〉中国・香港・台湾編』にあるので、それを読んでください(責任放棄)。

実在した空軍烈士たちのお話ですんで、主人公はこの方
演じていた梁修身は、古天樂も真っ青(真っ黒?)のガングロさんでした。

田野がいやーな日本軍司令官をやってるのはある意味予想通りでしたが、黄家達が日本軍将校役でものすごーくじみーに出ていたのはちと意外でした。
ほとんど台詞ないし、見せ場もないし、最後どうなったのかもわからなかったよ。

観ていてたまげたのは8月14日の戦闘における大敗の責任を取るため、いきなり直立不動のまま切腹しちゃう日本軍将校。
切腹のBGMは『さくら』でおました。

誰か介錯してやれ!

とはいえ、国軍兵士も負けていません。
日本の艦船に体当たり攻撃を仕掛けたり、爆撃を受けた飛行機を脱出、日本軍の陣営にパラシュートで降下した後、「生きて虜囚の辱を受けず」とばかりに、

中華民国万歳!

を叫んで自決したり、果ては銃後を守る奥様までもが、戦死した夫の後を追って入水自殺しております。

知らん人が観たら、「特攻」も「戦陣訓」も日本軍が国軍の真似をしたと思っちゃいそうだよ。

本作の中では勇敢なる国軍兵士の姿の他、軍人の妻としてあるべき姿も再三提示されており、主人公・高志航(名前からして空軍の申し子のようだ)は妻(李菁)にいつも、

お前は空軍の妻になれ。

と諭します。
夫に仕え、夫の親に仕え、家に仕え、軍に仕え、国に仕える、という銃後で出来る「忠君愛国」は、愛国心と聞いただけで気分が悪くなる当方にとっては、正直ぞっとするだけでしたわ。

ところで。

先だってちょこっと触れた8月14日の戦闘で好成果を得たことにより、その日はやがて中華民国の空軍節になるわけなんですが、実はおんなじ日に国軍の飛行機は上海市街地を誤爆、民間人の死傷者を出しています。
でも、映画ではそんなこときれいさっぱり無視、というか、未だに中国側(共産党、国民党共に)の見解じゃ、たしかこのこと(誤爆)は日本軍の仕業になっているはず。
自分たちにとって都合の悪いことを隠したがるのは、何処の国も同じでげすね。

2006年7月21日金曜日

やる気なし

〔しようもない日常〕

こないだBSでキャンディーズの特集やってた。
呆けた顔して全部観てしまった。
ランちゃんと一緒に
「本当に、わたしたちは幸せでした!」
と叫んじゃったよ。
でも、コンサートの最後で3人抱き合って泣くところ、
あれ、小学生の頃買ったレコード(『キャンディーズ 
ファイナル・カーニバルプラス1』)だと、ただただ
3人の嗚咽だけが延々と続いて、そっちの方が生々しかった気がする。

ごぶさたしております。
ノルマは無事終了しましたが、すっかり気が抜けてしまい、更新意欲停滞中です。

さて。

こちらもすっかりリリース停滞中の國泰DVDですが、ひさびさ新製品発売、と思いきや、これまでに発売済みの王天林監督作品4本(啼笑姻緣、教我如何不想她、危機重重、神經刀)をまとめて、

王天林導演系列 (一)

として改めてリリースですと。

VCDヴァージョンもございます。

宣伝文句には、

他,是《黑社會》裡的鄧伯,是杜琪峰電影內的「肥叔叔」,也是導演王晶的父親。其實,如果沒有他,華語電影肯定會面目全非。「我差不多已經拍了300部電影!」王天林自幼從片場基層做起,當過編劇、導演、演員,合作過的明星有葛蘭、尤敏、林黛、林翠、葉楓、樂蒂等,他親身見證香港電影的盛衰榮辱。他的導演技巧熟練,能遊走於不同的電影類型之中,拍攝出該類型的最佳作品。其中堪稱傑作的包括《野玫瑰之戀》、《啼笑姻緣》、《小兒女》、《南北和》等。73年,他加入無線電視擔任電視劇監製,屢破收視紀錄,成績超卓。
此系列為你選輯了五套王天林執導的經典電影,讓你深入了解這位大導演多姿多采的電影生涯。

とありまして、それなら特典映像として「王天林ロングインタビュー」でも入っているのかいな、と思ったところ・・・・なんだ、何にもないじゃん。

なんだか全くやる気なしの商売ですが、この後同じ手法で「易文導演系列 (一)」だの「王天林導演系列 (二)」だのを出してごまかすつもりでしょうか。

いいかげんで新しいの出してくれよ、PANORAMA

付記:23日(日)から25日(火)までラピュタ阿佐ヶ谷にて上映の『怪談おとし穴』、あれの邵氏版が『裸屍痕』です。お見逃しなく。
ついでに言うと、26日(水)から8月1日(火)までの『怪猫 呪いの沼』には橘ますみたんの生首が登場します。ほとんど台詞のない役だから、あれが一番の見せ場ね。

2006年7月14日金曜日

婉君表妹 (Four Loves)

〔えいが〕

あたしったら、罪な女・・・・。

1965年、台湾(中影)。李行監督。唐寶雲、江明、王戎、馮海主演。

瓊瑤の小説『追尋』を原作とする作品で、瓊瑤作品の最も早い映画化です。

民国初期。
両親を亡くした婉君(謝玲玲。成長後は唐寶雲)は親戚の周家に引き取られ、やがて美しい娘に成長します。
周家の当主(魏蘇)は婉君と長男・伯健(江明)との結婚を決めますが、次男・仲康(王戎)、三男・叔豪(馮海)もそれぞれ婉君に思いを寄せており、この決定はやがて周家に波瀾をもたらすことになるのでした・・・・。

幼なじみの兄弟3人からいっせいに愛されて、「困ったちゃん」になっちゃうヒロイン・婉君ですが、せんきちとしてはあんまり魅力を感じませんでした。
でも、男にはもてると思うよ、こういう人。

たまたまこの間調査していた『聯合報』に原作の第1回(新聞小説だったのね)が掲載されていたので、ちょこっと読んでみたのですが、原作では初めから長男の嫁にするつもりで引き取られていたのに対して、映画ではその辺のところがけっこう曖昧になってたような。


それから、ラストの兄弟3人の身の処し方も、

女より愛国!国民党万歳!

なオチで、「なんだい、けっきょくは国策映画なのかよ」と思ってしまったものの、これもどうやら映画化にあたっての脚色みたいな感じです(そのうち原作のオチも確認してみます)。

ちなみに、少女時代の婉君を演じていたお目目ぱっちりの美少女・謝玲玲は、デビュー作であるこの作品で金馬奨の子役賞を受賞しました(最近もいろいろご活躍ですね)。
なお、長男役は当初雷震を借りてきて演じてもらうつもりだったらしいっす(そうなると、かなり印象も変わった気が)。

ところで。

この映画を観た後、「ああいう女って、どっかで見たことあるんだよなあ」と考えていたところ、思い出しました。

あだち充漫画のヒロイン。

『タッチ』かよ!

付記:こんなアルバムもあるんだね。ダニエル・チャンって、なんだか紛らわしいけど。

2006年7月12日水曜日

続 葛蘭だった?

〔ちょっとお耳に〕


本題に入る前に、ちょっと別の話を。

日本では、

元人気アイドル甲斐智枝美さん43歳急死

なんていうショッキングなニュースが飛び込んできましたが、今日の朝刊を読んでいたら死亡欄に

米女優ジューン・アリスン(June Allyson)さん死去

とあるのが目に入りました。

1917年生まれ、享年88歳ですか。

せんきちが小学生の頃、家にあった昔々の『映画の友』には、

1922年生まれ

とあって、その後じっさいには1917年生まれだったと知り、「5つもサバ読んでたのか」とショックを受けた記憶があります。

せんきちは『グレン・ミラー物語(The Glenn Miller Story)』が大好きで、グレン・ミラーの実人生とはちょっと違うところがあるけれど、音楽人の伝記映画としてはあれが最高水準の作品だったのではないかと思っています。
ラスト、ほんとは初期のヒット曲である『茶色の小瓶(Little Brown Jug)』を巧みに用いながら、一言の台詞もなく、ジューン・アリスンの表情を映すだけで終わる、あそこは何度観ても感服します。

というわけで、追悼の意を込めて「こんなんありましたけど」。

公開当初に出たサントラ盤(10インチLP)。


こちらは、『グレン・ミラー物語』で使われた曲を
オリジナル(Glenn Miller and His Orchestra)の
演奏で聴きましょうというアルバム
せんきちの手元にあるのは、LP盤の
後に出たEPサイズのもの(1956年)。

謹んで、ご冥福をお祈りします。

さて、本題です。

先月、『最長的一夜』は当初葛蘭と宝田明の共演作として企画されていたらしい、という記事を書きました。

その後も引き続き古新聞漁りをしていたところ、1963年6月28日付『聯合報』に、

葛蘭・寶田明・尤敏

というタイトルの葛蘭インタビュー記事が掲載されているのを見つけました。

そこには、電懋サイドはちょうど『ホノルル・東京・香港(香港・東京・夏威夷)』のロケで香港にやって来ていた宝田明と葛蘭のご対面をセッティングした上で宝田明に葛蘭の主演作品(題名不詳)を見せ、宝田明も葛蘭との共演を楽しみにしている旨の記述があり、また、「(宝田明と)一緒に食事をして、映画のことについて話し合った」という葛蘭自身のコメントもありました。

なんだ、2人は会ったことあるんじゃん。

『香港映画の黄金時代 Ⅰ』(2002年、国際交流基金アジアセンター)所収の宝田明インタビューには、


‐尤敏さんのご主人のご兄弟と結婚しているのが葛蘭さんで、彼女もやはりキャセイの、尤敏さんと並ぶ二大女優でした。

宝田 そうですか。葛蘭は知りませんでした。


とあったので、あたしゃてっきり面識がないのかと思っていたよ。
っつーことは、この回答の意味は「葛蘭と尤敏の夫が兄弟だというのは知らなかった」ということになるんでしょうか。

ともあれ、上記の記事を読む限り、葛蘭&宝田明共演作としての『最長的一夜』は、かなりの段階まで企画が進んでいながら針路変更を余儀なくされたもののようです。

でも2人が共演するんなら、ミュージカルでもよかった気がするな、今思うと。

2006年7月9日日曜日

陳沖のぶっとび母さん

〔しようもない日常〕



来週、年に1度のノルマで、舞台で三味線と箏を弾かなきゃならんので、既にテンぱっております。
昨日も朝から地獄の特訓があったんですが、それが終わった後、第15回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭に参戦、オープニング作品『素顔の私を見つめて・・・(Saving Face)』(アリス・ウー〔伍思薇〕監督)を観てまいりました。

この作品、昨年の台湾金馬奨で主演のミシェル・クルジーク(楊雅慧)が主演女優賞にノミネートされまして(1票差で惜しくも受賞は逃したものの、映画は「観客が選んだ最優秀作品賞〔観衆票選最佳影片奨〕」を受賞)、そのときから気になっていた映画でありました(中文タイトルは『面子』〔台湾〕『愛.面子』〔香港〕)。
で、日本で公開されないかなあと思っていたところ、今年の3月に日本版DVDが発売、そして今回の上映となった次第。
ただ、案の定DVD上映で、しかも字幕の設定を間違えて英語字幕が流れるというトホホな手違い(すぐに日本語になりましたけど)もありましたが、せんきちとしては観られて御の字でおました。

詳しい内容は公式サイトをご参照頂くとして、アメリカの華人をテーマにした作品でヒロイン(ウィル〔小薇〕)が同性愛者という設定は『ウェディング・バンケット(囍宴)』を連想させますし、ヒロインの母親がまき起こすあっと驚く恋愛騒動は『恋人たちの食卓(飲食男女)』、チャイナタウンにいられなくなった母親がヒロインの家に転がり込んで奇妙な同居生活が始まるという件は何となく『プッシング・ハンズ(推手)』を思い起こさせたりと、なんだか「李安の父親三部作いいとこどり」映画と勘違いされそうですが、いえいえ、これはこれでなかなか上質の作品に仕上がっておりました(そういや、主人公が医者というのは、『袋鼠男人』を思い出すね。どっちも妊娠ネタありだし)。

何より、陳沖演じるおっかさんのぶっとびぶりが秀逸。
何かというと「抗戦の頃は」と言い出すお祖母ちゃんにも笑ったけど。

このおっかさんは、彼女にとって最大の権威であり障壁だった父親、つまりヒロインの外祖父の決めた相手と結婚させられて、チャイナタウンを一歩も出ることなく、中国の伝統的な価値観しか知らない(もちろん英語もろくに出来ない)女性になっちゃったんですけど、彼女の年代(40代後半から50代前半)でもこういう華人ってまだけっこういるのでしょうかねえ。

もちろん、ヒロインの恋の行方も見逃せません。
ヒロインは恋人となるヴィヴィアンと子供の頃すでに出会っていて、そのときのことをヴィヴィアンはずっと忘れずに覚えていたのですが、ヒロインがそのおりに何を着ていたかというと、

クリスティ・マクニコルのTシャツ

だって。
懐かしすぎ。

というわけで、観終わって直ぐにもう一遍観たいなあと思ったせんきちは、帰りがけに受付で売っていたDVDを買ってきてしまいました。

そして。

帰宅してから特典映像なんぞを観た後、日本語吹替版のキャストを何気なく見たところ、なんとせんきちの学生時代の先輩が陳沖の吹替をやっているじゃあーりませんか。
こっちも気になるわ。

付記:ミシェル・クルジークは台湾生まれ。5歳のとき父方のおばに引き取られてアメリカに移住。クルジーク(Krusiec)はおばさんのご主人の姓だそうな(追記:台湾生まれというデータは、台湾の報道による。IMDbのデータではアメリカ生まれになっており、ご本人が「アメリカ生まれ」と答えているインタビューもありましたが、実の両親やきょうだいはずっと台湾在住なので、おそらくは台湾生まれという方が正確だと思われます。ちなみに、ヴィヴィアンを演じたリン・チェン〔陳凌〕はニューヨーク生まれ。両親が台湾出身)。
本作はサンダンス映画祭に出品されましたが、台湾じゃこの映画祭のことを「美國日舞影展」っていうみたいね。「にちぶ」だぜ、「にちぶ」。
ちなみに、台北での興行成績は2005年11月25日から12月31日までの36日間、3軒の映画館(キャパ不明)で上映されて、1,331,400元の興収をあげました(年間145位)。

2006年7月5日水曜日

地獄絵図再現

〔ちょっとお耳に〕

俺もヒデだ

中田秀寿選手が現役を引退したそうですけど、以前、

イタリアのヒデといったら、

出門英でしょう!

と発言、友人から

失笑を買った

ことのあるせんきちゆえ(半分はギャグだったんだけどさあ)、何の感想もございません。

さて。

もう既にご存知の方も多いと思いますが、去年「フィルムセンター七回り半事件」を引き起こす原因となった映画『萬世流芳』が、今月再び上映されます。
が、今回の会場は小ホール(151名)ですんで、前回の大ホール(310名)の2分の1以下、更に競争が激化する模様。
去年観られなかった方ともう一度観たい方が1階ロビーに殺到、足腰の弱くなった皆さんがおそらく去年を上回るであろう長い待ち時間に果たして耐えられるのか、地獄絵図の再現にならないことを祈ります。

ついでにいうと、大ホールでは『私の鶯』やるみたいね。
こっちはどうなるんだろうか。

2006年7月3日月曜日

昇天しまーす。

〔ちょっとお耳に〕

邵氏版『梁山伯と祝英台(梁山伯與祝英台)』のラスト、2人が昇天するシーンがそれに先立つ東宝・邵氏合作映画『白夫人の妖恋(白蛇傳)』からの引用であることは以前にも書きました
たしかに、仔細に眺めてみると、全く同じでして、

『白夫人の妖恋』


『梁山伯と祝英台』

つまり、『梁祝』のラストで昇天するのは、

凌波と樂蒂

ではなく、

池部良と山口淑子

なのでございます。

もちろん、李翰祥監督とて初めからこんな風に引用しようなどとは夢にも思っておりませんで、日本で円谷英二指導の下、「哭墳」(祝英台が梁山伯のお墓の前で号泣してると、嵐が起ってお墓がぱっくり割れる所ね)を撮影したさい、一緒に「化蝶」(2人が蝶々になって昇天するシーン)も撮影したのですが、どうも思ったような効果が得られなかったため、それをボツにしてしまったのだそうです(『我愛黄梅調』〔2005年、牧村圖書〕による)。
そんなわけで、急遽スタジオに蝶々の模型を吊るしてそれが雲上へ飛んでいく様を撮影、それに『白夫人の妖恋』の昇天シーンをくっ付けて、今日あるようなラストシーンが出来上がったらしいのですわ。

ふーん。

最後に『白夫人の妖恋』をくっ付けるというアイデアを誰が出したのか、それは定かではありませんが、『白夫人の妖恋』においてその原拠である『白蛇傳』や直接の原作『白夫人の妖術』にもない昇天シーンを考え出したのは豊田四郎監督で、廣澤榮の「私のなかの豊田四郎」(『日本映画の時代』所収。1990年、岩波書店。2002年、岩波現代文庫に収む)には、


 その昇天シーンはもちろん中国の原典にはない。林房雄の原作にも、八住利雄のシナリオにもない、豊田が自分だけで思いついたシーンである。豊田がそのイメージをうかべたとき、スタッフの誰彼ともつかず「昇天はええやろ、いい思いつきやろう」などと、しきりに同意をもとめていた。
 つまり、豊田のコンテによれば、《女の愛のきわみ》のイメージであり、
 《高らかに雲の彼方へ舞い昇ってゆく二人の姿》
 としるされている。


とあります。
このとき、豊田監督は昇天に関して「むしろそれは西欧的なイメージでしょう」とする中国学者(吉岡義豊)をも強引に説き伏せて、自説を押し通してしまったといいます。

で、そうなると気になるのがあれをどうやって撮ったのかしらんということですが、それも廣澤の前掲書にあるのでちょっこし引用しておきます。


 それはパラシュートの応用で、ちょうど自転車のサドルのようなものをつくって腰に着用し、それをピアノ線で吊る。それを約三〇メートルほどあるステージの天井に滑車をつけて吊り上げるという仕掛けであった。
 その装具を着用の上にそれぞれの衣裳を着けた許仙・池部良、白夫人・山口淑子が「上げてーっ」という合図の声で吊り上げられ、ふわっと空中に浮き上った。その二人の位置はちょうど互いに手をとりあうぐらいの距離、つまり、豊田コンテによれば、
 《二人は手に手をとって、舞うように天に昇ってゆく》
 となるわけで、その舞いの振付は日劇ダンシングチームの舞踊家がやってくれた。


凌波によると『梁祝』の「化蝶」も、日本の振付師から舞を習った上で蝶々の衣裳を着け、ピアノ線で吊るされながら撮ったとのことですので(「凌波訪談」。『古典美人 樂蒂』所収。2005年、大塊文化)、『白夫人の妖恋』の昇天シーンと同様の方法で撮影が行われたようです(ちなみに、凌波は「化蝶」カットの原因は「知らない」と言っています)。
しかしながら、李翰祥監督の求める世界に合わなかったのかそれはボツとなり、「女の愛のきわみ」を撮りたいという一念で豊田四郎監督が考案した昇天シーンが最終的に李監督を救うことになったのでありました、はい。

(いつもながらの強引なオチで終了)