2009年6月25日木曜日

日本/中国 映画往還

〔ちょっとお耳に〕

ビゲン」って、「美源」じゃなくて、「美人元禄」の略だと、
遅ればせながら先日知った次第。
で、ホーユーは「朋友」なのですと。

どうも。
トド@生活環境激変です。

今日はちょっこし告知。
明治学院大学恒例の「日本映画シンポジウム」のお知らせです(って、大学関係者じゃないけど)。

明治学院大学第14回日本映画シンポジウム「日本/中国 映画往還」

とき:2009年6月28日(日)午前10:00~17:30
ところ:明治学院大学白金校舎1101教室

開会(10:00)
門間貴志「岩崎昶の神話」(10:20~)
岸富美子「満映・新中国・『白毛女』」(11:10~)
休憩(12:00~)
四方田犬彦「満洲引揚げとメロドラマ」(13:00~)
晏妮(アン・ニ)「冷戦の狭間で-1950年代の日中映画交流」(13:50~)
休憩(14:40~)
上野昂志「大島渚と中国(仮題)」(15:00~)
李櫻(リ・イン)監督、自作を語る(15:50~)
晏妮(アン・二)、四方田犬彦「最終討議」(16:50~)

入場無料。くわしくは、こちら

不肖せんきち、のっぴきならない事情で今年も伺うことができませんが、お時間のある方はどうぞ足をお運び下さい。

では。

2009年6月18日木曜日

続 第1回世界映画祭 (大きく出たねえ)

〔えいが〕〔ちょっとお耳に)


どうも。
トド@引き続き取り込み中です。
以前にもちょいと書いたことがあるかと存じますが、2月の定期健診の折に見つかった甲状腺腫瘍(良性)のことで、新しい担当医とのコミュニケーションがどうもうまくいかないもので、今後の対策をいろいろと思案中です。
先日など、ロクな説明もなし(以前の担当医の下でヨード造影剤を用いたCT検査を行った際には、詳しい説明と検査同意書への署名がありますたが、今回は何もなし)に6万円もする検査を受けさせられまして、不信感は絶頂に達しております。

ま、それはともかく、前回の続き。

6日間の上映を無事に終えた映画祭でしたが、通常の映画祭の場合、最終日に各賞授賞式があるのに対し、こちらはなんだかえらくのんびりしておりまして、11月25日になってようやく審査部会を開催、受賞作品が決定するという段取りでありました。
気になる審査部会委員の顔ぶれは、下記の通り(教授等の肩書は当時のもの)。

高橋誠一郎(芸術院会員)、辰野隆(東京大学名誉教授)、尾高邦雄(東京大学文学部助教授)、田口泖三郎(科学研究所員)、吉川英治(作家)、石坂洋次郎(作家)、今日出海(作家)、木村荘八(画家)、滝口修造(美術評論家)、大田黒元雄(音楽評論家)、村岡花子(評論家)、青山杉作(演出家)、東山千栄子(女優)、飯島正(映画評論家)、津村秀夫(映画評論家)、清水千代太(映画評論家)、足立忠(東京映画記者会代表)

審査に際しては「大衆の投票」も参考にしたものの、この大衆の投票とは実際に映画を観た観衆による投票なのか、それとは全く無関係に読売新聞購読者を対象に投票を募ったのか、定かではありません。
いずれにせよ、審査部会の結果、作品賞は『肉体の悪魔』に決まり、その他の各部門賞も下記のように決定しました。

演出賞(監督賞):クロード・オータン=ララ(Claude Autant-Lara)(『肉体の悪魔』)
脚本賞:チェーザレ・ザヴァッティーニ(Cesare Zavattini)(『ミラノの奇蹟』)
撮影賞:ジャック・ヒルドヤード(Jack Hildyard)他 (『超音ジェット機』)
録音賞:矢野口文雄 (『生きる』)
主演男優賞:ジェラール・フィリップ(Gérard Philipe) (『肉体の悪魔』)
主演女優賞:ミシュリーヌ・プレール(Micheline Presle) (『肉体の悪魔』)
特別賞:山田五十鈴 (『現代人』)
音楽賞、美術商:該当作品なし

授賞式は審査部会からさらに1ヶ月以上が経過した12月27日、読売新聞社特別会議室で行われ、川喜多長政が作品賞を代理受賞、夫人のかしこも演出賞や撮影賞、主演男女優賞を代理受賞しました…って、これじゃあまるで、東和のための映画祭みたいじゃん。
まあ何しろ、4部門(作品、演出、主演男優、主演女優)受賞作品と撮影賞受賞作品の2本を配給しているから無理もないと言えば無理もないのですが、映画祭の最高委員に名を連ねている人物の関わった映画が賞を独占というのもどうなのかしらんと思いますです。

で。

前回の記事で、限られた9カ国の参加しかないくせになぜ世界映画祭なの?と書きましたが、その限られた参加国の中でも特にアメリカは、セルズニックの旧作(戦争があったから致し方ないのだけれど)とリパブリックの作品のみという、かなりお寒い出品状況で、1952年12月8日付『読売新聞』夕刊に掲載されたコラム「映画祭とセクト主義」ではその裏事情が明かされています。


…聞くところによると、最初の参加作品としてアメリカから『セールスマンの死(Death of a Salesman)』『探偵物語(Detective Story)』『静かな人(静かなる男。The Quiet Man)』フランスから『肉体の冠(Casque d'Or)』『花咲ける騎士道(Fanfan la tulipe)』など、今年のカンヌやヴェニスで気を吐いた新作が予定されていたということだ。それがアメリカ映画は、旧セントラル系のメージャー八社の不参加意思表明、フランス映画は大蔵省の輸入本数制限のワクにひっかかって、ついに会期に間に合わなかったという。(公開時タイトル及び原題はせんきちが付した)


コラムの執筆者(山井富茂)は、このようなアメリカ側の対応を「排他的、セクト的」と批判し、「来年の第二回には、こんなことがないようにしたいものである」と結んでいますが、結局、2回目の映画祭が開催されることはなかったようで、せっかく実現した国際映画祭もたった1度の開催で終わってしまったのでありました。

(おしまい)

2009年6月14日日曜日

第1回世界映画祭 (大きく出たねえ)

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕


どうも。
トド@取り込み中です。

さて。

これまで、メインサイトやブログで、第1回日本国際映画祭アジア映画祭こちらこちらも)、そして"Asian and Pacific Film Show"といった、現代の日本では忘れられてしまった映画祭(といっても、アジア映画祭は亞太影展〔アジア太平洋映画祭〕として、今でも中華圏ではそれなりに影響力があるのですけれど)を取り上げてきますたが、今回はおそらく、日本で最初の国際映画祭である、

第1回世界映画祭

のご紹介をしたいと思います。

第1回世界映画祭が開催されたのは、1952年11月
主催は読売新聞社、後援が日本映画連合会(現・日本映画製作者連盟)、協賛が外務省、通産省(現・経済産業省)、文部省(現・文部科学省)でした。
この映画祭が開催されることになった詳しい経緯は明らかではありませんが、「大正力」と呼ばれた読売新聞社主・正力松太郎の暗躍……ではなくて、尽力が大きかったのではないかと考えられます。
映画祭開催に当たっては、

岡崎外務大臣、岡野文部大臣、池田通産大臣、藤山東京商工会議所会頭、城戸松竹副社長、永田大映社長、小林東宝代表取締役、佐生新東宝社長、大川東映社長、川喜多東和商事社長、池田日本映画連合会事務局長、安田読売新聞本社代表取締役

を最高顧問とし(肩書はいずれも当時のもの)、11月5日から10日までの6日間、日比谷の第一生命ホールで参加作品の上映を行い、その後の審査部会委員(メンバーは後述)による会議を経て最優秀作品賞であるパール賞の他、各部門賞を授与するということに決まりました。

参加作品及び上映日程は、次の通りです。

11月5日(水)
午後2時 『美女と闘牛士(Bullfighter and the Lady)』(アメリカ)
午後6時 『人生劇場』(日本)

11月6日(木)
午後2時 『生きる』(日本)
午後6時 『肉体の悪魔(Le Diable au corps)』(フランス)

11月7日(金)
午後2時 『現代人』(日本)
午後6時 『ミラノの奇蹟(Miracolo a Milano)』(イタリア)

11月8日(土)
午後1時 『大仏さまと子供たち』(日本)
午後4時 『それはすべて貴女に関係あること(Det gælder os alle)』(デンマーク)
午後7時 『大仏開眼』(日本)

11月9日(日)
午後1時 『清宮秘史(清宮秘史)』(香港…ですが、中華民国名義での参加だった模様)
午後4時 『超音ジェット機(Breaking The Sound Barrier)』(イギリス)
午後7時 『哀愁のモンテカルロ(24 Hours of A Woman's Life)』(イギリス)

11月10日(月)
午後1時 『別離(Intermezzo)』(アメリカ)
午後4時 『忘れられた人々(Los Olvidados)』(メキシコ)
午後7時 『罪ある女(Die Sunderin)』(西ドイツ)

日本、香港(中華民国)、アメリカ、メキシコ、イギリス、フランス、イタリア、西ドイツ、デンマークだけしか参加していないのに、

どこが世界映画祭なの?

というお叱りの声が聞こえてきそうですが(言っとくけど、オレのせいじゃないよ!)、参加作品の上映は一般の観客にも各回300名に限り無料で開放され、読売新聞企画部宛に往復はがきで申し込む、というシステムになっていました(各作品ごとに申し込み、応募者多数の場合は抽選)。

(てきとーにつづく)

2009年6月10日水曜日

香港フェスティバル

〔しようもない日常〕

どっ…どこが香港なんですか?
(答え:お店の名前)

2009年6月7日日曜日

懷念的人

〔えいが〕


1967年、台湾(永新)。湯浅浪男監督。金玫、石軍、張清清、川辺健三、津崎公平主演。

どうも。
トド@お腹が痛いです。

さっそく本題に入ります。

湯浅浪男(湯淺浪男)監督の台湾語映画……なのですが、現存するプリントは北京語版のみらしく、DVDの音声は北京語オンリーでした(いちおう『懐念的人』と、検索用に日本の漢字表記も書いておきます)。
超アバウトなストーリーは、下記の通り。

ダンスホールでバイオリンを弾きながら作曲家を目指す正雄(DVDのパッケージでは「政雄」。石軍)は、歌手の春美(金玫)に思いを寄せていましたが、正雄の親友である啓明(川辺健三)も春美のことを愛していました。
啓明は、今度の春美の誕生日に、2人の内どちらが春美にふさわしいかを決めようと正雄に告げます。
そして迎えた春美の誕生日、正雄は春美に捧げた曲を作りピアノで演奏します。
その曲を聴いた啓明は正雄が春美に寄せる深い思いに心を打たれ、また、春美も正雄のことを愛していることを悟り、自らは身を引く決意をするのでした。
一方、病の床にある春美の父親(郭夜人)に金を貸していた楊(津崎公平)は、春美と結婚させてくれれば借金を帳消しにしてやろうと父親に迫ります。
事情を知った正雄は、台北へ引っ越して2人で借金を返し、生活が軌道に乗ったら父親も呼び寄せようと春美を説得、春美もこれを承諾します。
しかし、ある雨の晩、「自宅へ送る」と言う楊の車に乗った春美は、車内で楊に無理やり手篭めにされてしまいます。
その翌日、正雄は駅で春美のことを待ちますが、結局彼女は現れず、1人寂しく台北へ向かうのでした。
「自分はもう先が長くない。死ぬ前にお前の花嫁姿が見たい」という父親の願いを受け入れた春美は、泣く泣く楊に嫁ぎますが、まもなく父親もこの世を去り、楊の女癖の悪さと暴力に耐えかねた彼女は楊の家を飛び出します。
その頃、春美のことをあきらめきれない正雄は、台北で酒びたりの日々を送っていました。
そんな彼の姿を見かねた啓明の妹・淑娟(張清清)は、再び作曲家への道を目指すよう正雄を励まし、彼もそれに応えて作曲を再開します。淑娟は、彼のことを愛していたのでした。
楊の家を出た春美は、食堂に住み込みで働き始め、出前先で淑娟と再会します。
正雄の消息を尋ねる春美に、彼とはしばらく会っていないと一度は嘘をついた淑娟でしたが、やはり本当のことを話すべきだと思い直し、正雄と共に食堂を訪ねます。
しかし、春美は食堂を辞めた後でした。
食堂の仕事を辞めた春美に、楊は自分とよりを戻すよう執拗に迫り、春美を追い回しますが、出会いがしらに車にはねられて命を落とします。
やがて美容院で働くようになった春美は、客が持ってきたラジオから聞き覚えのある曲が流れてくるのを耳にします。
それは自分の誕生日に正雄が送ってくれた、あの思い出深い曲「懷念」でした……。

と、まあ、ストーリーをお読みいただければわかるとおり、ベタベタコテコテのすれ違いメロドラマで、先だって観た『悲器』と比べても、

コテコテ度45%増(当社比)

でした。

ただ、これを思いっきり西洋風のしつらえにして、白景瑞(李行でも可)監督、甄珍&秦祥林主演にしたら、北京語の文芸愛情映画でもけっこういけるのではないか…という感じではありました(父親役は葛香亭でよろしく!)。

当時の報道によると、本作は湯浅監督が台湾で撮った5本目の映画で、1967年3月8日にクランクインしていますが、監督は1966年11月23日に台湾に渡っていますから、そこから計算すると、わずか3ヶ月ほどの間に4本の映画を仕上げていたことになります。
台湾語映画は、一般に、北京語映画と比べて「安く早く」が身上の映画だったらしいので、短期間でそこそこ観られる映画を撮る湯浅監督が、台湾で重宝がられたのもむべなるかなという気がいたします。

ただ、「安く早く」の弊害がストーリー面で現れていたのもまた事実。
冒頭のダンスホールのシーンを当時台北にあった金谷飯店というナイトクラブで撮っていたにも関わらず、正雄が春美に「台北へ行こう」と迫るのはなんだか奇妙です。
しかも、春美の家、北投なんだよ。
ナイトクラブや春美の家の場所は、せめて新竹あたりの設定にしてほしかったところです。

ところで。

劇中、「懷念」がバカ売れして一躍人気作曲家となった正雄は、第2弾として「台北歸來的春美」なる曲を発表しますが、これがなんと「上海帰りのリル」のカバーですた。
たぶん未だに著作権料払っていないと思うけど。

急げ、JASRAC!



付記:撮影担当のはずの中條伸太郎がキャストとしてもクレジットされていたので、よーく観てみたところ、どうやら津崎公平のかばん持ちやってた人(台詞なし)が彼ではないかと思いました。

2009年6月6日土曜日

『温泉あんま芸者』DVDリリース!

〔橘ますみ〕〔ちょっとお耳に〕


どうも。
トド@阿修羅展に行ってヘトヘトになりますたです。

さて、忘れた頃に帰ってくる橘ますみたんネタ。

9月21日、東映ビデオより、待望の「温泉芸者シリーズ」DVDが一挙リリースされます……といいたいところなのですけれど、なぜか最終作のはずの『東京ふんどし芸者』のDVDリリースは無し。

温泉じゃないからか?

ま、それはそうとして、せんきち的にはもちろん、あの、記念すべき

東映温泉芸者シリーズ第1作

であり、

橘ますみたんの代表作

であるところの、

『温泉あんま芸者』

のDVDリリースがツボでございます。



ますみたんと温泉芸者シリーズといえば、もちろん、第2作の『温泉ポン引女中』もありますが(なぜか岡田真澄も出演。「Wますみ」だわ)、個人的にあまり好きな映画ではないので、とりあえず、『温泉あんま芸者』を一押し、ということで。


と言いつつ、商品へのリンクなど貼ってみる。

また、この他にも、『温泉みみず芸者』や『温泉スッポン芸者』といった鈴木則文監督の作品がおすすめです。
特に、『温泉スッポン芸者』は必見。



今ならアマゾンでお安く予約できますので、皆様ぜひぜひお買い求め下さい。

なお、念のため申し添えておくと、『温泉あんま芸者』と『温泉ポン引女中』はR18です。
よい子のみんなは観られません。
大人になるまで待ってね。

でも、『温泉みみず芸者』は一般指定みたいなんだよな。
この辺の尺度はいったいどうなっているのやら……。

2009年6月5日金曜日

梅雨の虫干し

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕

フィルムセンターの上映作品は王道中心の
ラインナップでしたが、こうして見るとかなり
幅広い作品の配給を行っていたことがわかります。

どうも。
トド@甲状腺腫瘍の経過観察で某大学病院へ行き、痛い検査を受けてきますたです。
石堅先生がお亡くなりになったと思ったら、今度はデヴィッド・キャラダイン(David Carradine)の訃報が。
めまぐるしいことです。

というわけで(?)、今日もテキトーネタ。

ただいま、香港では川喜多かしこさんの生誕100年を記念した特集上映を開催中ですが、中身をチェックすると、なるほど、日本では欧州映画の伝道師としての側面に光を当て、海外では日本映画の伝道師としての側面に光を当てた作品選定になっていることがわかります。
もちろん、わたくしのような中華電影迷にとっては、彼の地の映画人との交流や映画製作への協力といった功績も忘れることができません。

電影節目辦事處のサイトは、上映期間が終了した
特集のページは容赦なく削除しちゃうので、念のため
スクリーンショットを添えておきます。

不肖せんきち、映画好きになった小学校高学年から中学生の頃にかけて、川喜多かしこさんが憧れの女性で、東和の50周年の展覧会(於:大丸東京店)のとき、初めて生かしこさんのお姿を拝見して、とても感激した覚えがございます。
また、その生涯を描いたドラマ『青春を配達した女』もわくわくしながら観たものでした。

で。

今回は、我が汚部屋(おへや。引っ越しても相変わらず汚い)のダンボール箱に埋もれていた東和関連のガラクタ写真を、虫干しがてらダラダラと陳列することにいたします。

東和映画ニュース(1950年代半ば)。


東和友の会会報(1962年)。


眼には眼を(Oeil pour Oeil)』プレスシート。


スパイ(Les Espions)』パンフレット。


リラの門(Porte des Lilas)』パンフレット。


沈黙の世界(Le Monde du Silence)』
赤い風船(Le Ballon Rouge)』パンフレット。

上記パンフレット中の「『赤い風船』について」(野口久光)には、「…尚、二年前、アルベール・ラモリッスはこの映画を東京を舞台に撮影したいと、川喜多氏に相談したことがありますが、川喜多氏はそのシナリオを見て東京よりパリの方がふさわしいように思うという意見を述べたということです」とあり、もしも川喜多長政が「うん、いいね」と言っていたら『赤い風船』は東京の映画になっていたらしい……です。

ノートルダムのせむし男(Notre-Dame de Paris)』ですが、これは
パンフレットではなく公開前の宣伝材料のようです。
どうでもいいけど、キネ旬DBのDVD画像間違ってるね。


遥かなる国から来た男(Le Pays D'ou Je Viens)』パンフレット。
文藝春秋SPECIAL(映画が人生を教えてくれた)』の
「海外の女優ベスト10」で10位に入ってたね、アルヌール。


夏の夜は三たび微笑む(Sommarnattens Leende)』パンフレット。


東和配給作品にはイギリス映画もございます。
夏休みの水曜ロードショーを思い出すわ。


当時はハンマープロと呼んでおりました。
大工さんの集団みたいだな。


(オチのないままおしまい)

2009年6月3日水曜日

せんと君の由来(改題しますた)

〔しようもない日常〕


どうも。
ご無沙汰しております。
ただいま、ちょいとヤボ用に追われておりますゆえ、更新もままなりません。
とりあえず、早すぎたせんと君の映像でもお楽しみ下さい。


1961年、台湾で生まれたせんと君は、


1980年代、日本に渡来し、


21世紀に至って、平城遷都1300年祭のマスコットに起用されたもののようです。

では。

(あわただしく去る)