2008年2月25日月曜日

伸びざかりの君たちへ♂

〔とほほ事件簿〕

2月22日は「ねこの日」でした。
10月10日は「トドの日」です(ウソ)。

どうも。トドです。

このところ、香港のあの事件のことをお尻、もとい、お知りになりたいのか、「香港スキャンダル」「香港 スキャンダル」「香港 女優 スキャンダル」といったキーワードでおみえになる方が多いのですけれど、残念ながら拙ブログでは何のお役にも立てないと思います。
また、検索するさいには少なくとも当事者の名前をお一人でも入れて検索なさった方が、お目当てのサイトに行き着ける確率が高いかと存じます(当たり前の話ですけど)。
シモネタ大好きなせんきちですが、この問題に関してはスルーということで。

で。

久々のとほほ事件簿。


承認されていない精力剤服用の男性、一時意識不明 広島

広島県は24日、精力剤として香港から個人輸入した無承認医薬品を服用した県北部の30代の男性が一時意識不明となり、現在も入院中と発表した。
同県薬務室によると、男性は20日に「男根増長素」という中国製とみられる薬を服用したといい、21日夕方、県北部の病院に救急搬送された。血糖値が低下していたので、上昇させる治療を受け、現在は意識を取り戻しているという・・・・



わざわざ海外から取り寄せたとびっきりの秘薬を飲んだら、元気になるどころか意識不明になってしまった方にはお気の毒ですが、記事を読む側としてはやはり買った薬の名前の方に目が行ってしまいます。

男根増長素

ですってよ、奥さん(アソコが伸びずに自分がのびちゃったってことね←罰当たるぞ、お前!)。

股間に伸びた手が淫靡だわ・・・・。
ちなみに、「団塊」は「だんかい」と読みます。


女性は痩せたいこちらこちら参照)、男性はより大きく硬くしたいこちら参照)、というのが永遠の願望なのでせうか。

問題の薬の製造元は「河北鹿泉生物工程有限公司」というアメリカとの合資会社らしいのですけれど、会社自体のデータは探しても出てきませんでした。

試みにちょいとググってみただけでも、この他に「巨人倍増」だの「挺勃」(こちらは「男根~」と同じ会社の製品)だのといったそのものズバリの名前の薬が個人輸入で購入できるようですが、表向き漢方薬を謳ってはいても決して100%安全ではないのだ、ということを肝に銘じてお買い求めになってほしいものです、はい。

2008年2月21日木曜日

神秘女郎白如霜 (從地獄來的女人)

〔えいが〕

お下げ髪した可憐なお姐ちゃんが、復讐鬼に変貌します。

1973年、台湾(統華)。丁強、陽明(祭揚名)監督。歐威、陳慧美、王冰冰、孫越主演。

どうも。トドです。
相変らず寝不足です。
少し前に観た映画のメモでも。

えー、この映画、VCDの発売元(海岸)は『從地獄來的女人(Woman From Hell)』としていますが、本編を観ますとタイトル部分が欠損しております。
『もっと楽しい台湾映画 1』(1999年、賓陽舎)所収の「蔡揚名インタビュー」によれば、『從地獄來的女人』は1968年の台湾語映画で、蔡監督のデビュー作らしいのですが、VCDに収められた作品は、

1、北京語映画である。
2、登場人物のファッション等が、1960年代後半というよりは1970年代前半のそれに近い。
3、ヒロインの名前が白如霜である。

といった特徴を持ち、これらのことから見て、この映画は『從地獄來的女人』ではなく、1973年の『神秘女郎白如霜』と考えられます。
ちなみに、『從地獄來的女人』は台灣電影筆記にある蔡監督の作品年表には記載がなく、『悲情台語片』(1994年、萬泉図書)や『春花夢露 正宗台語電影興衰録』(1999年、博揚文化事業有限公司)、『台灣電影百年史話』(2004年、中華影評人協會・視覺印象廣告事業有限公司)等に掲載の台湾語映画作品リストにも未収録で、どうやら何らかの理由でお蔵入りになった模様です。
ただ、本作の劇中でヒロインは「わたしは地獄から来た女」という台詞を何度となく口にしており、そうなると、この映画はお蔵入りしてしまった(らしい)『從地獄來的女人』の北京語版リメイクなのかも知れません。

1973年の北京語映画ですが、
蔡監督は台湾語映画時代の名前をそのまま使用。
これは邵氏との契約のトラブルにより、
この時期蔡揚名と名乗れなかったことが
関係しているみたい。

で、映画の内容はというと、母親を惨殺され、父親も非業の死を遂げるという不幸を絵に描いたような少女・白如霜が復讐鬼と化し、自分たち家族を陥れた男たちを殺していくものの、最後に出会った復讐の対象が自分の実の父親だった、というお話で、これだけ聞くとなんだか面白そうなんですが、実際の作品はと言えば、大蔵新東宝も真っ青のかなーり大雑把な仕上がりです。
如霜の母ちゃんである玉蘭は、付き合っていた男の子供を身ごもりますがあっさり捨てられ、世間体を気にした親が無理やり別の男と結婚させちゃったばっかりにやけくそ状態に突入、家庭を顧みず男漁りに励み、しまいには男どころか、

白人姐ちゃんとのレズプレイに熱中

挙句の果てには家に放火されて焼き殺されちゃいます。
如霜の父親はなさぬ仲の娘に優しく接しますが、妻には冷たくあしらわれた末に病弱が祟って敢え無く死亡、如霜は放火された家にいたものの「死んだはずだよお富さん」よろしく九死に一生を得て、母親と関係を持った男たちに色仕掛けで近づき、次々と血祭りにあげていくのでありました。
でもさあ、母ちゃんが男漁りするのは母ちゃんの勝手な都合であって、男のせいだけじゃないと思うんだけど、如霜ちゃんの考えでは「私たち家族を不幸にした人間=母親と関係を持った男たち」になるらしいんだねえ。
そのあたり、ちょっと解せない。

それから、早い段階で白如霜が犯人だと見抜いて事情聴取までしておきながら、あっさり釈放してその後の連続殺人をまんまと許しちゃう歐威扮する刑事が、たまらなく間抜けだわ。

台北一、間抜けなデカです。

ま、捕まえちゃったらこの映画が成り立たなくなるんだけどさ。

というわけで、内容的にはスカスカな映画でしたが、この時期の台湾の北京語映画としては画期的(?)な、

パツキン姐ちゃんのオパーイぽろり
(一部自粛しております)

場面等もあり、それなりにエログロ色の強い映画でおました。
おそらくは、当時の日本映画や香港映画の強い影響の下にできた作品なのでしょうが、別の見方をすれば「早過ぎた台湾黒電影」だとも考えられ、台湾裏電影史(そんなのあるのか知らんけど)を考察する上では外せない作品だと言えるでしょう。

でも、やる前に父子だと気付く展開はお行儀がよすぎだな。
どうせならやってから気付いて欲しかったっす(おいおい)。

2008年2月17日日曜日

女殺錢地獄 (おんなごろしこぜにのじごく)

〔たび〕

あんたがにくい!
あんたがにくい!
バカバカバカ!

どうも。
夕食に腹いっぱい餃子を食べて大満足のトドです。

婆さんの介護保険の認定が正式に下りました。

要介護3。

妥当な線ですかね。

さて、懲りずに旅行ネタ。

台湾行きの初日(12月22日)。
夜、ホテルに着いた後、24日の新幹線の切符を買うため、MRT中山駅から台北駅に向かいました。
不詳せんきち、未だに悠遊カード(台北のMRTやバス等で使えるICカード)を購入していなかったため、今回こそはと思い、まずは中山駅の自動券売機でカードを購入。
カードのお値段は500元ですが、せんきちはお釣りを貰おうと思い1000元札を投入。
すると、じゃらじゃらじゃらという音と共に大量の釣銭が!

・・・・50元玉が10枚。

日本の券売機ならば、お札でお釣りが出るところですけれど、ま、「所変われば品変わる」で致仕方ないか。
一気に小金持ちになったせんきちは、50元玉でパンパンに膨らんだ小銭入れをポケットに入れて、台北駅へ急ぎました。

そして。

MRT台北駅から高鐵台北駅に移動後、今度も券売機で24日の切符を購入したのですが・・・・。
運賃及び特急料金1250元(台北~台中。グリーン車利用)のところ、2000元(1000元札2枚)を投入したせんきちに、またしても悪夢が!

・・・・でちゃったのよ、50元玉が15枚。

いくら「所変われば品変わる」と言っても、そりゃないぜチチョリーナ(死語)。
台湾到着から3時間足らずで、一気に小銭入れが溢れかえる事態となったのでありました。

台湾の旅では小銭にご用心(日本の券売機を少しは見習ってくれ)。


おまけ:香港のお友達から、「毎日が映画の日」になりそうな素適な日めくりカレンダーを頂きました。
戦後の香港映画のポスターが、1月1日から毎日日替わりで並んでいます。

表紙。


2月12日は『珍珠涙』の日。


3月20日は『太太萬歳』の日。
(両方とも王天林の映画だわ)

2008年2月14日木曜日

おもひでの東京

〔ちょっとお耳に〕


どうも。
毎晩1~2時間おきに婆さんに起こされて(排泄介助ね)、寝不足状態のトドです。
そんな状況の中、わずかな睡眠時間ながら、昨晩はヴェネツィアでカトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)と李安について語り合う夢を見ました。
通訳の人がいたけど、誰だったか覚えていません。

今日はちょっとした小ネタ。

九龍の彌敦道に帝國酒店という古ーいホテルがありますが、そこにかつてあった(という)のが「東京レストラン」なる日本料理店。
姫宮栄一の『香港 その現状と案内』(1964年、中央公論社)には、


東京の「喜可久」が一九六〇年、九竜の尖沙咀に「レストラン東京」を開店、美人ホステスとすきやき、天ぷらで大当たりした。


とあり、なかなかの繁盛振りだったようです。
おそらく、東宝の『社長洋行記』や『香港クレージー作戦』に出てくる日本料理店は、ここをお手本にしているに違いありません。

姫宮の『香港』ではこの他の日本料理店として1964年開業の「金田中」(美麗華酒店内。後、銅鑼灣に移転)と「名古屋」(總統酒店〔後の香港凱悦酒店〕内)の名を挙げていますが、香港サイドでは大丸内に「大丸レストラン」があり、また、このあと雅圖酒店(新雅圖酒店)に「小泉」という店もオープン、上記5軒が1960年代半ばの代表的な日本料理店だったようです。

で。

このたび、ひょんなことから某ヤフオクで東京レストランのパンフレットをゲットしたのですけれど、それによれば、ここは日本料理店のみならず、ダイニングルームにナイトクラブ、それにカクテルラウンジまで経営しておりまして、つまり、帝國酒店の料飲部門全てを請け負っていた、ということがわかりました。

表紙。


1階、カクテルラウンジでございます。
午前9時から深夜1時まで営業。


17階、日本料理店でございます。
正午から午後11時まで営業。


18階、ダイニングルームとナイトクラブでございます。
ダイニングルームの名物は神戸牛のステーキでおます。
午前7時から午後10時まで営業。
ナイトクラブは午後10時から午前1時まで営業。
ということは、ダイニングルームがクラブに早変りってことか?


となると、俄然興味が湧くのが東京レストランの親会社であるところの喜可久の正体。
が、今のところググってみても、銚子の寿司屋のサイトしか出てきません。
もう潰れちゃったんでしょうか。

どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示下されば幸いです。

付記:ちなみに、1971年当時の「名古屋」のお値段(香港ドル1ドル≒日本円60円)。
定食類(天ぷら、刺身、とんかつ)15ドル、すきやき20ドル、ざるそば4ドル、寿司盛り合わせ12ドル。
その頃、日本でラーメンを食べると180円位、郵便はがきが7円、大卒初任給が約4万3千円でした。

おまけ:私たちも、神戸牛のステーキが好きです。

2008年2月10日日曜日

中年鉄子の部屋 (その弐)

〔たび〕

ミッキー・ルーニー(Mickey Rooney)というと、
『ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany's)』を
思い出してしまうわたくし(とほほ)。

どうも。
トド柳鉄子です(しつこい)。

JR東海のダイヤ改正のCM、便利になるはずなのにバックに流れている音楽が"But not for me"なもんだから、「ひょっとして、おいらだけその恩恵を蒙ることができんのでは?」といらぬ心配をしております(ウソウソ)。

中年メタボ鉄子のヲタルポの前に、またぞろ先週のシンポジウム(映画と敵)に関連した話を。
当日の三澤先生のご発表の中で、1960年に台北で催された日本電影欣賞会(日本映画見本市)における新東宝の出品作が『明治大帝と乃木将軍』だったというお話を伺って、「なるほど。『明治天皇と日露大戦争』が台湾でバカ受けしたもんだから(拙ブログでもちょこっと取り上げたことがあります)、二匹目のどじょうを狙ったのか?」と思い、休憩時間に三澤先生に直接ご質問したところ、やはりそうだったらしいのですが、『明治天皇と日露大戦争』は香港でも上映されていて、その折のエピソードが姫宮栄一の『香港 その現状と案内』(中公新書52、1964年、中央公論社)に出てまいります。


・・・この『明治天皇と日露大戦争』は東宝の大作などと違って、三流館で上映されたものであるが、意外なほどの大当たりであった。映画の中に御製の朗詠があり、これだけは中国人にとっては理解しにくいものであったが、戦争場面、とくにロシア兵を日本兵がやっつける場面には、文字どおり嵐のような拍手であった。この拍手は、帝国主義国家の同志討ちなどといううがったことで与えられたのではなく、黄色人種が白人をやっつけるということに対してのようであった。私には、香港住民の白人支配者に対する鬱積した不満が、この映画にはけ口を見いだしたように思えてならなかった。
 この映画を見終わったとき、同行の中国人の友人は「むかしの日本人は偉かった。いまの日本人はまったくだらしがない。アメリカのいいなりになっているかと思えば、国府に背を向け、中共と貿易したりする。まるでコウモリのようだ」と私に皮肉ったが、これは香港の国府系あるいは反共の中国人が、日本ならびに日本人につねに感じていることのようである。



後半の日本人に対する論評は先だってご紹介した洪洋のそれと驚くほどよく似ておりますが、いずれにしても、映画の中の日本兵にブーイングどころか拍手喝采だったとは。
わからんものです。

ちなみに、新東宝がこの手の催しに戦争映画を出品するのはこれが初めてのことではなく、1955年、まだ戦争の傷痕も生々しいシンガポールで開催された第2回東南アジア映画祭(現・アジア太平洋映画祭)に『人間魚雷 回天』を出品しようとして映画祭事務局及びシンガポール当局から待ったがかかり、出品を取り下げたという事件がありました。

で、ヲタルポ。

ご存知の通り、台湾新幹線は日本の新幹線のように在来線(台鐵)と同じ会社が運営しているのではなく、まったく別会社(高鐵)の運営によるもので、そのためでしょう、在来線との接続が恐ろしく悪いのでありやす。
せんきちが降り立った高鐵台中駅も野中の一軒家状態でありましたが、それでもここはラッキーなことに新烏日駅という在来線の駅と接続していますた。
てなわけで、台中駅を出たせんきちは、今度は新烏日駅で在来線(台鐵の区間車)に乗り換えて、台鐵台中駅を目指すことにいたしました。

ま、最近開通する日本の新幹線の場合、JRは新幹線に平行して走る不採算確実な在来線を自治体の第3セクターに押し付けて知らん顔をしていますので、それに比べれば多少不便でも台湾の方が互いに共存共栄できそうですから、いいのかも知れません。
日本では、新幹線の駅ができたところとそうでないところの地域間格差も広がるばかりですし。
高鐵の駅も今でこそ不便ですが、そのうち駅周辺の開発も進んで、いずれは便利になるのでしょう、きっと。

台鐵新烏日駅遠景。
はっきり言って「掘っ立て小屋」。


新烏日駅ホーム。


区間車(各駅停車)。
バリアフリーなんかクソ食らえ!の
段差ばりばり電車。

個人的には新幹線に乗っている時間も楽しかったけれど、区間車でのんびりまったり旅している時間も同じぐらい楽しかったです。
いつか暇ができたら、用もないのに電車に乗ってよさげな駅で降りてぶらぶらする、という旅もしてみたいなあと思いますた。

台鐵台中駅ホーム。


台鐵台中駅。


駅舎のてっぺんを裏側から覗く。
裏側もきれい。


高雄行き莒光号。


おまけ。
台中駅そばのAVショップ。
潰れてました。


(おしまい)

2008年2月8日金曜日

中年鉄子の部屋 (その壱)

〔たび〕

お恵ちゃん・・・・。

どうも。
トド柳鉄子です。

いまさらですけど、CCTV名物

『春節聯歡晩會』の子怡たん、

まるで、

年忘れにっぽんの歌



松山恵子

のようだったわね。

お恵ちゃん、北京に転生す。
(北京五輪でも暴れてやるわ!)


といったところで、本題。
一応、台湾新幹線の感想でも。

きっぷ。


車体。

えー、乗り心地はよかったっす。
静かだし、早いし。
台北から台中は1時間弱でしたが、正直、もっと乗っていたかったっす。
行きはグリーン車、帰りは普通車を利用しましたけど、帰りは不覚にも眠りに落ちてしまい、気付いたときは板橋で、車窓の景色を楽しむ余裕もありませんでしたわ。

グリーン車。
おしぼりと飲み物、おつまみの
サービスがあります。


普通車。


トイレ。
清潔だけど狭い。
マツコが入ったら
出られなくなるよ、きっと。


台中駅構内。
だだっぴろい。


飲食店は、ロイホの他、
モスバーガーと山崎パンが
あって、まるで日本。


モダンな駅舎。
でも、周りには何にもないよん。
野中の一軒家状態。


(つづく)

2008年2月4日月曜日

やっぱり、やめちゃいました

〔ちょっとお耳に〕

1965年、おめでとう。

『西施』の話が出たついでに。

ご存知の通り、『西施』は李翰祥率いる國聯と官製映画会社・台製の提携作品ですが、実は両者の提携作品はもう1本あったようで、せんきちが以前台北の古道具屋で入手した1965年のカレンダーには、『風塵三俠』なる作品が『西施』と共に大々的に取り上げられています。

カレンダーに記されたところによると、『風塵三俠』のスタッフ及びキャストは下記の通り。

スタッフ

製作:周天固、楊樵
脚本:高陽
監督:李翰祥(この他「執行導演」として、王月汀、趙振秋、楊文淦の名前があります)
助監督:陳汝霖
美術:顧毅、曹年龍
撮影:祁和煕
録音:洪瑞庭

キャスト

紅佛:張美瑤
李靖:楊群
虬髯客:洪波
楊素:李冠章
李世民:佟林
劉文静:古軍
孫道士:呉桓
隋文帝:馬驥
隋煬帝:趙雷
宣華夫人:李湄

タイトルとキャストからおわかりの通り、李靖、紅佛(最近では舒淇も演じてましたね、たしか)、虬髯客のいわゆる「風塵三俠」のお話です。

張美瑤演じる紅佛。


李靖(楊群)と紅佛(張美瑤)。


同上。張美瑤の乗馬姿。

『西施』が國聯の看板女優・江青が主演だったのに対して、こちらは台製之寶・張美瑤が主演でして、つまり、互いに1本ずつ看板女優の歴史超大作を撮る、ということでバランスを図ろうとしたのでしょうが、この映画、『台灣電影筆記』にある張美瑤のプロフィールでは本文でこそ触れられているものの、作品年表には記載がありません。
「おかしいなあ」と思っていたら、同じく『台灣電影筆記』所収の龍芳(台製中興の祖)のプロフィールにはこの作品が「未完成」とあり、なるほど、お蔵入りしちゃったんですね。

うーむ。
カレンダーの写真を見る限りでは、かなりの部分撮り終えていたようなのですが・・・・。
ここまで撮っておいて止めるか、李監督よ。

李監督と言えば、村木忍を台湾に呼んで美術デザインまでさせておきながら製作を止めちゃった映画もあったみたいですから、ここまで来ると、単に

飽きっぽい人

なのではないかと勘ぐりたくなってきます。

ちなみに、昨年香港で出た『風花雪月李翰祥』巻末の李監督の作品リストにこの作品の名前はもちろんありませんし、「李翰祥未完成的作品」の項からも漏れています。

未完成でもいいので、フィルムが残っていたら、ちょいと観てみたいもんですけどねえ。

2008年2月3日日曜日

バナナさんの羊

〔たび〕

台製之寶。


どうも。
昨晩、なぜか博多でマルシアに会う夢を見たトドです。

というわけで、昨日は婆さんの介護の合間を縫って駒場のシンポジウムへ行ってきました。
大方の予想通り(?)、時間が大幅に押したため、最後の発表と質疑は聞けずじまいでしたが(婆さんが待ってるもんで)、黄先生と三澤先生の発表はとても興味深いものでした。
黄先生の発表で考察の対象となっていた『最長的一夜』、とてもいい映画ですし、せんきちも大好きな映画なので、いつか日本で上映してほしいものです。

ところで、以前にも触れたかもしれませんが、『最長的一夜』での宝田さんの役名は田中。
『香港の夜』と同じです。
ただ、『最長的一夜』の場合、彼が田中という姓であるのにはちゃんとした理由があって、「田中という苗字は田んぼの中で労働していたことを意味する、だから元は君たち(樂蒂演じる阿翠たち中国の農民)と一緒だったんだ」といった台詞を宝田さんが言う場面があります。
この他にも、田中が中国生まれで中国人に親しみを持っていること等、『最長的一夜』での田中のキャラクター造型には非常に細かい配慮が感じられる、ということを、ここでちょこっと指摘しておきたいと思いますです。

それから、三澤先生の発表の中で台湾語映画の中の抗日作品として紹介されていた『青山碧血』と『血戰噍吧哖』には、『社長洋行記』で尤敏の兄を演じていた洪洋も出演していました。
彼は台湾語映画で活躍した後北京語映画に転じ、香港へ渡って電懋の専属俳優となったのですが、『アサヒ芸能』1962年11月25日号所収の記事「メロドラマ全盛の香港映画」に彼のインタビューが載っていて、そこでは、


香港へ来る日本人も多いですが、昔あんなに威張っていた人たちが、どうして今になって頭ばかりさげるのですが。日本人は外国でもっと威厳をもたなくては・・・・


と、戦後の日本人の中途半端な変節ぶり(?)にとまどいを示しています。

で。

旅のご報告の続き。

いまや、台中一の観光名所となった感のある「香蕉新樂園」に、李翰祥監督の『西施』の小道具が展示されているという情報を入手したスパイせんきち、台湾新幹線に乗って台中まで行ってまいりました。
この日(12月24日)はあいにくと土砂降りの雨で、台中名物・太陽餅を抱えたまま市政府前でずぶぬれになったせんきちはようやくのことでタクシーを拾い、ターゲットである「香蕉新樂園」に向かったのでありました。

こちらは中央の広場部分。
この他にお部屋がいくつもあります。

まずは席に案内されて、メニューのチェック。
昼飯どきだったので、店員のお姉ちゃんからは火鍋のセットをすすめられました。
中でもお姉ちゃんの一押しは、「麻油土羊火鍋」なる冬の新メニューとのこと。
ま、麻油ならずぶぬれになった身体もあったまるだろうし、羊はよくある火鍋に入っているような薄くスライスしたヤツだろうと思い、ここは素直にお姉ちゃんの指示にしたがうことにしました。

注文が済んだら、さっそく作戦開始。
店の2階にあるという『西施』グッズ目指して、突撃あるのみ。

あった、あったわ!

ちなみに、店の2階は貸切用の個室が中心で、普段はほとんど使用されていない模様。
展示物を見て喜んでいるのも、せんきち1人きりでした。

小道具だけかと思いきや、
衣裳もありますた。

はるばる日本からこれだけを見に来るアフォは、せんきち1人くらいのものでしょう、たぶん。

尤敏小姐にも遭遇!


同じく樂蒂小姐。

潜入を終えて席に戻ると、食事が運ばれてきました。


火鍋の羊肉は薄切りどころか超厚切り、しかも、

良く言えば歯ごたえがある

けれど、

悪く言えば硬すぎる

といった代物で、噛み切るのにたいそう難儀しました。

歯の丈夫な方に、おすすめします。

味はおいしかったけどね(辛いけど)。

しかし、これに珈琲というセットって、なんだかおかしな気もするけど、それを言ったら日本の「とんかつ定食に珈琲」もそうとう変になるんだろうな、やっぱり。