2013年3月17日日曜日

全ての映画好きと美女好きに捧ぐ

〔えいが〕




劇中、素敵な曲が沢山ある中、
せんきちが一番好きなのはこれ
"Ajab si"。
ダンスシーンじゃなくてスマソ。


どうも。
せんきち@花粉症で目が痛くて仕方がありませんです。

さて、本業へ戻ると書きながら、どうしてもこれだけはと思い、のこのこ戻ってまいりました。

昨日(3月16日)から東京(シネマライズ)と大阪(シネリーブル梅田)で上映されているインド映画『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム(Om Shanti Om)』。
2007年に制作され本国ではメガヒットを記録した作品ですが、不詳せんきち、昨年10月にアテネフランセで初めて観て以来、すっかりこの映画に魅せられてしまい、昨日も今日も鑑賞してまいりました。

インド映画といえば「歌と踊り」というのが日本での通り相場ですが(せんきちの場合、岩波ホールのサダジット・レイ世代なので、それ〔歌と踊り〕を知ったのはずっと後年になってからのこと)、何よりこの映画の素晴らしいところは全編に漲る映画への深い愛情。
映画の中のあちこちに過去のインド映画やスターに対するオマージュが散りばめられていますが、そんな知識はなくとも、本作の監督であるファラー・カーンがこの作品に込めた映画愛は、映画好きの人であれば誰でも感じ取ることが出来るでしょう。
事実、せんきちも初見のさいはまっさらな状態だったのですが、「ああ、この監督は本当に映画が大好きなんだなあ」と、その映画愛に圧倒されたのでした。
映画スタジオを舞台にしている点では『雨に唄えば』を想起させますし、後半には『めまい』を連想させる場面もあって(『めまい』の件は、映画のパンフレットにある野崎歓先生のコラムにもご指摘があります)、往年のハリウッド映画がお好きな方も楽しめると思います。

そして、せんきち的には目下のところ地上最高の美女であるところのディーピカー・パードゥコーン(Deepika Padukone)の出世作であるのが一番のポイント、だったりします。
映画好きだけでなく、美女好きの方にも強力プッシュしたい作品でおます。



ご本人の名乗り(?)を聞くと、
ディーピカーよりはディピカーに
近いようです。



不肖せんきち、彼女のことを
勝手に「べっぴんさん」と呼んでおります。
美しすぎるぜ!




インドではソニーサイバーショットの
CMにもご出演。
起用されています。
意外と深い(のか?)日本とのご縁。





でもせんきちが一番好きなCMはこれ。
こんなNESCAFEなら毎日飲みたい。




ちなみに、スイスの高級時計Tissotの
ブランドアンバサダーも務めております。


ということで皆様、ぜひ劇場へ足をお運び下さい。


べっぴんさんが再び
SRKとコンビを組んだ映画
ただいま、撮影中。
ファラー・カーン監督が振付を担当。
これも日本で公開してほしいものです。


後ろのデブのおっさんに目が釘付け。

(ひとまづおしまい)

2013年3月4日月曜日

『飛天女郎』と『あばずれ』のことなど (その2)

〔えいが〕



色魔な羅烈…なれど、修復版ではなぜか
レイプシーンがカットされています。
邵氏が「夜の青春」シリーズのリメイクを
作っていたら、きっと辰兄イの役をやっていたに
違いないわ!羅烈の『ひも』!


どうも。
トド@これを書いたらまた本業に専念するつもり…です。

ということで、前回の続き。
まずは、『飛天女郎』と『あばずれ』のキャスト比較を。

方盈 → 緑魔子
岳華 → 山本豊三
羅烈 → 待田京介

正直、緑魔子と方盈じゃキャラが違い過ぎ!なんですが、それよりも我慢できないのは『あばずれ』の男性キャスト(そこかい!)。

なんで待田さんが色魔なの!!!

あたしにとって山本豊三は「元松竹の二枚目スター」などではなく、

橘ますみたんを騙して犯して苦界に沈めた性悪男

なのですから!!!(『元禄女系図』参照。あ、でも、その後の『やくざ刑罰史 私刑!』ではますみたんを助けるいい人だったけど)

それはともかく、ヒロインを演じる女優のキャラの違いがそのままオチの違いにも現れているような気がいたします。
ま、邵氏としては、誰がヒロインをやってもハッピーエンドで終わらせるつもりだったのかも知れませんが。

最後に、『飛天女郎』制作にまつわる話題や邵氏における中平康作品のもろもろについて、前掲邱論文に収められたインタビュー記事を基に書いておきます。
以下、てきとーに箇条書きにて。

1、『飛天女郎』の撮影地及びカメラについて
『飛天女郎』のサーカスの場面は、木下サーカスの協力を得て千葉県で撮影が行われ、観客役として千葉大学の学生が動員されたそうです。
撮影にあたっては日活のスタッフが担ぎ出されました(以上、村田啓三インタビューによる)。
なお、市古聖智は「『飛天女郎』のカメラは間宮義雄だった」旨の証言を行っていますが、これは日本での撮影部分を間宮が担当したという意味ではないかと考えられます(それ以外の部分は西本正〔賀蘭正〕が担当)。

2、邵氏は当初、『泥だらけの純情』のリメイクを撮ろうとしていた
…(陳厚が・せんきち注)もう下り坂の頃。あの人の家まで行った記憶があるけど。そうだ、一番最初は中平さんの『泥だらけの純情』をやる予定で行ったんですよ。陳厚と鄭佩佩かなあ。誰かでやる予定で行ったんだけど、なぜか『特警009』に変わったんです。
…陳厚はあの役をやる時、もう30ぐらいになってたんじゃないかな、しきりに照れてて。それで衣装合わせまでやったの。なんで流れたか、記憶にない(以上、市古聖智インタビューより)。

3、『狂戀詩』と『獵人』の脚本は加藤彰監督が書いた
…中平さんは先に香港に行って、アクション映画なんか撮ったでしょう。日本に帰ってきて、また香港に行きたいんだけど、2本書いてくれって。1本は『狂った果実』、1本は『猟人日記』、向こうに合わせるような感じで書いてくれって。
…人物の名前はぜんぶ中国名にして、設定もぜんぶ変えてね。
…基本的には勝手に書いたの。後は監督に勝手にやってくれと。たぶん日本版より、香港版のほうがきちんとしてると思う。
…日本版(『猟人日記』・せんきち注)は難しいから、香港版の時は、サスペンスとか、娯楽的なことをかなり意識的に書いたね。
…(『狂戀詩』と『獵人』のタイトルを付けたのは・せんきち注)僕です。香港に合わせてね。
…これ(『『狂戀詩』と『獵人』・せんきち注)はやはり海賊版ですよね。日活にも断っていないし、(『猟人日記』の・せんきち注)原作者の戸川さんにも断っていないし。戸川さんに電話ぐらい、監督からしたかもしれないけど(以上、加藤彰インタビューより)。

「もろもろ」と書いた割にはたった3つのネタだけでしたが(情けねえ!)、こんなところで失礼させて頂きます。

(おしまい)

2013年3月3日日曜日

『飛天女郎』と『あばずれ』のことなど (その1)

〔えいが〕




どうも。
トド@珍しく連投です。

さて、『裸屍痕』に続き、中平康(楊樹希)監督が邵氏で撮った『飛天女郎』も観ることが出来ましたので、それにまつわるお話をいくつか。

中平康監督が「楊樹希」名義で邵氏に残した作品は4本(『特警009』『飛天女郎』『狂戀詩』『獵人』)ですが、『飛天女郎』を除く3作品はソフト化されたにも関わらず、どういうわけかこれだけはソフト化されずじまいでした。
念のため、おおまかなストーリーを記すと、

母親を亡くし、博打狂いの父親と知的障害のある(と、香港電影資料館ホームページの解説にはありましたが、ぱっと見そんな感じはしませんでした)弟を養うために工場で働く少女・李婷玉(方盈)は、工場が閉鎖されるかも知れないと聞き隣家の王老人(顧文宗)に相談しますが、かつて空中ブランコ乗りだったという王老人は彼女にサーカスの素晴らしさを話し、婷玉はサーカスへの憧れを抱くようになります。
ある日、父親が博打場で知り合った女(高寶樹)を妊娠させたことを知った婷玉は家を飛び出し、ふと見かけたサーカス団に頼み込んで入団することとなります。
その後、空中ブランコ乗りのスター・劉耀武(羅烈)からパートナーに指名された婷玉は練習に励むものの、女たらしの耀武は彼女の体が目当てで、酒を飲ませた上で犯そうとしますが、団員の羅天行(岳華)に阻まれます。
天行もかつては空中ブランコ乗りだったのですが、パートナーが事故死した後、ブランコに乗るのを止めてしまったのでした。
しかし、婷玉の熱意に打たれた天行は再びブランコに乗ることを決意、婷玉への熱血指導が始まりました。
やがて2人は恋に落ちますが、嫉妬に駆られた耀武は婷玉を襲い、婷玉は妊娠してしまいます。
逆上した天行は耀武と格闘になり、耀武は持っていたナイフで自分の腹を誤って刺し、この騒動が原因でサーカス団にいられなくなった天行は姿を消すのでした。
どうしても天行のことが諦めきれない婷玉は、子供を堕ろした後一人天行を探し始めます。
天行はヤクザの手下になっていました。
一度は婷玉を冷たく追い払った天行でしたが、結局ヨリを戻し、天行のアパートで愛を確かめ合います。
と、そこへ、婷玉の美貌に目をつけたヤクザのボスとその手下(天行の兄弟分)が押しかけ、天行と争いになりますが、駆けつけた警察に天行も逮捕されてしまいます。
その後、サーカス団の公演で婷玉は空中ブランコに乗りますが、空中を舞う彼女を待っていたのはなんと釈放された天行でした…。

というものです(あくまで「おおまか」)。

作品の感想としては、他の3作品に比べるとソフト化されなかったこれもそう悪くない出来ではないかな、と思いました。
あくまで、可もなく不可もなく、といった程度でしたが。

が、ここで問題にしたいのは、他の3作品が自作(『狂った果実』『猟人日記』『野郎に国境はない』)のリメイクだったのに対し、これだけがそうではないという点。
ウィキペディアではこれについて、渡辺祐介監督の脚本(ノンクレジット)を映画化したとあるようですが、邱淑婷の博士論文『香港・日本映画交流史:アジア映画ネットワークのルーツを探る』所収の村田啓三へのインタビュー(注1)には、村田が『特警009』と『飛天女郎』の脚本及び助監督を務めたということが詳細に記されています。
以下、そのインタビューから少し引用してみます。

…(1967年の・せんきち注)5月頃から僕は小林旭のアクションもの2本、これを香港に行ってやろうと言われて、それを香港向けに書き直して、2ヶ月ぐらい毎日麻布十番(中平のマンション・せんきち注)に行って書いたの。
…(『飛天女郎』の脚本は)日本語で書いたが、香港側の戴さん(戴振翮・せんきち注)が中国語に直したわけ。
…要するに啓徳空港は危ないとこで、狭くてっていう普通の知識はぜんぶ勉強しました。ホテルに帰って夜は暇だったから尖沙咀に行ったり、ビクトリア・ピークに行ったり、船の所に食べに行ったり。つまり、香港のことを吸収しながらこれ(『飛天女郎』・せんきち注)を書いたわけ。
…中平さんは夜お酒飲んで、朝になるともう寝てるわけでしょ、撮影現場に行って、「イーベキャメラ!」と言ったのは、私なんです。
…西本さん(西本正〔賀蘭正〕・せんきち注)と私と、そして桂さん(桂治洪。邵氏側の助監督・せんきち注)と相談して撮ったわけ。

ここまではっきりとした証言があると、「『飛天女郎』=渡辺祐介脚本説」には首を傾げざるを得ないのですが、たしかに渡辺監督が邵氏に招かれて映画を撮るという計画自体は西本正の証言によればあったようです。
しかし、邵逸夫が渡辺監督に直接「いくら払ったら香港に来てくれるか?」といった内容の電話をしたことで渡辺監督の香港行きに対する意欲が萎え、この話は立ち消えになったそうですから(注2)、この時点で邵氏向けの脚本が完成していない限り「『飛天女郎』=渡辺祐介脚本説」は成り立たないことになります。

ところで、先述の邱論文に収められた市古聖智(村田同様、中平監督の邵氏作品、さらには井上梅次監督作品でも助監督を務めた)へのインタビューには、

邵氏は渡辺祐介監督の作品をリメイクしたがったが、渡辺監督の映画を中平監督がリメイクするのはまずいということでボツになった。

といった趣旨の証言があり、その作品は『ひも』であったと記されています。
仮にこれが東映の「夜の青春」シリーズの『ひも』だったとすると、渡辺監督作品ではないので(関川秀雄監督)おかしいということになりますが、渡辺監督は同じく「夜の青春」シリーズの1本である『いろ』の脚本を担当しているので、あるいはこの映画の間違いだった可能性もあります。
ところが、ここでもう一度仔細に『飛天女郎』のストーリーを検討してみると、あれ?これって、


渡辺祐介監督の『あばずれ』(1966年、緑魔子主演。渡辺祐介・神波史男脚本)のストーリーとほとんど同じ!

なんですよ。オチが違うだけ。

となると、『飛天女郎』そのものの脚本の執筆者に関しては村田啓三で間違いないようであるものの、実際の流れとしては(以下、せんきちの勝手な推測)、

一度はボツになった『あばずれ』リメイク企画→しかし、オチを変えれば問題なかろう、ということになる→『あばずれ』を基にした香港版の脚本を村田啓三が執筆

といったような按配で、それらが巡り巡って「『飛天女郎』=渡辺祐介脚本説」となったのではないでしょうか。

当時の香港では緑魔子の作品がけっこう人気で(注3)、本家『あばずれ』も1967年4月に香港で劇場公開されており(中文タイトル:玉女情狂)、香港での上映から1ヵ月後には既に中平監督側に邵氏から『あばずれ』リメイク企画が持ちかけられていた可能性があります。
なんたる早業…(感心してる場合じゃないか)。

そんなわけで、次回は『飛天女郎』と『あばずれ』のキャスト比較や『飛天女郎』制作にまつわる話題、さらには邵氏におけるその他の中平作品に関する逸話等も取り上げてみたいと思います。

注1:邱論文の論考部分は香港と日本でそれぞれ公刊されていますが(『港日電影関係:尋找亞洲電影網絡之源』〔2006年、天地圖書〕『香港・日本映画交流史:アジア映画ネットワークのルーツを探る』〔2006年、東京大学出版会〕。他に英文版もあり)、インタビュー部分に関しては昨年香港で中文版(『港日影人口述歴史化敵爲友』、香港大學出版社)が出たのみです。
注2:『香港への道 中川信夫からブルース・リーへ』(2004年、筑摩書房)による。
注3:当時、香港で劇場公開された緑魔子の作品には(いずれも中文タイトル。原題がわかるものはカッコ内に明記)、『蕩婦淫魔(おんな番外地 鎖の牝犬?)』『都市悪魔』『三雄爭奪戰(ギャング頂上作戦)』『玉女情狂(あばずれ)』『龍爭虎鬥(暗黒街仁義)』等があり、1968年1月には『日本應召女郎(夜の悪女)』が残念ながら香港で上映禁止になった旨の報道も見られます(『工商日報』『華僑日報』による)。また、この他にもいくつかの緑魔子出演作が香港で上映を禁じられており、それらについては拙ブログの過去記事(こちらこちら)をご参照下さい。

(つづく)

2013年3月2日土曜日

『怪談おとし穴』と『裸屍痕』

〔えいが〕



貧乏くさい渚まゆみとはまた違った意味で
(脂が乗り過ぎて売れ残った大年増)
鬱陶しい丁紅。メイクも濃すぎだよ。

どうも。
トド@元旦の記事からいつの間にやら2ヶ月が経過してしまいますたです。
ちょっと本業に追われておりまして(お金になるといいんだけどねー、そうでもないのよ)、こちらの方は相変わらずの放置プレイですが、このたび、念願かなって島耕二(史馬山)監督が邵氏で撮った『裸屍痕』を観ることができましたので、この作品とオリジナルである『怪談おとし穴』(1968年、大映東京。島耕二監督。成田三樹夫、渚まゆみ、三条魔子、船越英二、他)との比較を試みてみたいと思います。

さて、前々からこちらでも触れている通り、『裸屍痕』は島監督が大映で撮った『怪談おとし穴』のリメイク作品でありますが、主要キャストの対照は次の通りです。

成田三樹夫 → 陳厚
渚まゆみ → 丁紅
三条魔子 → 丁佩
船越英二 → 丁紅(船越は渚の兄役でしたが、『裸屍痕』では丁紅が2役で妹役も演じています)

また、ストーリーのおおまかな流れはオリジナルとリメイク版、ほぼ同じと言ってよいのですが、その過程及び結末において3つの大きな違いが見られます。
それは、

1、『怪談おとし穴』では渚まゆみの遺体を会社のビルのパイプシャフトに落下させて隠蔽するのに対し、『裸屍痕』では廃屋の壁の中にセメントで塗りこめて隠すという、ポーの『黒猫』や日本の「化け猫」もののような趣向を用いています。このとき陳厚が遺体を運んできた車を盗まれてしまったことが、事件の解決に大きな役割を果たすことになります。

2、『怪談おとし穴』では妹の失踪に不審な点があると睨んだ兄が主人公(成田三樹夫)を追い詰めるのに対し、『裸屍痕』では丁紅の家族の依頼を受けた弁護士(王俠。主人公とは大学の同窓生という設定のようでした)と妹(丁紅の2役。姉の亡霊に扮して主人公を恐怖に陥れます)が主人公(陳厚)を追い詰めます。

3、『怪談おとし穴』のラストでは渚まゆみを落としたパイプシャフトに主人公も落ちていく、という設定でしたが、『裸屍痕』では罪を暴かれて半狂乱に陥った主人公が弁護士から逃げる途中、誤って崖から転落して死亡するというラストに変わっています。

というもので、せんきち的にはこの他にも『裸屍痕』には渥美マリみたいな受付嬢がいない、という点も大きな違いだったりするのですが、まあ、それはふつーの方には関係のないことですね、はい。

上記3点の違い、ささいなようにも感じられますが、これらの違いによって『裸屍痕』は『怪談おとし穴』のような「現代都市におけるオフィスビルを舞台にした怪談」ではなく、「貧しかった青年の野望とつかの間の栄光、そして挫折の記録」という、なんだか香港版『陽のあたる場所』(注)のような作品に仕上がっていました。
当初、リメイク版のキャスティングはどうなのかな?と危惧したせんきちですが、陳厚の純朴そうに見えて実は狡猾な主人公の造型や、渚まゆみに勝るとも劣らないほどの鬱陶しいオーラを発散する丁紅、お転婆お嬢様の丁佩と、意外や意外、なかなかしっくりきており、映画の内容もこれはこれでそれなりに良く出来ているのではないか、と思いました。
ちなみに、『裸屍痕』に関しては早稲田大学演劇博物館に日本語版シナリオがありますが、実際の作品もこのシナリオと同様の内容で、この日本語版シナリオが決定稿であることがわかりました。

以上、簡単ですが、『怪談おとし穴』と『裸屍痕』の比較をまとめてみました。
また何か新しく気づいた点があれば、その都度アップしていく予定です。

注:『陽のあたる場所(A Place in the Sun) 』そのものも香港で『人約黃昏後』(1958年、邵氏。何夢華監督。尤敏、趙雷、他)のような翻案作品が作られています。




陳厚&丁佩、2人のハネムーン先は日本。
陳厚は樂蒂とのハネムーン先にも日本を
選んでいたね、そういえば。

(ひとまづおしまい)