2005年9月30日金曜日

今日でお別れ

〔しようもない日常〕

最後のがんもどき、製造中(モザイクご容赦)。

あ、このブログはお別れしません。
まだまだしつこく続けるつもりです。

えー、先日、不肖せんきち、豆腐屋の子だと申しましたが、その豆腐屋を営む実家が地域の再開発に引っかかり、立ち退きの対象になりました。
で、親も年だし、このさい廃業することに決め、今日、9月30日が最後の営業日となったのでありました。

うちの店は『頭文字D』とは逆におかんが1人で切り盛りしているので、昨日、今日とあっしが手伝いに駆りだされ、主に販売を担当いたしましたが、いやはや、忙しかったっす。
おかんは、夜中の2時30分から働きっぱなし・・・・。

秋生、酒飲んで寝てる場合じゃないぞ!

午後4時過ぎに全ての品物は売り切れたのですが、その後も注文を受けたお客さんへの応対や後片付けに時間がかかり、結局、終わったのは午後7時過ぎ。
おかんに何かおいしいものでもご馳走しようと思い、近所のお好み&鉄板焼き屋へ行こうとしていたところへ、酔っ払いのおっさんがいきなり、

ママ!

と叫びながら乱入してきました。
「誰?この人?」と思ったら、お向かいの某金融機関の課長さんで、近所のカラオケボックスで皆(男子〔おやじ〕行員のみ。女子行員には逃げられたらしい)が待っているから一緒に行こうと言い出しました。
何度も断ったのにしつこく言うので仕方なく同行、お好みと鉄板焼きを食べるはずが「ミートソースに鳥のから揚げ」という場末の純喫茶メニューを食す羽目に・・・・。
選曲にも気を遣って、オヤジ受けしそうな歌だけ歌いましたわ。

「もう一軒!」と迫るオヤジをおかんと2人で振り切り、途中、なじみのちゃんこ鍋屋に少し立ち寄った後、帰宅したら午後10時近く。

・・・・うまいもん、食いたかったっす(ちゃんこ屋ではヤキトリ食ったけど)。

以上、つまらない近況報告でした。
明日は何か書きます、たぶん。

あっしの大好物。木綿豆腐の切れっ端。売り物には
ならない部分ですが、ここには大豆の味が凝縮されています。

2005年9月28日水曜日

馬比奈明星合唱團

〔ちょっとお耳に〕



今日のテレビ朝日。
午後7時から、

帰ってきた昭和の名曲 美空ひばり秘蔵VTR&懐かし大ヒット33曲

という、テレビ東京がまんまお引っ越ししてきたような番組をやっていました。

午後8時頃まで観るとはなしに観ていましたが、黛ジュンはアップで映るのにその後に出てきた弘田三枝子はロングショットばかりだったりと、こういう細かい配慮に却って恐ろしさを感じた歌番組でおました。

で。

「ムード歌謡コーナー」に和田弘亡き後のマヒナスターズが登場しましたが、そういやマヒナも松尾和子と台湾公演してるんだよなあと思い、古新聞を引っ張り出してきたのが今日のネタです。

1966年2月2日付『聯合報』によると、松尾和子とマヒナが台湾にやってきたのは、その前日の2月1日。
台北、台中、台南で公演を行った後、今度は沖縄へ渡って、そこでも公演を行うというスケジュールだったようです。
松尾和子は初めての、そしてマヒナは1965年6月に次ぐ2度目の来台でした(この後、1968年2月にも来台)。
公演ではおなじみのヒット曲(『誰よりも君を愛す』『再会』『お座敷小唄』等)の他、『薔薇處處開』のような北京語曲や、『雨夜花』のような台湾語曲も歌ったそうです。

当時、日本の歌手がどこで公演を行っていたかといえば、その多くはホテル内の施設もしくは市内のナイトクラブを利用していたみたいで、松尾和子とマヒナも台北では国賓大飯店内のナイトクラブで公演を行った模様です(このクラブでは美空ひばりや雪村いづみも公演を行いました)。

記事にはこの他、日本で既に台湾語曲のレコードを1枚出している彼らは(ほんとか?)、この度の来台のさいに北京語曲のレコードを製作する予定、だの、この3月にクランクインする新星電影公司の映画『求愛的條件』(白蘭、柯俊雄主演)の主題歌を歌い、ゲスト出演もする、だのといった初耳ネタが満載でしたが、「台湾電影資料庫」には『求愛的條件』という映画は存在しませんでした。

やっぱりこれも、双子の方くん映画と同様にお蔵入りしちゃったのかしらん?

ちなみに、松尾和子とマヒナの来台は政治とは無関係のものでしたが、この時代、日本の芸能人が来台する場合、蒋介石の誕生日や総統就任式の時期にやってくることが多く、美空ひばりは誕生日(1965年10月)、鶴田浩二や小林旭は就任式(1966年5月)に合わせて来台、祝賀行事にも駆り出されたようです。
「日本からはるばる総統様のお祝いにやって来た大物芸能人」というシチュエーションが、独○者(1字自粛)の自尊心をくすぐるものだったのでしょうが、どこぞの将○様(1字自粛)と考えることは変わんないんですね、ほとんど。

2005年9月27日火曜日

『昴』っつっても、チンペイさんじゃなくて

〔ちょっとお耳に〕


昨日の『日刊スポーツ』芸能欄。

バレエ漫画「昴」実写映画化

なる記事があり、「なんじゃいの?」と思いつつ中身を確認したところ、

・・・・配給はワーナー・ブラザーズが行い、日本をはじめアジア各国、米国などで07年公開を目指している。「不夜城」などで知られるリー・チーガイ監督がメガホンをとり、高倉健主演「単騎、千里を走る。」や「HERO」などを手掛けたビル・コン氏がプロデュースする。(略)

ふーん。
ということで、web上にもう少し詳しいニュースがないか探して見たものの、当の『日刊スポーツ』すらweb版にはこの記事を載せておらず、『デイリースポーツ』の方にちょこっとだけ記事がありました。

「昴」映画化 ヒロインら公募

『日刊スポーツ』の紙面にもありましたが、オーディションで出演者を選ぶそうです。
我こそはと思う方、応募してみてはいかがでしょうか?

あら、満23歳以下なのね。・・・・失礼しました。

ということで、以下は別の情報。

バビゾさんの「爆裂(バースト)BLOG」で教えていただきましたが、橘ますみたんご出演の『ずべ公番長 ざんげの値打ちもない』がアメリカでDVDになるようです。
"The Pinky Violence Collection"という4枚組DVDセットで、他の3本は『女番長ゲリラ』『恐怖女子高校 暴行リンチ教室』『前科おんな 殺し節』との由。
音声は日本語、字幕は英語みたいです、こちらの商品ガイドによれば。

先ほど、なんとなくふらふらと注文してしまいました。
「11月15日発売」だから、まだまだかかるわね、時間が。

その他、『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』『やさぐれ姐御伝 総括リンチ』もそれぞれ単体で本日発売です。

ちなみに、『ずべ公番長 ざんげの値打ちもない』は、「ずべ公番長」シリーズの最終作(第4作)。
ますみたんは、主人公「はまぐれのおリカ」こと影山リカ(大信田礼子)の盟友(女練鑑仲間)「お長」こと八尾長子を演じております。

お好きな方はぜひ。

付記:『女番長ゲリラ』、『十三太妹』という中文タイトルで香港でも公開されておりますが、それに関してはこちらをお読み下さい。

2005年9月26日月曜日

事事如意 (Everything Is Going My Way)

〔えいが〕

1971年、台湾(中影)。廖祥雄監督。歸亞蕾、葛小寶主演。

おめでたい旧正月が舞台なので、まんま旧正月映画だったのではないかと思いますが、新年を迎え、お爺ちゃんが子どもや孫たちに自分がいかにして今日の繁栄を築くに至ったのかを面白おかしく話して聞かせ、忠君愛国の大切さや中国人の伝統を忘れてはいけないと諭す、正月早々

説教垂れまくり

映画であります。

で、お爺ちゃんのサクセスストーリーはというと、床屋の倅に生まれた龍寶年(葛小寶)は手先が不器用でそそっかしい性格のため親の跡を継げず、父(葛香亭。葛小寶の実のお父さん)の死後、さるお屋敷に奉公するようになります。
ドジでノロマで飯だけ大食らいな寶年でしたが、ある日、屋敷に入った賊を退治するという大手柄をあげ、それを見込んだ主人(魏蘇)は自分の娘(歸亞蕾)との結婚を許します。
結婚後、米屋を始めた寶年は、日本の憲兵隊に追われて負傷した重慶の特務を匿います。
深手を負った特務は、別の特務に日本軍の機密書類を渡してくれるよう寶年に頼んで息を引き取るのでした。
日本軍の目をごまかして、寶年はどうにか特務・金不換(岳陽)に機密書類を渡すことに成功します。
戦後、台湾へ渡った寶年は、雑貨店を経営する傍ら、自分は車夫として忙しく働いていました。
そんなある日、ぐうぜん金不換と再会した寶年は、観光業をやっているという金と共同事業に乗り出し、貯金をはたいてバスを買い、娘をガイドに仕立てて、自分は運転を担当するようになります。
折からの観光ブームに乗って順調に業績を伸ばした寶年の会社はホテル経営にも進出、ついに台湾でも有数の観光業者となるに至ったのでした。めでたしめでたし。

当然のことながら外省人のお話なので、米屋を営んでいた時代には、ちょび髭&何かといえば「バカヤロー!」連発な日本兵と漢奸通訳が登場いたします。
でも、監督が本省人だったせいか、彼らが話す日本語の発音も比較的きちんとしていたような。おそらく、日本語世代の役者さんを使ったのでしょうね。

しかし、日中戦争後の国共内戦やその後の台湾への敗走など、国民党にとってネガティブな歴史は「なかった」ことになっております。
さらに言えば、日本の植民地だった台湾の歴史も「なかった」ことになっているので、戦前&戦時中の大陸のお話と戦後の台湾のお話はあくまで連続したものになっており、全てが「中華民国の歴史」一色に塗りつぶされていました。

こういうネタに「忠君愛国の大切さや中国人の伝統を忘れてはいけない」という説教を盛り込んでおめでたい旧正月映画にしちゃうあたり、やっぱり国府のプロパガンダ臭ぷんぷんの映画なのでありました。

どうでもいいけど、葛小寶って、カンニング竹山に似てるね。
いつも笑顔のカンニング竹山。

付記:ホテルの開業セレモニーのゲストとして、王莫愁が本人役でちょこっと顔を見せていました。

2005年9月25日日曜日

天性の走り屋、現る?

〔とほほ事件簿〕

盗んだ車で32キロ運転、小5男児を補導 滋賀

滋賀県警草津署は25日、同県彦根市の小学5年の男児(10)が家出をしようと軽乗用車を盗み運転していたとして、窃盗の疑いで補導した。男児は同市内から約32キロ離れた同県草津市内まで運転し、県道を走っているところを警察官に見つかった。けがなどはなかったという・・・・

メインサイトの更新をしていたら、こちらにネタを上げる気力が萎えてしまい、なんとなくニュースサイトを経巡っていたときに出会ったのがこのニュース。
イニDも真っ青。

こちらの報道によると、

「外へ出たら風が強く、自転車だとしんどいと思って車を盗んだ」

のだそうで、「天性の走り屋」と言えそうです(褒めてどうする!)。

ま、滋賀だからよかったけど、東京じゃ大事故になってたかも。

よい子のみんなは決して真似しないようにしましょう。

2005年9月24日土曜日

双子のリリーズ、台湾上陸!

〔ちょっとお耳に〕

方でーす!

いつものように昔の『聯合報』を読んでいたら、「日本のテレビ界の売れっ子子役で台湾籍を持つ方孝徳兄弟が帰国、台湾で映画撮影」(超訳)という記事がありました(1968年7月3日付)。

記事によれば、方孝徳くんと双子の弟・好徳くんは今年(1968年現在)12歳。
お父さんの方顕揚さんは1943年に来日して貿易業を営み、日本女性と結婚後、大阪に居を構えました。
孝徳くんと好徳くんは6歳のとき児童劇団に入り、1964年には『拝啓カアチャン様』(朝日放送)に出演、その後は数多くのテレビドラマに出演するだけでなく映画界にも進出している旨の記述がありました。

でも、この双子、いったい誰よ?

というわけで、さっそく捜索開始。
その結果、1966年の実写版『忍者ハットリくん』や1967年の『怪獣王子』に出演していた野村光徳・好徳兄弟であることが判明いたしました。
おそらく、野村というのはお父さんの日本名ないしは母方の姓でしょう。
また、記事中の孝徳は、光徳の日本語音読み(コウトク)から生じた誤記ではないかと思われます。

んー、こないだの光川さんや朱さんもそうだったけど、あくまで台湾では日本名はアウトなのね。

で、孝徳ならぬ光徳くん&好徳くんが出演した映画ですが、記事には『神俠小飛龍』とあるものの、「台湾電影資料庫」にはそのようなタイトルの作品はありませんでした。

お蔵入りしちゃったのかしらん?

ただ、光徳くんが単体で出演した『龍王子』(1969年)は、ちゃんと完成・公開されております。
こちらの監督さんはかつて松竹にいた福田晴一、共演は江青、武家麒というなかなかの豪華メンバー。
タイトルだけ見ると、『怪獣王子』のパクリくさいけど。

方兄弟こと野村兄弟、今はどうしているのでしょう?
ちょいと知りたい気もいたします。

2005年9月23日金曜日

鳥ぎんの釜めし

〔ちょっとお耳に〕


今日は朝から昼過ぎまで都内某所で秘密会議に出席し、会議終了後、急ぎ京橋の映画美学校へ行って、「山形国際ドキュメンタリー映画祭前夜祭」の全景特集の内、『午後のおかず(下午飯的菜)』(1997年、台湾〔全景〕。黄祈貿監督)と『仕事をください(請給我一份工作)』(1997年、台湾〔全景〕。楊明輝監督)を観ました。

が、『午後のおかず』では半分ぐらい寝ていたので、『午後のおねむ』に・・・・。

『仕事をください』は、外国人労働者を受け入れた結果、これまで主に単純労働に従事していた原住民が職場を追われて失業しているという現状を取り上げたものでしたが、彼らと入れ替わりに職を得た外国人労働者も、きわめて劣悪な労働条件の下で酷使されているという、これまた苦い状況なのでありました。

結局、得をするのは・・・・(以下自粛)。

話題は変わって。

先日、鳥ぎんの釜めしをいただきました。
五目(写真)とカニ。
どう見ても2人前はありそうなおみやげ用の五目釜めしを頬張りながら、あっしが思い出したのは、尤敏小姐のこと。
彼女、鳥ぎんの釜めしがお気に入りだったようで、1961年4月27日付『報知新聞』掲載(10面)の「日本になじむ 香港女優ユー・ミン」には、

・・・・好きな日本料理はカマメシとヤキトリ。撮影が早く終わったときなど、ときどきホテル(帝国ホテル・せんきち注)を抜け出し、銀座裏のカマメシ屋のノレンをくぐる。

とあり、事実、1962年7月の来日時には、鳥ぎんで釜めし食べてる姿を激写されています。


一説によると、彼女は白いご飯が苦手だったらしいですから、日本料理では釜めしがお気に入りというのも、何となく納得がいきます。
そういえば、先だって京都へ行ったとき連れて行ってもらった先斗町の料理屋さんも釜めしが名物で、あっしは「鱧ごはん」という鱧と枝豆を炊いたのをいただきましたが、たいへん美味でした。
尤敏小姐もきっとお気に召したんじゃないかな、この店のこと。

ちなみに、苦手な日本料理は刺身だそうで、となると、『ホノルル・東京・香港』で宝田明にワサビ寿司食わされて吐き出す(香港名物〔?〕ここでも出現!美女が吐く!)場面、あれは演技じゃなかったんですね。

ご苦労様でした。

2005年9月22日木曜日

香港合作映画の黎明

〔えいが〕

尤敏@1962年

東京国際映画祭も大いに気になるものの、こちらは地味に別の上映情報を。

11月上旬、福岡市総合図書館映像ホール・シネラにて「香港合作映画の黎明~宝田明、尤敏(ユーミン)主演による「香港三部作」を中心に~」という特集上映が開催されます。
今のところ日時が判明しているのは、11月3日(木・祝)の、

14:00~ 宝田明シネマトーク「宝田明 大いに語る」
15:10~ 映画上映『香港の夜』
*シネマトークは、映画『香港の夜』とセット料金(入場料:1000円〔前売:800円〕)

のみなのですが、今日、電話で問い合わせたところによると、上映予定作品は下記の通りとの由。

『楊貴妃(楊貴妃)』(1955年、大映・邵氏。溝口健二監督。京マチ子、森雅之主演)
『白夫人の妖恋(白蛇傳)』(1956年、東宝・邵氏。豊田四郎監督。山口淑子、池部良主演)
『香港の夜(香港之夜)』(1961年、東宝・電懋。千葉泰樹監督。宝田明、尤敏、司葉子主演)
『香港の星(香港之星)』(1962年、東宝・電懋。千葉泰樹監督。宝田明、尤敏、団令子主演)
『ホノルル・東京・香港(香港・東京・夏威夷)』(1962年、東宝・電懋。千葉泰樹監督。宝田明、尤敏、加山雄三主演)
『ならず者(雙雄喋血記)』(1964年、東映。撮影協力・邵氏。石井輝男監督。高倉健、丹波哲郎主演)
『香港の白い薔薇(香港白薔薇)』(1965年、東宝・台製・電懋。福田純監督。山崎努、張美瑤、宝田明主演)

『梁山伯と祝英台(梁山伯與祝英台)』(1963年、邵氏。李翰祥監督。賀蘭山〔西本正〕撮影。円谷英二特技。樂蒂、凌波主演)
『大酔侠(大酔俠)』(1966年、邵氏。胡金銓監督。賀蘭山〔西本正〕撮影。張佩佩、岳華主演)
『香港ノクターン(香江花月夜)』(1967年、邵氏。井上梅次監督。賀蘭山〔西本正〕撮影。服部良一音楽。黒沢治安美術。張佩佩、何莉莉、秦萍、陳厚主演)

『最長的一夜』をやってくれるか期待したんですが、駄目でした。
ざんねん。

後半3本は去年の「西本正まつり(仮)」でも上映されていますが、今回は『梁祝』だけでなく『白夫人の妖恋』も上映されるので、両者の昇天場面を比較してみると面白いと思います。
どちらも円谷英二が特技を担当しています。
『梁祝』では「化蝶」の舞踊場面も撮影したらしいのですが、編集段階で全てカットされ、結果的に『白夫人の妖恋』とクリソツな展開になっております。

『楊貴妃』は戦後最初の日港合作映画(戦前にあったっけ?)。
しかし、キャストは日本人、撮影も日本で行っています。
この作品の封切は1955年5月3日でしたが、同じ日に封切られた『亡命記』(松竹。野村芳太郎監督。佐田啓二、岸恵子主演)が國際(電懋の前身)の協力を得て香港ロケを行い、陳又新、紅薇といった香港俳優も出演している点から考えると、こちらの方がむしろ合作映画に近い形態と言えるかもしれません。

また、東宝と邵氏の合作でしたら、出来は悪いですが『お姐ちゃん罷り通る(香港三小姐)』(1959年。杉江敏男監督。団令子、重山規子、中島そのみ主演)は香港ロケも行っていますし、張沖や丁紅も出演しているので、これも上映してほしかったところ。

「香港3部作」に関しては、今さら申すまでもありますまい。

『ならず者』は、ご存知の通り吳宇森監督に多大な影響を与えた作品です。
11月2日(水)、池袋の「輝男まつり(仮)」でも上映されます。
まだご覧になっていない香港映画ファンの方には、ぜひ観ていただきたい映画です。

『香港の白い薔薇』は、「ポスト尤敏」として東宝が売り出した寳島玉女・張美瑤の主演作。
東宝の香港ロケ作品の中では、一番あっちゃこっちゃいろいろなところにカメラを持ち込んでいる作品です。
出来はあんまりよくないけど。

チケットは、宝田明のトークの他は、全て当日券のみだそうです。
お近くの方は、足をお運びになってみて下さい。

2005年9月21日水曜日

藤原とうふ店の謎

〔えいが〕

お湯をかける芸者@こんなん売ってます

先ほどから頭痛がひどいです。
頭痛薬を飲んだのですが、治りません。
でも、せっかく『頭文字D』を観てきたので、その感想でも。
しかし、普通の感想では面白くない、というか、そんなもんはもう皆様が書いておられるので、拓海と同じ

豆腐屋の子

である不肖せんきちが感じた

藤原とうふ店の謎

について、根掘り葉掘り考察してみようと思います。

(謎その1)
午前5時前にたった1人で全ての仕込みを終え、飲んだくれて寝ていられるお父さん。
あなたはきっと、徹夜で仕事をしているはずです。
なぜなら、


お豆腐の基本形である木綿豆腐は、上記写真の向かって右にあるような型に寄せ豆腐を入れ、重石を載せて固めて作るわけですが(詳しくは、こちら)、お豆腐ができたら仕込みはそれでおしまいというわけではございません。

今度はそのお豆腐を原料にして、


このような機械(中央奥)を使い、


厚揚げや、


油揚げ、


そして、がんもどき(大・小ございます)を作らねばなりません。
さらに言えば、油揚げは豆腐用の大豆とは違う少し小ぶりの大豆を使って作った油揚げ用のお豆腐を用います。

てなわけで、この作業を1人でこなすとかなりの時間がかかるという次第。

毎晩徹夜、ご苦労様!

(謎その2)
ドラマや映画にありがちな展開ですが、全く客が来ないですねえ、この店。
真昼間から店番ほったらかしにして、奥の茶の間に引っ込んでいられるなんて・・・・。

豆腐屋というのは客単価の低い商売ですから(うちの小売値段:お豆腐〔木綿・絹・焼〕150円、厚揚げ120円、がんもどき大120円、小45円、油揚げ70円、豆乳1合50円)、コンスタントにお客さんが来なければやっていけません。
拓海が配達するお豆腐を仮に100丁として、大量購入ですから卸値段で1丁120円で計算すると、それでも12000円。
あの経営状態ならば、1年で閉店でしょう、現実には。

「むじんくん」のお世話にならないことを祈ります。


忙しい豆腐屋さんで、真昼間から寝ていられるのは猫だけかもねん。うにゃあ。

以上、豆腐屋の子が感じた藤原とうふ店の謎でした。
瑣末な突っ込みですんません。
あ、映画自体は面白かったです、単純に。

付記:お父さん、水を使う商売なので、長靴を履いてゴムの前掛けを付けたほうがいいですよ。
拓海、食べ物屋の息子が自分とこの店先でゲロしちゃいかんだろ。するならお向かいの家の前でしなさい(おいおい)。

2005年9月19日月曜日

謎の旅日女星・朱惠姫さん

〔ちょっとお耳に〕

わたしが朱恵姫です。

今月に入ってようやくリリースが再開された國泰(電懋)のDVD&VCD、22日には『喜相逢』(DVDはこちら)が発売されます。
これも先ごろ発売された『教我如何不想她』と同じく、服部良一が音楽を担当しています。

で。
昨日の光川さんネタに関連して、日本で芸能活動をしていた台湾人のことを。

1964年8月15日付の『聯合報』に、

我絶対不演辱没祖國的電影! 旅日青春女星朱惠姫隨母返台

なる、日本で女優活動を行っていた朱惠姫さんが母と共に帰国した旨の記事があるのを、先日発見いたしました。

それによると、朱さんは今年19歳(ということは、1945年か44年の生まれ。数え年なら46年)、中学1年生のとき一家で日本に移住(両親は共に高雄人)、現在は母親の母校・東京音楽大学(記事中では「東洋音楽大学」となっていますが、これはおそらく東京音大の旧称・東洋音楽学校のことと思われます)の学生との由。
女優としては東宝の『独立愚連隊』に出た後、松竹の専属となり、『太陽を抱く女』で重要な役を演じて、一躍注目されるようになったそうです。
しかし、『戦場の野郎ども』に「朱恵香」という中国人女性役で出る予定だったのが、国府軍(映画では国政軍)の兵士が朱恵香を強姦する場面があることを知った彼女の母親が激怒、出演を辞退して帰国したのでした。

たしかに、単に中国人役ということだけでこんな設定の映画に朱さんを出そうとした松竹の安易な姿勢には、首を傾げざるを得ません。

結局、朱さんは日本へ戻って芸能活動を続けたようですが、しかしこの朱さん、芸名はどうやら日本名だったらしいものの、いったいどんな名前だったのか、いっこうに判然といたしません。
ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示下されば幸いに存じます。

おまけ:昨日(中秋)のお月様・・・・のはずが、火の玉みたいになっちゃった。

2005年9月18日日曜日

熱砂の慕情

〔しようもない日常〕

日本女性の三大美徳@見ざる、聞かざる、言わざる


ここ数日、お腹の調子が悪くて困っています。
あんまり調子が悪いので、今日は朝から『ハラキリ』を観ました(かんけーないよ!)。
お竹さんが弾いていた琵琶、中国琵琶でした。

マタハリって、男だったのね(股張?←お下劣!)。

さて、今日はお買い物報告。

井上清子さん(後の光川環世さん。以下、光川さんと呼びます)のレコードを買いました。
熱砂の慕情』という、彼女がヒロインを演じたドラマの同名主題歌です。


ご存知の方も多いと思いますが、光川さんの本名は李月隨。
1950年12月20日台湾生まれの台中人です。
5歳のとき、父親の仕事の関係で日本に移住、7歳で東宝芸能学校に入学して子役としてデビューしました。

日本で子役デビューした台湾人というと、翁倩玉(ジュディ・オング)が有名ですが、ジュディさんがなんだかバタ臭い芸名だったのに比べて光川さんは日本名を芸名にするという、かなり対照的なイメージがあります。
一つだけ、『星のフラメンコ(天倫涙)』のときに「藍芳」というチャイニーな芸名を名乗っていますが、これはどうも台湾向けの配慮のようです。

で、このレコードを見ると、括弧して「李玲香」とあります。
当時の台湾での報道を調べたところ、「李月隨が李玲香と改名」という内容の記事があるので、これもどうやら台湾向けの芸名のようです。
あるいは、もしかしたら日本でも井上清子から李玲香に改めようとしていたのかも知れませんが、結局、日本では光川環世というやっぱり日本名に落ち着いたのでした。

ちなみに、光川さんは台湾語映画で活躍した李泉溪監督の姪御さんだそうです。
血は争えないということでしょうか。

肝心の歌についてですが、レコードプレイヤーが壊れているため、買ったはいいが聴けない状態が続いております。
後ほど、改めてご報告いたします(間抜け)。

2005年9月17日土曜日

大覇尖山 (Conquer The Ridge)

〔えいが〕

やっぱり、こうじゃないと。

1977年、台湾(中影)。廖祥雄監督。葉明德、張璐、田野主演。

疲れているのにビールを飲んだら、疲れが倍増しました。
眠いっす。

先日観た台湾映画の感想を少しだけ。

ルンルン気分(死語)で大霸尖山登頂に出かけた大学生グループが、その帰途、道に迷って遭難、無事助けられるまでを描いたドラマ・・・・なんですが、雪山じゃないし(晩秋みたい)、お天気も常にピーカン、しかも見晴らしのいい草むらで道に迷ったことに気付く、という、なんだかお間抜けなシチュエーションなので、説得力がかなーり薄な映画でおました。
あんなにいいお天気なのに、

眠るな!眠ると(凍えて)死ぬぞ!

と言われても、なんだかねえ・・・・。
雪山は無理でも、天候が急変して雨が降り出し、そのために体力を消耗していく、とかいう設定にした方が良かったと思います。

ま、大霸尖山自体は変わった形状の山なので、そこへカメラを持ち込んでロケーションを行ったことで全ての目的が達成されてしまい(以外にあっけなく登頂成功)、ストーリーはニの次になってしまったのかも知れません。

また、遭難したことによって起こるグループ(男3人・女2人)内の人間関係の変化や、彼らの家族の人間模様も、もっと丹念に描いてほしかったところです。
特に、「息子を助け出したら○万元やる!」と口走って失笑を買う金満親父の描写も、単に出しっぱなしで中途半端に終わっていました。

はじめはガイドを断ったくせに、結局は彼らと行動を共にし、最後は落石から彼らを守ったさいの傷が元で亡くなる山男・阿米が、なぜ行動を共にするに至ったかの理由(グループ内のギャルが亡くなった恋人にクリソツだったから)は、いきなり文芸愛情片な展開。

あのへんてこな山で撮影をした「川口探検隊」的(?)な意義は大いにあると思うのですが、もうちょっとお話を丁寧に作ればもっと面白くなったのになあ、という残念な映画でおました。

2005年9月16日金曜日

無頼はふんどしだ!

〔しようもない日常〕


またしてもボヤボヤしているうちに最終日となってしまったため、慌ててラピュタ阿佐ヶ谷へ行き、『高校生無頼控』を観てきました。
沖雅也さんのふんどしとモッコリピッチリホワイトジーンズに尽きる映画。
ふんどしの上にあのモッコリピッチリホワイトジーンズ穿いてる沖さんは、やっぱり別の方面からのまなざしを意識しているとしか思えず・・・・。
行く先々で沖さんが女性と一戦交える映画のため、いろーんなオパーイが出てきましたが、途中で見飽きました。
オパーイなしでいいから、夏(純子)さんをもっと観たかったっす。

で。

自宅最寄り駅からの帰り道、母親行きつけのカラオケスナックの前を通りかかったところ、聞き覚えのある歌声が・・・・。
気になって店のドアを開けると、やっぱり母親が歌っていました。
というわけで、あっしも合流。
立て続けに5曲歌って帰りました。
うちの母親には『姿三四郎(柔道龍虎榜)』がバカ受けで、今日も「歌え!」と言われたので歌いましたよ、「やればできるさ」。
すっかり十八番になってしまいました。

今頃酒が回ってきたので、これにて寝るとします。
では。

おまけ:ここの予告編(日本版と若干異なります)に出てくる「なんちゃって都踊り」を観ていたら、こないだ久しぶりに観た『メトロポリス』の「歓楽街ヨシワラ」を思い出してしまったわ。
ヨシワラは世界の合言葉。って、『さゆり』の舞台はヨシワラじゃなかったはずだが。

2005年9月15日木曜日

『古典美人樂蒂』、到着

〔ほん〕

黄玥晴編著。2005年9月、大塊文化出版(台湾)。

先月末にちょっこしご紹介しましたが、台湾に本拠を置く「樂蒂國際影友會」のコア・メンバーの皆さんが中心になってまとめられた楽蒂の研究書である『古典美人樂蒂』、本日我が家に到着いたしました。
影友會コア・メンバーのお一人・Annabelleさんが、わざわざ送って来て下さいました。
巻末の「特別鳴謝」の項に、あっしの名前も載せていただいております。
ありがたいことです。

で、上に掲げたのは表紙ですが、下は裏表紙。


この他にも、↓このような美しい写真が満載。


役者時代に樂蒂と何度も共演した胡金銓の知られざる写真も、数多く収録されています。

また、樂蒂の3番目の兄である雷震をはじめ、凌波、任潔、張沖、鄒文懐、王天林といった縁の人々へのインタビュー記事が大変有用です。

まだあちこち拾い読みしただけですが、樂蒂と凌波が互いのことを「樂蒂桑(さん)」「凌波桑(さん)」と呼び合っていたという、興味深い事実が凌波によって明かされています。
これは『梁山伯と祝英台』の撮影中、西本(正)さんが2人をそう呼んでいたことに倣ったのだそうです。

それから、樂蒂と尤敏が「姉妹のように仲が良かった」という雷震の話にも、しみじみいたしました。
尤敏が結婚して引退した後、映画界の人たちと距離を置くようになった(ご主人の意向だったらしいです)ことも、樂蒂にとって少なからずショックな出来事だったようです。

さて、気になる本のお値段は、台湾のネット書店(金石堂)ですと約1300円弱。
送料が約850円(1冊の場合)ほどかかりますが、yesasia(右のリンク参照)でお買い求めになるよりもかなーり安いので、安さ追求でしたらこちらの会員になって注文されることをおすすめいたします。
あるいは、yesasiaで他の物品も大量にお求めになって送料を浮かす、という手もアリかも知れません。

ぜひともお手に取ってみて下さい。

2005年9月14日水曜日

追悼 石井輝男監督特集

〔橘ますみ〕

来てね!

今日は久しぶりに岩茶房へお茶しに行き、オーナーの左能さんとおしゃべりしてきました。
夜は近所にある母親御用達のカラオケスナックへ。
母親から「中国語の歌なんてわけわからん!」と顰蹙を買いながらも、むりやり『眞實』やら『我可以抱你嗎』やらを歌ってきました。

で、上の話題とは全くかんけーありませんが。
10月下旬から11月にかけて新文芸坐で開催される「追悼 石井輝男監督特集」の上映作品が決まりました。

10月29日(土)『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』『徳川いれずみ師 責め地獄』
10月30日(日)『徳川女系図』『徳川女刑罰史』(山根貞男のトークショーあり)
10月31日(月)『黄色い風土』『実録三億円事件 時効成立』
11月1日(火)『花と嵐とギャング』『恋と太陽とギャング』
11月2日(水)『ならず者』『いれずみ突撃隊』
11月3日(木)『黒線地帯』『黄線地帯』
11月4日(金)『リングの王者 栄光の世界』『やさぐれ姐御伝 総括リンチ』
11月5日(土)『ポルノ時代劇 忘八武士道』『直撃地獄拳 大逆転』(リリー・フランキー&杉作J太郎のトークショーあり)
11月6日(日)『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』
11月7日(月)『網走番外地 望郷篇』『網走番外地 大雪原の対決』
11月8日(火)『やくざ刑罰史 私刑』『肉体女優殺し 五人の犯罪者』
11月9日(水)『女体桟橋』『セクシー地帯』
11月10日(木)『無頼平野』『ねじ式』
11月11日(金)『地獄』『盲獣VS一寸法師』

初日から「人間花火」(こないだのヴェネチアでも上映されたみたいですね)と「オパーイ大行進」(「海上火あぶり」もよろしくね!)という激混み必至の2本立ですけど、もちろん観に行きます。

しかし、その日はもう一つ大切なイベントが!

なんだか濃すぎる1日になりそうです。

この他、橘ますみたんマニアにとっては、『徳川女刑罰史』『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』『やくざ刑罰史 私刑』が必見の番組でありますが、

『温泉あんま芸者』と『異常性愛記録 ハレンチ』

という「どこを切っても橘ますみ」金太郎飴的2本立はやはり実現せず。

一生の夢だわ。

2005年9月13日火曜日

香港に流れる"服部メロディー"

〔ちょっとお耳に〕

教えて!

昨晩吹っ飛んだネタの後半。
教我如何不想她』DVD&VCDリリース記念企画・・・・というよりは、例によって国会図書館で古新聞漁りをしていたところ、偶然この作品で音楽を担当した服部良一の香港でのお仕事レポートが見つかったので、それをちょっこしご紹介という次第。


香港に流れる"服部メロディー"
キャセイ映画の作曲を担当 歌手も指導、毎日ニ曲

東芝の作曲家服部良一氏は、十月十五日から香港のリッツ・ホテル(麗斯酒店・せんきち注)に滞在、キャセイ映画「教我如何不想她」(映画題名 Because of her 監督易文〔実際には王天林との共同監督・せんきち注〕)の作曲にかかっている。日本の作曲家が外国映画の作曲を担当するのは珍しい。香港ではりきる服部良一氏の仕事ぶりをのぞいた。

リッツ・ホテルは、香港九竜の繁華街から少し離れたオースチン通りにある。部屋にピアノをもちこむため、この静かなホテルを借りたというが、四〇六号室には連日、易文監督はじめ、主演の女優葛蘭二枚目俳優雷震がつめかけ、通訳格の台湾俳優洪洋(『社長洋行記』で尤敏の兄を演じていた俳優さん・せんきち注)を中心にてんやわんや。中国語、英語、日本語が部屋中にあふれ、その間にピアノが鳴り、歌声が流れる。(略)
服部氏が五線譜に書いたメロディーを、葛蘭と雷震が歌う。(略)
服部氏がキャセイの仕事をひきうけたのは四年前の「女秘書艶史」以来で、尤敏主演の「快楽天使」「喜相逢」「野玫瑰之恋」などすでに四本手がけている。
『上海時代の弟子姚敏がキャセイの作曲をしている関係で紹介されたんですが、つぎつぎ仕事を頼まれることをみると評判がいいんでしょう。毎日二曲ずつ書いていますが「香港ムチャチャ」(『天下一家』・せんきち注)というのは前景気もいいようです。このあと尤敏主演の「小児女」(『家族』・せんきち注)の音楽もやることになっているので、十一月いっぱいはかかりそうです。外国での仕事は言葉の障害や慣習のちがいなどめんどうなことが多いのですが、これからの日本の若い作曲家のためにも開拓者の役目を果たそうと思っているんです』
監督とうちあわせ、歌手に歌の指導-とふなれな英語に悩まされながらも忙しく活動する服部氏だった。
(1962年11月2日付『報知新聞』8面より。人名のカタカナ表記は、適宜漢字に改めました)


当時の報道(『報知新聞』『日刊スポーツ』)によると、この時の香港行きは夫人同伴によるもので、服部が仕事をしている間、夫人は街で買い物三昧の日々を送っていたとか。
また、この時はキャセイ(電懋)だけでなく、香港百代(香港EMI)からも正式に招聘されての渡港だったそうです。
これはおそらく、コロムビアからEMIと関係の深い東芝レコード(現・東芝EMI)に移籍したことによって、レコード会社間の障壁がなくなったせいによるものと思われます。

近年、日本人作曲家が音楽を担当した中華圏映画が徐々に増えてきているようですが、服部の「これからの日本の若い作曲家のためにも開拓者の役目を果たそうと思っているんです」という果敢な試みが、40年以上経った今、ようやく実を結びつつあると言えるのかもしれません。

秀吉がゆく

〔とほほ事件簿〕

目の保養


昨晩、しこしこ苦労して書いた記事をアップしようと思い「投稿を公開」ボタンをぽちっとしたら、いきなりのエラー表示。
その後、いくらログインしようと思っても、アクセスできず。
しかも、書いた記事、全部吹っ飛んじゃいました。

というわけで、仕切り直しです。
でも、かなり長めの記事だったので、まずは前半から。
後半は、夜にでも。

一昨日の衆議院議員選挙。
開いたお口がふさがらない「アッチョンブリケ」な結果でしたが、中国共産党あたりは頭抱えてるでしょうねえ。
こないだの呉儀さんのドタキャンも、「小泉後」を見越しての行動だったはずだし。
ま、その小泉後も、安倍晋三だったりするわけですけど。
くわばらくわばら・・・・。

で。

造反議員だの刺客だのの影にすっかり隠れてしまいましたが、あの選挙マニア(?)にして焼けるたびに太っていく謎の御仁

羽柴秀吉さん、

今回は小泉首相のお膝元・神奈川11区で立候補していました。
以下は、その結果。

当 小泉純一郎 自 無 前   197,037
◎ 斉藤  勁 民   新 ☆  50,551  
  瀬戸 和弘 共   新    11,377  
  天木 直人 無   新    7,475  
  羽柴 秀吉 無   新    2,874

それでも3000票近くは入るんですから、やめられませんわなあ。

この秀吉さん、温泉旅館のオーナーとしても有名、というか、それが本業らしいんですけど、ここの旅館、面白すぎ。

玄関:議事堂入口
大広間:衆議院本会議室
中広間:参議院本会議室
小広間:建設省、農林省
調理場:食糧庁
事務室:大蔵省
101号室:法務省
102号室:郵政省
(中略)
210号室:外務省

ときて、ここでネタが尽きちゃったのか、201~208号室と301~312号室は、ただの「客室」
ただの客室に泊められたお客さんが、

俺は外務省に泊まりたかったんだ!

と叫びながら暴れる、なんてこともあったりして(ないない)。

客室にも省庁再編が必要ね。

2005年9月11日日曜日

畢玉儀と王玉蘭

〔ちょっとお耳に〕


昨日、『傷痕二二八』という二二八事件をテーマにしたドキュメンタリーを観ました。
再現映像中心の構成ながら、その後の白色テロを題材にしたドラマ『台灣百合』が、ドラマとしての面白さを重視するあまりやや脚色過多(?)になっていたのに比べると(といっても、高一生のエピソードしか観ていないんですけれど)、はるかにリアルではありました。
ラスト近くに「(事件の当事者が)誰も法的な裁きを受けていない」云々のナレーションがありましたが、下手に責任追及なんか始めちゃうと、国民党の存亡に関わる問題にまで発展しかねないので、なかなか難しいのでしょう。
いずれはきちんと究明されなければならないと思いますが・・・・。

さてさて。

今日は、日港合作映画のヒロインと日台合作映画のヒロイン、すなわち尤敏と王莫愁(華欣)が、実は子供の頃から知り合いだったというお話です。

2人は共に広東人で、父親同士(尤敏の父・白玉堂、王莫愁の父・王可均)が旧友だったため、ベトナム生まれ(1941年)の王莫愁が広州を経て香港へやって来たときには、一時期尤敏の家に居候していたこともあったのだそうです。
その後、1958年に王莫愁は台湾へ移住しますが、彼女が香港にいた頃、尤敏はすでに女優としてデビューしており、その姿を見て知らず知らずのうちに影響を受けていたのか、1962年、大学在学中に『金門島にかける橋(金門灣風雲)』のオーディションに合格、王莫愁も女優としての第一歩を歩み始めたのでした。
1962年10月、東宝の砧まつりに出席するため来日した尤敏は、やはり『金門島にかける橋』撮影のため日本に滞在していた王莫愁と密かに会い、「王玉蘭!」「畢玉儀!」と互いを本名で呼び合って、旧交を温めたそうです。
1964年、結婚した尤敏は映画界を去りますが、それと入れ替わりに王莫愁は人気女優に成長、台湾映画界の屋台骨を支えるスターになりました。

尤敏(畢玉儀)と王莫愁(王玉蘭)。
日本にゆかりの女優2人は、このような縁で結ばれていたのでありました。

参考:1962年11月2日付『聯合報』。

2005年9月10日土曜日

花代と忠夫

〔ちょっとお耳に〕


なんだか「祐子と弥生」みたいなタイトルですが・・・・。
台湾の古新聞(『聯合報』)から。

高島夫妻、『ごちそうさま』(味の素提供)に出る前は、ライバル(?)・味全のイメージ・キャラクターやってたのね・・・・っていうか、味全、ちゃんと契約してたんだろうか、2人と。
勝手に写真を拝借してただけだったりして・・・・。

2005年9月9日金曜日

超極私的ロケ地めぐり in 京都 六

〔橘ますみ〕

負けるな、張美瑤小姐!

「台湾が誇る亞洲影帝」改め「台湾芸能界のお騒がせ帝王」(帝王と聞くと、辰兄イの「帝王シリーズ」を思い出すあたくし)こと柯俊雄立法委員様が、前妻である張美瑤から訴えられました。

張美瑤告柯俊雄索960萬 沒收到每月應收贍養費

柯俊雄喊冤 張美瑤告到底 解釋未付贍養費是誤會

訴訟の内容は、ようするに「金払え」ってことなんですけど、柯さんの言い訳記者会見に柯さんの妹まで同席、兄貴の弁護をしちゃうところが、いやはや、なんとも・・・・。
勝手に愛人作って家を出て、女房子供を苦しめ続けたんですから、金ぐらいきちんと払ってほしいもんです。
それにしても、この記事にある張美瑤小姐(絶対に阿姨なんて呼ばないぞ)の姿、怪我をしているせいもあるのでしょうが、なんだか痛ましいです。

というわけで(?)、『異常性愛記録 ハレンチ』のロケ地めぐりも今回でとりあえず完結。
天候不順のため回りきれなかった「ユタニ家具センター」(典子の隣室に住むニャン子〔葵三津子たん〕ご自慢のベッドを提供した家具屋さん)に関しては、次回行くようにいたします。

前回ご紹介した歩道橋の場面の後、店に電話を入れた典子(橘ますみたん)は、ホステスの春子(三笠れい子たん)が無断欠勤していると聞き、そのまま春子の住む鴨川べりの古アパートへ向かいます。
対岸を走る京阪電車と、橋の袂におぼろげに見える駅舎から、五条大橋から塩小路橋の間と推定、その間を歩いてみたところ、川べりに道路があったのは五条大橋から少し下がった辺りの50メートル程と、七条大橋から塩小路橋の間であることが判明しました。
ただし、塩小路橋の西岸には現在では市営住宅が建ち、往時の面影が全く残っていないため、断定は不可能です。
上は、七条大橋と塩小路橋の間。河岸に下りて撮影。
ご周知の通り、京阪電車は今では地下化されています。


こちらは、五条大橋から少し下がったところ。


せっかくなので、近くの五条楽園を散策。
なんだか洲崎パラダイスのミニミニ&シンプル版みたいなゲートです。
そういや、名前もおんなじね。
楽園とパラダイス。
ゲートをくぐるとすぐに銭湯。


構えの立派なお茶屋さん。
真昼間から営業中。
ここのシステムは、お茶屋へ上がると置屋から女の子がやってくるという芸者さんスタイル。
だから歌舞練場もあります。
間近で写真を撮ろうとしたら、玄関先にいた遣手のおばさんと目が合ってしまったため、じりじり後退、こんな冴えない写真になってしまいました。


赤線時代を偲ばせる木造建築の2階の窓。
手すりの棒が無駄にデコラティブなところが、妙に色っぽいです。
ちなみに、会津コタツ、じゃなくて、会津小○(1字自粛)の本拠もここ。
道端で怖ーいお兄さん方がひそひそ話をしていました。

2005年9月8日木曜日

超極私的ロケ地めぐり in 京都 五

〔橘ますみ〕

後ろに小さく曾江さんが・・・・。
鞏俐さん、頭に「空飛ぶギロチン」が載ってます。

昨日、章子怡ちゃんが『子怡&鞏俐の「黒革の手帖」』、じゃなかった、『SAYURI (さゆり)』のプロモーションのために来日したそうっす。
しかし解せないのが、空港に詰め掛けたファンの人数をめぐる、マスコミの迷走ぶり。

200人250人になったと思ったら、あっという間に500人に倍増、挙句の果ては、


こんなに集まってくれて・・・・


と、計測不能状態に。

野鳥の会呼べや、野鳥の会!

と、ひとしきり毒づいたところで、『異常性愛記録 ハレンチ』ロケ地めぐりの続きを。

西陣かいわい。
変態ストーカー男・深畑(若杉英二)は、ここで「深畑染工」という染織工場を経営しているという設定になっています。
西陣も新しい住宅への建替えが進み、古い町家には「空あります」なんていう貼り紙も見受けられました。
前回の「ノン」同様、場所の特定が不可能なため、それらしい路地でパシャリと1枚撮影しました。

九条大宮かいわい。
深畑に暴力を振るわれて(ストーカー+DV)、ひどい頭痛に悩まされるようになった典子(橘ますみたん)が、常連客・寺内(小池朝雄)の勤める病院で検査を受けた後、寺内に付き添われてこの付近にあった歩道橋を渡ろうとする件があります。
背景に見える東寺の塔及び信用金庫の看板、近鉄電車、京都タワーの位置から、この辺りであると断定しました。
劇中、ますみたんの背後に大きく映る信用金庫の看板は伏見信用金庫のものでしたが、現在では京都中央信用金庫に代わっています。

こちら、反対方向(近鉄東寺駅方面)を写したところ。
歩道橋は、影も形もなくなっています。
歩道橋上で小池朝雄と別れたますみたんは、この後、深畑がゲイボーイのジミー(青山ジミー)とタクシーに乗り込むところを目撃するのでした。
この映画での小池さんは、珍しく(?)常識人の役です。

九条大宮といえば、京都みなみ会館。
『ワンナイト・イン・モンコック(旺角黒夜)』を上映していました。

2005年9月7日水曜日

演博所蔵日港合作映画シナリオ 落穂ひろい 続々

〔えいが〕


ロケ地めぐりの前に、このネタがあと1件だけ残っておりました。
今回で一応、完結です(前回はこちら)。

暗黒街の帝王(仮題)

裏表紙に「50.11.7 50部」とのペン書及び「小沢」の印記があります。
表紙には「日本・香港合作映画用シノプシス」「生島治郎原作『汗血流るる果てに』より」との記載及び「50.11」の印記がありました。

いったいどの会社の企画か全くわからないものの、生島治郎の小説を原作とした作品のシノプシスです。
結局、映画化はされずじまいだったようです。

原作では、主人公の1人である殺し屋の名前は、

ギルバート・スキャフィーノ

で、どう考えても香港人ではないのですが、シノプシスではこれを、

趙白銘(通称・ジャガー)

という香港人に改変しています。

内容はというと、んー、なんといったらいいのか、『Gメン'75』に毛が生えた程度のもので(あくまでこのシノプシスに限った話です)、仮に製作されていたとしても大して成功しなかったのではないかと思います。

ま、こんなものもあったよ、という程度のお話でした(おしまい)。

2005年9月6日火曜日

超極私的ロケ地めぐり in 京都 四

〔橘ますみ〕

ぶじに帰ってきますた。
京都在住の知人と先斗町へ行き、とってもおいしいお料理とお酒を楽しみました。
お店の名前は内緒ですが、ヒントを一つ。

「茶香房 長竹」の奥。

名物は、釜飯です。

さてさて。

京都行きのさいの恒例行事となりつつある橘ますみたん出演作品のロケ地めぐり、今回は『異常性愛記録 ハレンチ』にチャレンジいたしました。
石井輝男監督作品の中でも長らく幻とされていたこの映画、今年4月にようやく「東映チャンネル」で放映されまして、せんきちもその折に録画したビデオを繰り返し鑑賞、それをもとに割り出したロケ地を以下にご報告いたします。
ただし、劇中はっきり「ここ」と特定して登場する場所が少ないため、かなりの部分が当方の勝手な推測になっております。
あしからず、ご了承下さい。


まずは、木屋町かいわい。
ヒロインの典子(ますみたん)は、木屋町でバー「ノン」を営んでいるという設定になっています。
冒頭の回想場面、お店を終えた典子が常連客である寺内(小池朝雄)等と西木屋町通りに出ると、高瀬川にかかる橋の上から自分のことをじっと監視していた変態ストーカー男(にして典子の愛人)・深畑(若杉英二)の姿に気付くという件があります。
当時(1969年)と現在ではすっかりお店の様子も変わってしまっているため、ノンの場所の特定は困難、というかほぼ不可能。
というわけで、高瀬川を挟んで西木屋町通りと木屋町通りが平行に走るというシチュエーションから四条通と三条通の間と仮定、それらしい路地を撮影してみました。


こちらはまた別の路地。こんな道沿いにノンはありました。


こちらは瓢正やたん熊といった有名どころのあるかいわい。お金があったら入ってみたいものです。


高瀬川の流れ。

2005年9月3日土曜日

絵日記 東南アジアの印象

〔ほん〕

夕べから尾藤イサオが歌う『非情学園ワル』の主題歌(『ワルのテーマ』)のサビ部分(俺はワル、ワル、ワルでなぜ悪い)が癖になっているせんきちです。

さて、本題に入る前に、昨日の朝日新聞朝刊で見つけた気になる情報。

13版33面下段に「文化庁舞台芸術国際フェスティバル」(こちらで去年の公演の模様が視聴できます)の広告が掲載されていたのですが、その中の「『ポップアジア2005』丸の内スペシャル~Enjoy! Asian Pops~」の出演者に、

チャン・ヤートン(中国)、ヴィッキー・チャオ(中国)

の名前が。

「むむ、張亞東に趙薇。いったい幾ら取るんだ?」と思い、確認したところ、「入場無料」の表示が。

ほんまでっか?

ちなみに、公式サイトでは「出演(予定) ポップアジア2005出演アーティスト&音楽評論家」となっておりまして、上記のお名前はございませんでした。

後で問い合わせてみます。

それでは、いよいよ本題に入りましょう。

昨日、近所の古本屋さんで面白い本を買いました。

『絵日記 東南アジアの印象』 田中鼎三著

絵はがきやグリーティング・カード印刷の老舗・尚美堂(2002年に自己破産)の社長だった著者が、1958年12月に2週間の予定で香港、シンガポール、クアラルンプール、バンコクを視察旅行した際の旅行記です(1959年、尚美堂、非売品)。
と、ここまででしたら特にどうということもない、海外旅行がまだ珍しい時代の洋行記で終わってしまうのですが、そこは絵はがき出版のパイオニア、旅先で著者の撮った写真を絵はがきに仕立てたものや、あるいは写真そのものをアルバムに貼り付け、その合間に著者自筆の絵日記が収められているという、かなりユニークな代物に仕上がっております。

トップに表紙の写真を掲げましたが、


こちらは、香港の公営アパートを写した写真に彩色を施して、絵はがき風に仕立てたものです。
実物が貼ってあります。


こちらは、香港の街頭写真(カンバンの町)。
やはり、写真そのものが貼ってあります。


こちらは、絵日記本文(香港にて)。飲茶に関する記述です。
文中にある「カスタープリンのようなものが最中のカワのようなものに這入っているもの」とは、蛋撻のことでしょうか。
昔の方なので崩し字が多いですが、読みやすい崩し方&新仮名遣いなので、比較的すらすらと読めます。

ちなみに、これでお値段は1000円。
いい買い物をしました。

お知らせ:明日からまた京都に行ってきます。帰ってきたらまた更新いたします。

2005年9月2日金曜日

ワルの顔は黒かった

〔しようもない日常〕


今日が最終日だったので、ラピュタ阿佐ヶ谷に行って『非情学園ワル 教師狩り』を観て来ました。
狩る方はワル・谷隼人、狩られる方は上昇志向の強いヒラ教師・佐藤允でしたが、本当に狩るべきは校長とPTA会長なのになあ、と思いますた。

谷隼人、顔が真っ黒。
今なら間違いなく杜琪峰先生からお呼びが・・・・(かからないよ!)。

渥美マリたんは、くどすぎ。
くどい割には露出度が低いので、余計イライラ。

佐藤蛾次郎の高校生は、『若い人(年軽人)』の午馬と同じぐらい無理やり。

やっぱりこの手のネタは、女の子が主人公の方が華やかでいいですね。

ところで。

某ミクシィで知りましたが、今度のファンタで石井輝男監督追悼オールナイトがあるそうです。
ただ、『直撃地獄拳 大逆転』『やさぐれ姐御伝 総括リンチ』はともかく、3本目の『狂った野獣』って、なんすか?
これでシークレット上映が『鉄砲玉の美学』だったら、抗議殺到かも。
それはそれで面白いけど。