2010年5月31日月曜日

松屋浅草屋上最後の日

〔しようもない日常〕

先だって日本映画専門チャンネルで放映された『胸より胸に』
(1955年、にんじんくらぶ)でも銀座のビルに行った有馬稲子が
「ここって松屋よりも高い?」と尋ねる場面があったように、
かつては、いや、今でも浅草のランドマークである松屋浅草。

どうも。
トド@テレビも新聞も政局報道一色でうんざりです。

さて。

古くは1935年の成瀬巳喜男作品『乙女ごゝろ三人姉妹』にも登場する、由緒ある松屋浅草の屋上が5月いっぱいで閉鎖するというので、最終日である31日にのこのこと出かけてまいりました。
以下、てきとーな写真ルポ。

エレベーターを屋上まで上ると、そこには夢の世界が。
デパートの屋上といえば遊園地です。こちらの開園は1931年。
言っとくけど、ファミソーでもファミンーでもないよ。


かつては素晴らしいショーが行われた
であろう舞台の痕跡。


おまわりさんもお勤めごくろうさま。


コアラさんも心なしか寂しそうです。


まる子はこれからどこへ遠足に行くのだろう。


私は宇宙に帰ります。
シュワッチ!(手書きだし)


ちなみに、7階レストラン街も今日で閉鎖。
ファミリーレストランの郷愁をそそるサンプル群。


階段はほぼ昔のまま。


手摺の装飾には当時流行のアールデコ
様式の影響が見られます。


屋上から見たお化け煙突、
じゃなくて、東京スカイツリー。


スカイツリーとビールの泡とう○こを
一緒に撮影するスポットは、松屋屋上よりも
吾妻橋のたもとの方がいいようです。


帰りがけ、亀十に寄って大好物の
どら焼きと松風を買って帰りました。
次は金龍山のあげまんじゅうにしよう。

2010年5月20日木曜日

東久邇宮稔彦王殿下 臺湾御成

〔えいが〕

明治橋(現・中山橋)。

1937年、台湾総督府。
どうも。
トド@ついったーでスパム踏んじゃったです。
すんません。

というわけで、今回もフィルムセンター詣の備忘録。

昭和12年(1937)6月8日から17日まで台湾を訪れた東久邇宮稔彦王の記録映画
1937年制作ですが、無声映画です。

一応、観た後でざっとメモした訪問地と出てきた映像。
正確な日付が途中でわからなくなっちゃったので、到着日と出発日のみ明記しておきます。

6月8日、台北飛行場に到着。
イの一番に台湾神社参拝。

市内各所視察(総督府、軍施設、台北帝国大学、中央研究所、植物園、博物館、建功神社、等)。

国語演習会の映像(本島人子弟による日の丸振りながらのお遊戯、日本舞踊、剣舞、等)。
家鴨飼いの映像(なんと明治橋のたもと!こんなところで家鴨を飼っていたのね)。

鉄道で新竹へ(途中、桃園駅を通過。駅のホームには人々が整列)。
石油工場等を視察。

鉄道、車を乗り継いで日月潭へ(途中、彰化駅でいったん下車して閲兵)。
水裡抗駅から日月潭へ向かう。

原住民の杵つき歌の映像。

発電所視察。

漁民の映像。

鉄道で嘉義へ。
製材所等視察。

飛行機に乗り、澎湖島を空から視察。

阿里山、新高山、中央山脈の映像。

鉄道で台南へ。
台南神社で北白川宮を偲ぶ。

鉄道で高雄へ行き、その後屏東へ。
台湾製糖の工場で原住民の踊りを鑑賞。
飛行機に乗り、台湾最南端の地・鵞鑾鼻岬を空から視察。

高雄市内へ戻り、視察(日本水産、日本アルミニューム、等)。

飛行機で花蓮へ。
吉野村、花蓮港築港等視察。

飛行機で台北へ。

6月17日、台北飛行場より離台。

NFCニューズレター第90号所収の解説(江口浩氏「川崎市市民ミュージアムの映画復元」)によれば「少なくともこの可燃性プリント(今回の上映の大元となったプリント・せんきち注)が、日本国内の興行用に供されたものではないことがわかる」とのことですが、一般公開の有無はともかくとしても、この映画、単に東久邇宮稔彦王の台湾視察の記録に留まらず、台湾総督府の順調な統治ぶりを宣伝する素材として、かなりうまくできているのではないかと思いました。
特に「国語演習会」は本島人子弟の日本人化はこんなにも進んでいる!という絶好のサンプルでしょうし、原住民の歌や踊りも1930年に起こった霧社事件でのマイナスイメージを払拭するためのものではないかと考えられます。
ただ、東久邇宮稔彦王自身は実際に山地へ足を運ぶことはなかったようですけれど。
また、吉野村視察も、いわば国策としての移民政策がうまくいっていることへの(東久邇宮稔彦王の)お墨付きを頂く、という意味が大きかったのでしょう。

このところ、日本統治時代の台湾の史跡や建築物を辿る書物が次々と発売されて、そんな台湾好きの皆さんで当日は大混雑かと思いきや、拍子抜けするほど場内はガラガラでした。

最終日(27日)にもう一度上映がありますので、お時間のある方は(平日の昼間なんだけど)ぜひとも足をお運び下さい。

付記:この日は斜め後ろのオヤジのいびき&寝息がうるさかったっす。無声映画でいびきを掻かないで下さい。

2010年5月17日月曜日

さよなら、お父さん

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕

なぜか95歳。

どうも。
トド@急に暑くなるものだからすっかりバテちまったよです。

ついったーで知りました。

葛香亭病逝 享壽93歲

台湾映画における「お父さん」というと、日本の映画ファンにとっては、李安のいわゆる「父親3部作」における郎雄が最も想起されるのでしょうが、それ以前の台湾映画、特に1960~70年代の國片全盛期の「お父さん」といえばやはりこの方なのではないかと思います。
今思い出してみても、『あひるを飼う家(養鴨人家)』や『我女若蘭』『心有千千結』等が挙げられますし、また、父親役ではありませんが『秋決』での演技も印象的でした。

ところで、以前にもこちらで取り上げたように、葛香亭は宝田明の乾爹でもあります。
2人が父子となる儀式を行ったのは1981年7月10日、葛香亭が経営していたレストラン「徐州啥鍋」でのことでした(1981年7月10日付『中國時報』による)。

今頃は先に逝った実の息子(葛小寶)や乾女兒(沈殿霞)との再会を果たしていることでしょう。

ご冥福をお祈りします。

2010年5月15日土曜日

神のいない三年間 (Tatlong Taong Walang Diyos)

〔えいが〕


1976年、フィリピン(NVプロダクションズ)。マリオ・オハラ(Mario O'Hara)監督。
ノーラ・オノール(Nora Aunor)、クリストファー・デ・レオン(Christopher De Leon)、ラファエル・ロコ・Jr(Rafael Roco Jr.)他。

どうも。
トド@耐乏生活中です。

さて、昨日は寒かったので、フィルムセンターへフィリピン映画『神のない三年間』を観に行ってきました(おいおい)。
混んでいるといけないなあと思い、開場時間(18:30)よりもかなり早めの時間(17:15)に到着したところ、けっこうな人たちが既に並んでいました。

「ああ、やっぱり。早めに来てよかった」

と思っていたら、17:30になって

「お待たせしました。地下の小劇場で上映される『イワン雷帝(Иван Грозный)』の開場です」

とのアナウンスがあり、待っていた人たちはみんな地下へ。
残されたのはせんきちとその他数名のみ。

なんだ、違ったのか。

とまあ、そんなこんなで1番乗りとなってしまいましたが、上映時間(19:00)の頃には客席も范文雀、もとい、半分弱が埋まっていました。

この日は、上映前に本作のフィルムの保存に携わった福岡市総合図書館の八尋義幸氏の解説があり、八尋氏の口からフィルム保存のいきさつ(ネガは既になく、褪色が進み劣化したプリントが残るのみだったが、この映画の権利者の1人である主演女優のノーラ・オノールの了解を得てデュープ・ネガの作成を行った&その過程でのエピソード)が縷々語られましたが、残念だったのが会場に居合わせた心ない約2名の暴走老人客による失礼な野次(「つまらない話はやめてとっとと映画をやれ!」云々)。
八尋氏も遠路はるばる東京までやってきてそんな言葉を浴びせられるとは夢にも思っていなかったでしょうし、われわれ他の観客やフィルムセンターの職員の方も怒り心頭でした。

てな次第で、ちょっぴり、いや、かなりいやーな気分になったところで上映開始。

物語はこちらの解説にもある通り、太平洋戦争下における日本軍将校とフィリピン人女性の恋を描いたものです。

1941年12月、太平洋戦争が勃発、フィリピンにも日本軍が侵攻してきます。
とある村(場所失念)に住む若い女性・ロサリオ(ノーラ・オノール)にはクリスピン(ラファエル・ロコ・Jr)という恋人がいましたが、彼は抗日ゲリラに加わるため村を去っていきます。
フィリピンのアメリカ軍が全面降伏すると、日本軍を恐れた村人たちは次々と避難していきますが、ロサリオは父の方針でそのまま村に留まることとなりました。
ある夜、道に迷った日本軍将校・マスギ(クリストファー・デ・レオン)とその友人で医師のフランシス(ペキェ・ガリャガ〔Peque Gallaga〕)がロサリオの家にやって来ます。
ロサリオの父は彼らに酒を出してもてなしますが、酒に酔ったマスギはロサリオに目を付け、拳銃で家族を脅すとロサリオを無理やり犯してしまいます。
その後、マスギは衣服や食料を持ってしばしばロサリオの家を訪れるようになり、ロサリオの両親は彼に心を許すようになりますが、ロサリオは絶対に彼のことを受け入れませんでした。
やがてロサリオの妊娠が発覚すると、ロサリオを愛し始めていたマスギは彼女に結婚を申し込みます。
マスギは抗日ゲリラの疑いをかけられ捕らえられていたロサリオの父を釈放させるなど、家族にさまざまな便宜を図りますが、周りの人々は「裏切り者」とロサリオたちを罵るようになるのでした。
月満ちてロサリオはマスギとの子供を出産、このとき、ロサリオはフランシスからマスギの過去を聞かされます。
マスギはマニラで商売をしていた日本人男性とフィリピン人女性との間に生まれたハーフ(ゆえにタガログ語が堪能)でしたが、真珠湾攻撃の直後、日本人だからという理由で家族は刑務所に収容され(この辺りの事情はよくわからんのですが、アメリカにおける日系人と同じ状況だったのでせうか←せんきち注)、マスギのみが脱走に成功したものの彼の両親はフィリピン人の囚人に殺害されてしまい、以来、同胞である母親を殺したフィリピン人を憎むようになり、日本軍に志願したというのです。
しかし、ロサリオに出会ってマスギはかつてのような人間性を取り戻したのだ、とも。
悩み苦しんだロサリオは子供を殺そうとするものの果たせず、マスギと結婚することを決意しますが、そんな折、クリスピンが戻ってきます。
ロサリオの母から全てを聞いたクリスピンは彼女を許すことができず、ロサリオから送られたロザリオを引きちぎって再び戦地へと赴くのでした。
ロサリオとマスギは教会で結婚式を行いますが、「対日協力者」の烙印を押された彼女の両親と弟は、抗日ゲリラによって惨殺されてしまいます。
お互い天涯孤独の身となったロサリオとマスギの間には、本当の愛情が芽生え始めていました。
しかし、日本軍の戦況は日に日に悪化、アメリカ軍が再びフィリピンを奪還すると、軍と共に敗走するロサリオとマスギは抗日ゲリラの襲撃を受け、ジャングルの中を逃げ惑うことになるのでした…。

映画のタイトルは日本がフィリピンに軍政を布いていた3年間、神は不在だったのかという本作のテーマに基づくものですが、「神の不在」というテーマは遠藤周作が『沈黙』で描いた「神の沈黙」とも重なるものと言えるでしょう。
また、ヒロインの名がロサリオ(Rosario)というのも、このテーマに関連するネーミングと考えられます。

予備知識も何もなしに観たので、1970年代に台湾で量産された抗日映画と同じ類の作品かと思っていたところ、それらの作品群とはかなり異なる色彩を持つものでありました。
また、日本軍将校に無理やり妻にさせられる現地女性というパターンは、以前ご紹介した香港映画『紅葉戀』にも登場しましたが、その作品とも本作は一線を画しているように思われます。
ロサリオは初めこそマスギを憎むものの、家族が抗日ゲリラに殺されてからは(どんな理由があるにせよ)同胞が同胞を殺すことに対して疑問を抱くようになり、同じように母親を殺されたマスギに心を寄せるようになります。
また、マスギも最初はとんでもない畜生ですが、そうなったのには深いわけがあり、ロサリオと夫婦になってからは、戦闘で傷ついたクリスピンを助けたばかりか、アジトに戻るクリスピンに自分の銃まで与えてしまうのです。
さらに、アメリカ軍に自分たちの運命を託そうとしているクリスピンに対して、「アメリカはフィリピンを独立させるだろうが、自分たちの力で独立しなければ本当は駄目なんだ」とかいう意味の台詞をマスギが話すのは、独立してもなおアメリカの強い影響下から脱することができなかった当時のフィリピンの状況(今もそうかしらん)を反映しているのかなあとも思いますた。

最終的に「神の不在」に関しては、「実はそうではなかったのだよ」という答えらしいのですけれど、その辺りどうもカトリックではない(プロテスタントでもないけど)不肖せんきちには若干わかりづらい点でもありました。
ただ、作品全体を通じて「(神の)赦し」とでもいうべき精神がその根底には流れており、それがこの映画を単なる抗日映画では終わらないものにさせている要因の1つではないかと思いますた。

で。

上映後、件の暴走老人の内、1名はすばやく逃走してしまったため、残る1名に対して職員の方や他の観客の皆さんが注意をしたのですが、そのおっさんたら口答えするわ職員の方の胸を小突くわで、はっきり言って、あそこまでやられたら究極の手段(110番通報)に出ても仕方ないのではないかと思うほどでした。
本当に悲しいことですが。

ところで、映画の話に戻ると、この作品、昨年の暮れには本国でDVD化もされたようですけれど、こちらの映像(テレビ放映時のものらしい)を観ると、この日観た退色しまくりのプリント(前述した通り、現存する唯一のプリントが既に退色していたため)に比べるとずいぶん色味が残っています。
どこかで別に保存されていたプリントがあったのでせうか…。

2010年5月6日木曜日

群星會 (Stardust)

〔えいが〕


1970(69)年、台湾(中影)。李行監督。甄珍、王戎、陳莎莉、他。

どうも。
トド@今日からまた早寝早起きの日々です。

GWは、母方の伯母の3回忌やらなにやらでバタバタしておりました。
伯母と婆さんは同じ年(一昨年)に亡くなったのですが、伯母が亡くなる頃には婆さんは既にボケていまして、「亡くなったんだよ」と話しても上の空でありました。

では、本題。

ナイトクラブで働く歌手たちの人生模様を描いた李行監督の作品。
タイトルは、おそらく同名のテレビ番組から若干のヒントを得ているのではないかと思われます。

映画は複数のストーリーが平行して進みますが、メインとなるのは病に倒れた父に代わって家計を支えるために歌手となった嘉嘉(甄珍)と幼馴染のボーイフレンド・克勤(王戎)の恋の行方。
克勤は自分を捨てた母親がやはりナイトクラブの歌手であったことからこの職業を毛嫌いしており、折あるごとに嘉嘉に歌手を辞めるよう勧めます。
しかし、歌を愛する嘉嘉にはそれができず、2人の間には諍いが絶えません。

最終的には再会した母親と克勤が和解して(克勤は母親に捨てられたと思いこんでいたが、実は父親とおじが母親と克勤の間を引き裂いていただけだったことが判明←ありがちなパターンね)、嘉嘉が歌手を続けることに克勤も賛成するようになり、2人の仲もハッピーエンドになりますが、作品を通して透けて見えるのは「ナイトクラブの歌手=どこか後ろ暗い職業」という当時の社会通念です。

劇中では克勤のみならず嘉嘉の母もナイトクラブの歌手に対して偏見を抱いており、娘にはあくまで歌だけに専念するように厳命、同僚や贔屓客と夜食を食べたり酒を飲みに行ったりすることを禁じています。
もちろん、元が北京の名門の出という嘉嘉の父には、娘がナイトクラブで働いていることは秘密です。

まあ、そういった社会通念があったがゆえに、ナイトクラブの歌手をヒロインに据えた身分違いの恋を描いたメロドラマがこの時期好んで作られたと言えなくもないのですが、どうせなら芸に悩み芸に生きる女のドラマを観たかったなあというのが正直なところです。

メインのストーリー以外では、離婚を渋る夫から「60万元くれたら離婚してやる」という条件を突きつけられ、働きづめに働いた末に3人の子供を残して亡くなる紫黛の話が印象的に描かれていましたが、他の登場人物の話(我が子を1人前の歌手にしようと奮闘するステージママ、パトロンと歌手の関係…等)はやや尻切れトンボのまま終わっていました。

というわけで、ストーリー的には食い足りなさが残るものの、角度を変えてみると、劇中に散りばめられた歌唱シーンは当時右肩上がりで急成長中だった台湾製北京語歌謡の状況を知る格好の教科書と言えますし、蒋光超が甄珍の追っかけを演じているのも、香港の北京語映画の俳優たちがこの時期から台湾へ仕事の拠点を移しつつあったという状況を窺わせるものとして興味深いものがありました(逆に甄珍や柯俊雄といった台湾の俳優たちは、この後香港へ進出していくのですけれど)。
また、王戎が巨大なプラスチック工場で働いているという設定は、『新娘與我』や『家在台北』で繊維産業が取り上げられていたのと同様、「わが国の最先端の産業を誇示する」という意図が見え、この辺りは国府の政策に沿ったキャラクター設定なのなのでしょう。

ところで、克勤を演じていた王戎は、当時の中影で活躍した男優の1人ですが、台湾で映画デビューする前は日本の芸能界入りを目指していたことが1963年3月7日付『聯合報』の記事には見えます。
それによると、「東京電影株式会社」に所属する映画監督「米谷楨夫」と会社の責任者である「有島一郎」が国立芸専(現・台湾芸術大学)で新人を発掘したさい目に留まったのが卒業生の王戎。
そこで王戎は4月から日本へ渡り、3ヶ月の訓練を受けることになった…とのことなのですけれど、結局日本でのデビューはお流れになったようです。
記事中、「東京電影」とあるのは普通に考えると「東京映画」で、「有島一郎」はあの「有島一郎」で間違いないようなのですが、よくわからないのが「米谷楨夫」氏のこと。
それに、有島一郎って東京映画の責任者…だったんですか?
ま、それはともかく、記事には松山空港で林沖の励ましを受ける王戎の写真も掲載されていますので、日本で俳優としての訓練を受けたことだけは間違いないようです。

以上、話が大幅に横道にそれたところでまずはこれぎり。

2010年5月2日日曜日

『ずべ公番長 ざんげの値打ちもない』上映会

〔橘ますみ〕〔ちょっとお耳に〕
さらしに長ドスで殴りこみ!

どうも。
トド@PCが凍ってばかりで困りますです。

さて、今回もまたまた告知です。

常々こちらでも告知しております「発掘!幻の映画」シリーズ等の上映会を企画しているシネマ△トライアングルさんによる次回上映会は、な、なんと、橘ますみたんの代表作の1つである「ずべ公番長」シリーズの最終作『ずべ公番長 ざんげの値打ちもない』の上映と、主演女優のお一人・片山由美子さんをお招きしてのトークショーです!

以下、会場(ザ・グリソムギャング)のオフィシャルサイトから日程等の詳しい情報を適宜引用いたします。

シネマ△トライアングル presents 『ずべ公番長 ざんげの値打ちもない』
1971年/東映東京/カラー/86分
監督:山口和彦
脚本:宮下教雄 山口和彦/撮影:仲沢半次郎/音楽:津島利章
出演:大信田礼子、賀川雪絵、橘ますみ、片山由美子、伴淳三郎
   渡瀬恒彦、金子信雄、笠置シヅ子、集三枝子、市地洋子

1970年代初頭に巻き起こったピンキーバイオレンス旋風!そして「ずべ公番長」シリーズはその嚆矢とも言うべき作品群です。シリーズのヒロインを努める大信田礼子は、池玲子、杉本美樹らの硬派なイメージとは一線を画して、持ち前のキャラと明るく健康的なお色気で人気を博しました。また本作品は片山由美子の父親役として伴淳三郎を配し、単なるお色気アクションだけではなく人情味に満ちた作品となってます。
上映終了後には、本作品のみどり役を務めた片山由美子さんを関西よりお招きしてのトークショーを開催します。本作品だけでなく、ドラマなどの出演作品も含めた撮影秘話など語って頂く予定です。滅多にない機会です。お見逃しのないように。

5月22日(土)
15:00~16:40 映画上映
16:40~17:00 休憩
17:00~19:00 トークショー(ゲスト:片山由美子)

5月23日(日)
13:30~15:10 映画上映
15:10~15:30 休憩
15:30~17:00 トークショー(ゲスト:片山由美子+〔交渉中〕)

料金:3500円(映画&トークイベントチャージ)
19:00~21:00 懇親会(5月22日のみ)
懇親会については別途お知らせいたします。


予約に関しては会場オフィシャルサイトをご参照の上、下記アドレスまでメールでご予約下さい。

cineka2@yahoo.co.jp

不肖せんきち、実は両日とも予定が入っておりまして、参加できるかどうかは現在のところ未知数という状態です。
22日はキャンセルできない用事なので、23日をなんとかできないか、ただいま知恵を絞っております。

というわけで、せんきちが来ても来なくても(かんけーないよ!)、皆さま奮ってご参加下さい。