2006年11月23日木曜日

アフリカの熱帯雨林で迷走中

〔しようもない日常〕

訳あって、『ただ、君を愛してる』を鑑賞。
あまりに予想通りのオチに、お口あんぐり。
宮﨑あおいも二度死ぬ。

風邪も癒えてきたので、そろそろ再開しようかと思っていた矢先、台湾の友人が来日、接待というほどのこともないのですけれど、今朝も電話で指令を受けてパソコンの前で検索作業に専念しておりました。
てなわけで、通常通りの更新はもう少し先になりそうです。

今日は情報を2つ。

1つめ。

ただいま、台湾で「慶祝台語電影五十週年 戯夢五十」という台湾語映画の特集上映が開催されています。
1956年、何基明監督による最初の35ミリ台湾語長編映画『薛平貴與王寶釧』が上映されてから今年でちょうど50年になることを記念しての催しです。

何基明監督について、くわしくは
こちらをお読み下さい。


台湾語映画というと、日本人監督が招かれて作品を撮ったことでも知られていますが、今回の特集上映ではその中から湯浅浪男監督の『懐念的人』(1967)が取り上げられています。

2つめ。

来年、1月5日(金)から2月4日(日)までフィルムセンター大ホールで開催される「日本映画史横断② 歌謡・ミュージカル映画名作選」にて、『香港の夜(香港之夜)』が上映されます。
不肖せんきち、この映画がまさか「歌謡映画」だとは思ってもみなかったので、全くのノーチェック、昨日友人から教えてもらってようやく知った次第です。

おはづかしい・・・・。

上映スケジュールは下記の通り。

1月12日(金)15:00~、 1月28日(日)13:00~

12日はお仕事で観に行けませんが、28日には馳せ参じようと思います。

2006年11月17日金曜日

『博奕打ち』DVDリリース

〔橘ますみ〕


まだ風邪が癒えていないのですけれど、「誰も書かなきゃオレが書く!」の橘ますみたんネタ。

来たる21日、「博奕打ち」シリーズ第1作にして橘ますみたんの記念すべき映画デビュー作『博奕打ち』のDVDがリリースになるざます。

本作でのますみたんは飛田の女郎役。
桜町弘子の妹分ですが、2人まとめて上海に売られちゃいます。

鶴田浩二のお気に入りだったますみたんは、後にシリーズ第3作『博奕打ち 不死身の勝負』でヒロイン役も演じているんですけれど、せんきち個人の好みとしては第1作のますみたんの方がおきゃんで好きです。

とりいそぎ、お知らせまで。

2006年11月13日月曜日

再び中休み:来る者、去る者

〔しようもない日常〕


ご無沙汰しております。
ここ数日の冷え込みのせいで、風邪を引きますた。
だもんで、再び中休みに突入でおます。
小ネタをちょっとだけ。

1、こんにちわ

東洋の貴婦人「ペニンシュラ」を東京に 香港上海ホテルズCOO ピーター・C・ボーラーさん(53歳)

先々週の土曜日、『朝日新聞』朝刊「be business」に掲載された記事でおますが、ペニンシュラ東京が建つ場所って、旧の日比谷パークビル、つまり、日活国際会館のあった場所なのですねえ。

1955年、『東京‐香港 蜜月旅行』の日本ロケ(のついでに、『菊子姑娘』なんかの日本ロケもこなしたらしいけど)のため林黛や厳俊等が来日したさい、ちょうど別の映画の日本ロケ(おそらく新華の映画じゃないかと思いますが、作品名は不詳)で来日していた王引や高寶樹等と合流、日活国際会館前で写した集合写真が『東京‐香港 蜜月旅行』香港公開時の特刊に掲載されています。

『東京‐香港 蜜月旅行』は國際(正確には衛星会社である國泰)と松竹の合作、そして新華作品はおそらく東宝がイッチョカミしているであろう点から見て、そのどちらにも日活はノータッチなのですが、滞在先には国際会館階上にあった日活ホテルを利用していた、ということなのでしょうか。

いずれにせよ、その後その土地に香港随一のホテルであるペニンシュラが進出することになろうとは、林黛や厳俊、王引等は思いもしなかったに違いありません。

土地に歴史あり。

2、さようなら

香港のスターフェリー、埠頭が移転

昨日の朝のNHKニュースでもやってましたが、中環天星碼頭というと思い出すのが『香車美人』で葛蘭と張揚が待ち合わせをするシーン。
この映画でも観ながら往時の中環天星碼頭でも偲ぼうと思っていたら、誰かに貸したまま返って来ていないのかVCDが見当たりません。

(業務連絡:せんきちから『香車美人』のVCDを借りた方、大至急メールを下さい)

仕方なく(でもないけど)、次善の策として『東京ギャング対香港ギャング』のビデオを引っ張り出してきて鑑賞。
この映画は、高倉健と内田良平を乗せたスターフェリーが中環に着くところから始まります。

というわけで、風邪が治るまでしばしのご猶予を。

付記:日比谷パークビルと言えばアメリカン・ファーマシー。が、ここってトモズと同系列だったのね。知らなんだ。

2006年11月8日水曜日

中休み:越後のもみぢ

〔しようもない日常〕

クマったなあ。

今日はちょいと中休み。
週末、母の郷里(新潟・南魚沼)へ行ってきたので、そのお写真でも。

里の方はまだでしたが、山の方は紅葉がたけなわ。
越後の短い秋を満喫いたしました。
この後、長い雪の季節に入る・・・・はずなのですが、今年はいつまでも暖かいので、雪が降り始めるのは例年よりも遅くなることでしょう。

母の実家近辺。
田んぼしかありません。


とあるダム湖の奥に位置する渓谷を散策。
落石覚悟で奥へと分け入ると、紅葉と滝が眼前に。


青い空、白い雲、薄の穂、そして紅葉。


淋しき停車場。


散策後は、山間の温泉宿に荷を解きました。

温泉のある村は、祖父(父方)の故郷。
祖父は昭和12年(1937)に中国で戦死しましたが、土しか帰ってこなかったそうです。
日中戦争が勃発した昭和12年の時点で既にお骨が帰ってこなかったというのは驚きという他ありませんが、おじいちゃんは文字通り「中国の土」になったのでした。

どこに眠っているのやら。

2006年11月3日金曜日

アフリカの熱帯雨林にゐました (その弐)

〔しようもない日常〕

日光に空港はありません(ロケ地:新宿)。

台湾から友人がやって来るというので、「温泉に行きたい」という彼女のため情報収集にせっせと励んでいたら、「ここもいいわ」「あら、ここも捨てがたいわね」と迷い始めて袋小路に。
たかが温泉宿1軒探すのに、へとへとになっております。

では続き。

10月26日(木)

『八月的故事(八月的故事)』
2006年、香港。麥婉欣監督。田原、藤岡竜雄、張詠恩主演。

香港電台製作のテレビ用作品(30分枠)の拡大版(62分)。
テレビで放映された分は、こちらで観ることが出来ます。
せんきち的には王菲の『紅豆』に尽きるかな、これ。
後ほど30分の方も観て、どこがどう増えているのかを確認してみようと思いますけど、大人になってからの3人というのは蛇足の感あり。
ディーン・セキ、じゃなくて、ディーン藤岡(なんだかデューク東郷のぱっちもんみたいだ)は、杭州から修業にやって来た青年で、ゆえに広東語がちょっとおかしいという設定になってましたが、北京語もけっこう癖があるので、ま、杭州あたりが妥当な線でしょう。
田原の広東語が変なのは、あれは、どういう原因になってたんでしょうか。
田原の稼ぎの悪いお父ちゃん役で葛民輝が出てました(プロデュースも)。

(於:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン1)

『父子(父子)』
2006年、香港。譚家明監督。郭富城、楊采妮主演。

父子共依存映画。
ろくでなしのお父ちゃんにどこまでもついて行く哀れな息子は、きっと「僕がしっかりしなくちゃ。お父ちゃんが仕事をするようになれば、きっとお母ちゃんも帰ってきてくれる」とけなげに思ったんでしょうけれど、一緒にいたら駄目になって行くだけの関係なんだよ、あんたたちは。
さすがに耐えられなくなって家出したお母ちゃんの許を訪ねていくと、お母ちゃんは別の男(アーロン二役。なんだかんだいっても、似たような男を好きになるってことなんだろか)と再婚してお腹にはその男との子供が。
おまけに甘えて泣く息子に向かって、お母ちゃんは「お腹に子供がいるから」と最後通告。
終盤、息子がお父ちゃんに向かって言う「ママは僕を捨てたんじゃない。パパを捨てたんだ」という台詞は、自分に言い聞かせるためのものだったんでしょう。

私の父親もこのお父ちゃんと似たようなもんで(泥棒しろとは言われなかったが)、ろくでなしの大バカ男でしたが(まだ生きているので父子バトルは現在進行形)、それだけにあのオチには釈然としないものが残りました。
あれじゃ息子が可哀相過ぎるし、言っちゃあなんだがああいう人間は根っこまで腐ってるから、どこまで行っても更生することなんかないと思うよ(多分にうちの親父を基準に考えております)。
それでも父親の姿を見届けたい息子の気持ちは、徳光さんに聞いてみないとわかんないなあ。

いつもながら場末臭プンプン(褒めてるのよ)の秦海璐と、映画初出演ながらどこにでもいるふつーのオバサンをごく自然に演じていた許茹芸といった脇役陣が印象に残りました。
特に許茹芸なんか、ティーチインのときにわざわざ「自分は台湾の歌手で」とか自己紹介してたよ。
知らない人が観てマレーシアのおばさん華人女優と思われるのを恐れたんだろうか。

どうにもやりきれない映画ではありましたが、映像はものごっつう綺麗でした。
余計やりきれないな。

(於:シアターコクーン)

(つづく)