一昨日は228事件から60年の日でした。
ごぶさたしております。
おかげさまで松葉杖を卒業、直立二足歩行の訓練を始めたせんきちですが、この数日というもの、花粉症がひどくて、
身も心もボロボロ
になっておりました。
せんきちがボロボロになっている間にも、「似非『無間道』がオスカー受賞」というツッコミどころ満載のニュースが飛び込んでまいりましたが、これはもうすでに多くの方がお取り上げになっておりますので、今さらわたくしのような者が言及するまでもないこと。
むしろ「ムダ毛研究家」のせんきちとしては、「おふくろさん騒動」の当事者である、
川内康範センセイの耳毛
に大注目しております。
初めて見たときは「変わったモミアゲ」かと思ったよ。
聞くところによると、センセイは青森県にお住まいとのことですので、寒冷地においては防寒の見地からあのように自然と長ーい耳毛になるのであろうかと、
気候と耳毛の不思議な関係
という新しいテーマについて考えてみる必要性を感じております(うそうそ)。
で。
先月の25日(日)、午後2時からTBS系列でコソーリ放映されたテレビドラマ『たった一度の雪 SAPPORO・1972年』(北海道放送制作)の感想をちょっとだけ。
詳しい内容等に関しては公式サイトをご参照いただくとして、せんきち的にはメインのストーリーよりも陳柏霖演じる孫台生の人物造型及び言動に興味を持ちました。
台湾北部の田舎町にある小さな食堂の息子として生まれた台生(名前からして台湾の申し子のようだ)は、かつての統治者である日本及び日本人に対して屈折した感情を持つと同時に、蒋介石と国民政府に対する憎悪も人一倍強いという本省人(鶴〔福〕佬人)の若者。
彼の父は、国民政府による北京語強制に反発して日本語で押し通したため警察に捕まったという過去を持っています。
劇中、台生は聖子娘演じるヒロイン相手に蒋介石&国民政府に対する憎しみや、台湾人は自分たちの国を持ったことがない(国民政府はあくまで外来政権)といった心情を吐露するのですが、今ならともかく当時そんなにあからさまに政治批判をして大丈夫だったのだろうかと、観ていてハラハラしてしまいましたよ。
いくら蒋介石が憎いといっても、その憎むべき総統の命に従って札幌に送り込まれたのですから、密告されたらどーするよ?という心配ばかりが先に立ち・・・・。
ラスト、35年後のヒロイン(戸田恵子)が台生を訪ねると、台生にクリソツの息子(陳二役)がやって来て「父も母も亡くなりました」と言うのですが、2人の死の原因が明らかにされないため、せんきちの頭の中では
台生は札幌での言動を密告されたか、あるいはその後民主化運動に身を投じたせいで緑島に送られ、獄中での無理が祟って若死、残された妻は夫の意志を継いで政治活動を開始するも、選挙中に謎の自動車によってひき逃げされて死亡。
という勝手な妄想が渦巻いてしまいました。
ある意味、この孫台生なる人物は1972年というよりも、近年の本土化した台湾を投影した人物、ということができそうです。
また、台湾側の撮影協力が民視だったことも、台生の人物造型に大きく関係しているのではないかと思います。
台視や中視や華視じゃ、こうはならなかったかも。
お知らせ:今週末、またぞろ台湾の友人が来日するため、来週一杯はその接待に忙殺されそうです(というか、そうなるに決まってるんだけど)。てなわけで、またしばらくお休みするかも知れません。あしからず、ご了承下さい。
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