2010年2月6日土曜日

『長い鼻』と『神秘の国インド』

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕
 

どうも。
トド@午後3時から飲み続けて悪酔いしましたです。

さて。

先日、国会図書館で本業(といっても開店休業状態)のお調べ物の合間に『キネマ旬報ベストテン全集 1946-1959』(2000年、キネマ旬報社)をパラパラと捲っていたところ、1958年の公開作品リストにある『長い鼻』と『神秘の国インド』の製作に永田雅一と邵逸夫(ランラン・ショウ)の名前が並んでいるのを発見、その調査の途中経過を以下にご報告するだす。

『長い鼻』と『神秘の国インド』は1958年5月14日から大映系劇場及び日比谷みゆき座で公開された映画で、監督(『神秘の国インド』では構成)はあの『海魔陸を行く』(原作)や『白い山脈』(監督)を手がけた動物映画の巨匠(?)・今村貞雄が務めています。

前記2本の内、『長い鼻』は今村監督が『白い山脈』の後にメガホンを取った作品で、新聞広告によれば、

世界で最初の長篇動物劇映画

との由。

たしかに、当時『キネマ旬報』に掲載されたあらすじを読むと、ある象の一家の物語らしいのですが、『白い山脈』で危ない演出満載の映像を繰り出した今村監督のこと、おそらくこの映画でもやりたい放題の自由な演出をしたであろうことは、想像に難くありません(注1)。
事実、インドロケの模様を伝える1958年2月13日付『読売新聞』(夕刊)では、


…インドの道路には白地に黒文字の道標が実に整然と立てられていますが、密林に入ると逆に黒字の角石に白文字のものです。不思議に思って調べたところゾウは白色を見ると興奮して、けたおしてしまうのだそうです。私はしめたと思い、撮影中木の上から白布を垂らしてゾウをおびきよせましたが彼等の方が利口なのでしょう。一度も攻撃してくれませんでした。(以下略)


という演出上の失敗談を披露、さらには主役のゾウ君たち&調教師と思しき人々と今村監督以下メインスタッフが仲良く写った集合写真も掲載されています。

・・・いいんだよね、劇映画なんだし、ドキュメンタリーじゃないんだからさ(と、自分に言い聞かせる)。

それでは、何ゆえに上記2作品に邵逸夫がイッチョカミしているのか、その理由ですが、以下は不肖せんきちの全くの想像による考察。

大映傘下の生物映画研究所で製作した『白い山脈』がカンヌ映画祭で賞を獲得するという大成功を収めた今村貞雄監督、「今度はいっちょ海外の動物映画でも作るべえ」と考えて永田雅一におねだりしたものの、ネックになったのは撮影資金をどうするかということ。
何しろ人間様の劇映画とは違いますから、撮影期間もそれなりにかかります(注2)。
おまけに当時は、外貨の持ち出し制限もあったはずです。
と、そこへ助け舟を出した(のか永田雅一が頼ったのかは定かではありませんが)のが、邵氏の総帥・邵逸夫。
「なんだ、そんなこと。僕に任せてよ。資金なら都合してあげるから。ただし、香港や東南アジアの配給権はうちに頂戴ね。ついでに共同製作者ってことにしておいてくれるといいなあ」
とか何とか言って、鼻、じゃなくて、首を突っ込んできたのではないか…と思います(注3)。


一方、『神秘の国インド』は『長い鼻』の撮影と同時進行で製作されたドキュメンタリー映画ですが、新聞広告には、


見たこともない不思議な出来事!神秘な伝説!古いインドと新しいインドの珍しい風物を描いて興味深々!


とあり、これまたなんとなーくいかがわしい雰囲気が漂っています。

ちなみに、この2作品、『邵氏電影初探』(2003年、香港電影資料館)巻末の作品リストにはもちろん載っておりませんし、今のところ、日港合作なのか否かに関しては不明なのですが、『楊貴妃』以外にも永田雅一と邵逸夫がタッグを組んだ作品があった、ということは紛れもない事実です。

最後にもう一つ書き添えておくと、2作品とも、

文部省選定

のありがたーいお墨付きを得ていました(この他、「優秀映画鑑賞会推薦」やら「青少年映画審議会推薦」やら「東京都教育映画等審査会選定」の肩書も)。

うーん、でも、やっぱり、妖しい臭いがぷんぷんするなあ。

注1:今村貞雄監督と『白い山脈』に関しては、鷲谷花さんのブログ(「帰ってきたハナログ」)の中に、詳しい考察があります。
今村貞雄と動物(虐待)映画の系譜
http://d.hatena.ne.jp/hana53/20090310/1236655015
白い山脈(1957)
http://d.hatena.ne.jp/hana53/20090310/1236655016

注2:新聞広告の惹句には「インドの密林に象の群を追って1ヵ年」とありますが、上記『読売新聞』の記事によれば、スタッフは1957年7月に現地入りした後、10月に入ってクランクイン、公開が1958年5月ですから、実際の撮影期間は半年ほどのようです。

注3:1955年、松竹が『亡命記』で香港ロケを行ったさいにも、人的援助は國際(電懋の前身)が行いましたが、資金面での援助は邵逸夫が行ったそうです(『キネマ旬報』1955年3月下旬号による)。

2 件のコメント:

Hana さんのコメント...

鷲谷です。遅ればせですが、拙記事のご紹介ありがとうございます。

文部省は『白い山脈』を選定映画にしてしまったことで、
自然科学の専門家や学会からさんざん抗議されたはずなのに、全然懲りていなかったのか、
というか、文部省の「推薦」や「選定」の教育的効果はやはり果てしなく軽いんですね……、

と、そういうあたりも感慨深く読ませていただきました。

せんきち さんのコメント...

鷲谷さま

わざわざお越し下さり、ありがとうございます。

>文部省の「推薦」や「選定」の教育的効果は
>やはり果てしなく軽いんですね……、

これも「お役所仕事」の悪しき一例なのでしょうか。
日本映画専門チャンネル辺りで放映してもらえないか、一度リクエストしてみます。