〔ちょっとお耳に〕
香港のお友達は大変な高峰秀子贔屓で、怠惰な中年オバサンであるところのせんきちなどは、
お若いのに、奇特な方ねえ。
と感心することしきりなのでありますが、先だっての香港訪問のさいにも、そごう階上にある旭屋書店(ここの旭屋書店は、東京のそれよりもずっと雰囲気がいいですなあ)文庫売り場にて高峰秀子の著書の数々(文春文庫)を紹介したところ、たいへん喜んでお買い上げになっておられました。
そして、帰国後。
旭屋書店になかった高峰秀子の文春文庫本を送ってやるべーと思ったせんきちはさっそく紀伊国屋書店を攻略、ターゲットの1つである『私の梅原龍三郎』を手に取ってぱらぱらとめくってみたところ・・・・
おや?
香港の「大上海飯店」に人気スター・ユーミン嬢を迎えて
というキャプションと共に、尤敏と梅原龍三郎夫妻、高峰秀子・松山善三夫妻がテーブルを囲んでいる写真が載っておりました(「酒豪」の項)。
知らなかったよ・・・・。
本文(「酒豪」「虹彩炎」の項)によれば、1963年春、高峰秀子のお気に入りのレストランであった大上海飯店に尤敏を迎えて食事をしたときに撮られたものであるとの由。
1963年春といえば、松山善三が脚本を書いた映画『ホノルル・東京・香港(香港・東京・夏威夷)』のクランクインの時期にあたり、それも関係しているのかなあと思いましたが、同じく本文(「中国料理」の項)によると、高峰秀子から大上海飯店のなまこが美味しいと聞かされてすっかりその気になった梅原龍三郎がはるばる香港へ出張とあいなった、というのが真相の模様。
ただ、写真では梅原夫妻と松山善三は来賓用みたいな徽章をくっ付けており、プライベートな宴ではなく、東宝の香港支社あたりが一席設けた可能性も捨て切れません。
『國際電影』等を調査すれば、もう少し詳しいことがわかるのかも知れませんが、いずれにしても、尤敏と高峰秀子が知己の間柄だったというのは恥ずかしながら不詳せんきち全く知りませなんだので、香港のお友達に感謝せねばなりません。
どうもありがとう。
おまけ:先日、お仕事関係の宴会にお呼ばれしました。
本当は宴会やパーティーの類が大の苦手でいつも欠席なのですが、うっかり「出ます」と返事をしてしまったため(誘導尋問に引っかかってしまいました)、仕方なく出席。
しかし、極度の人見知りで酒を飲まなければ初対面の人と会話もできない因果な性分ゆえ、ビール、ワイン、ウイスキーを立て続けに飲んでようやく隣席の方との会話が実現しました(写真は、その折のもの)。
が、昼間の宴会だったためすっかりへべれけになり、帰りがけには知人のKさん(いつものKさんです)の職場に押しかけてずいぶんとご迷惑をおかけしました。
ちなみに、『私と梅原龍三郎』の「酒豪」の項には「私は、梅原大人がお酒に酔って乱れたのをみたことがない。こういう人物を本物の酒豪というのだろう」とあります。
ダメ酔っ払いのせんきちは、ひたすら「とほほ」という他ありません。
4 件のコメント:
こんにちは。
高峰秀子とユーミンがねぇ。
あ、でも『ホノルル・東京・香港』の脚本が夫君だから、ありえるかぁ、と納得。
ところでエドワード・ヤンが亡くなったと
せんきちさんの書き込みで知りました。
亡くなるような年齢ではないと思う野ですが、どうしたのでしょうか。
とても残念です。
『ヤンヤン 夏の想い出』、最も好きな映画の一つです。
リネンさん
こんにちわ。
そうなんですよ、尤敏と高峰秀子がねえ。
高峰秀子はプライベートでしょっちゅう香港へ行っていたようです。
松山善三との間に子供ができないのを悩んで、香港のお医者さんに診てもらったこともあったらしいですよ。
楊徳昌監督、結腸癌でした。
7年間、ずっと闘病していたそうです。
『恐怖分子(恐怖份子)を初めて観た時の衝撃は、いまでも忘れられません。
松山善三との間に子供ができないのを悩んで、香港のお医者さんに診てもらったこともあったらしいですよ。
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まっ、そうですか.........
makuranososhiさん
こんにちわ。
たしか、『高峰秀子の捨てられない荷物』にそんなことが書いてあったように記憶しています。
後できちんと確認して見ますね。
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