2007年7月24日火曜日

『香港の夜』ロケ地めぐり in 澳門 (その二)

〔たび〕

義順で軽食。

というわけで、次なる現場は大三巴。
船着場(死語)の自販機で買った冷たい芒果紅茶は、猛暑のせいで既に煮え煮えのどろどろ状態、ゲロ甘のぬるま湯と化しておりましたが、そんなもんでも水分を取らないよりはましと、我慢して飲みながらせんきち探偵は現場へと向かうのでありました。

現場へ到着後、お土産屋でミネラルウォーターを改めて購入、煮えた紅茶とようやくおさらばして調査開始。

澳門名物・大三巴は、『香港の夜(香港之夜)』では2回登場いたします。
1回目は、呉麗紅(尤敏)を追って澳門へやって来た田中(宝田明)が張千里(王引)の家を訪ねた後、麗紅と田中の2人だけで話し合う場面。
2回目は、田中を慕う木村恵子(司葉子)が貿易商の父親(上原謙)にくっ付いて来港したさい(宿泊先は淺水灣酒店)、田中が2人を澳門見物に連れて行く場面。


大三巴(聖ポール天主堂跡)。
丹波哲郎が出てこないか待ってみましたが、
現われませんでした。

1回目の場面で2人が話し合う場所は、モンテの砦(大砲臺)に向かう途中の辺り。
当時は地面が剥き出しの崖でしたが、今は樹木が生い茂って遊歩道もきれいに整備されており、現場周辺からは大三巴を見ることができず。
仕方なく、砦の上から写真撮影。


草ぼうぼう。

遊歩道では、このクソ暑いのにジョギングしてるおっさん達がいました。

無茶すんなよ。

2回目の場面は、田中が木村父子を大三巴に案内していると、そこへ偶然麗紅が通りかかり、恵子は田中の意中の女性が麗紅であることを悟る、という件でありました。


尤敏が現れるのはこの脇道から。



哪吒廟から通じる道。

この後、「せっかくなのでお茶でも」ということになり、田中、麗紅、木村父子の4人で喫茶店に行くことになります(店の外観のみロケ、店内はセット撮影)。
喫茶店の場所はおそらく新馬路と思われますが、現存しているかどうか不明だったのであっさりあきらめ(だって暑かったんだもーん!)、質屋博物館(典當業展示館)を見学。


これは博物館とは別の建物ですが、
やはり昔ながらの質屋建築。

質屋博物館は1917年に開業した質屋・德成按をそのまま博物館としたもので、ここを経営していたのが尤敏の夫である高福球の父・高可寧。
高可寧は質屋を振り出しに、やがてカジノ経営にも乗り出して巨万の富を築くことになります。
だもんで、澳門訪問のさいにはここもぜひ見学していたいと思っていたせんきちなのでありました。

展示スペース自体は意外とこじんまりしており、奥の倉庫は日本の古民家と同じ匂いがしました。
田舎(新潟)の家を思い出したよ。

見学後は、階上の茶芸館で一休みしましたが、その話はまた別の機会に。

澳門ではもう1ヵ所、日本へ帰ることになった田中が麗紅と話す場面がありますが、この場所はわからんかったわ。
ご存知の方がいたら、教えてちょーよ。

最後に、『香港の夜』の日本側スタッフ・キャストの中から、千葉泰樹と司葉子の澳門印象記をご紹介して、今回のロケ地めぐりを終了したいと思います。


マカオは眠ったような町だった。見物といっても、半日も歩けばもう見るものもない。ホテルの自室にとじこもったきり、話し相手もない。ひしひしと孤独を感じ、望郷の思いにかられた。
(千葉泰樹「400字ドラマ マカオの憂愁」より。1961年4月18日付『朝日新聞』夕刊)

香港から三時間半で、マカオの港につく。こんもり茂ったポプラ並木と、クリーム色の家並みが丘の上までつづいている。ねむったような町だ。
中共と川ひとつへだてて、ここはポルトガル領。中世風の城壁の上に、ポルトガルの兵隊が銃をかまえていた。
治安はよくないらしくて、夜はひとり歩きができない。一歩裏町へはいると、トバク場と食べ物やが、やたらと目につく。カエル料理、ヘビ料理。そんな店が中共の旗をたてたり、国府の旗をたてたりして隣り合わせに並んでいるのがおかしかった。
(司葉子「異郷の裏町で」より。『女性自身』1961年4月18日号)

2人とも、澳門を「眠ったような町」と形容しているのが、なんだか奇妙です。


おまけ。


(おしまい)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

せんきちさん、こんにちは。
『香港の夜』の大三巴(1回目)ですが、どうも「ここだ」というところが判然としなくて困りました。木が生い茂って大三巴が全く見えないあたりなんでしょうか。見えないんじゃ、そのあたりかどうか確認もできないし…。もっと下ともっと上で写真を撮りましたが。
宝田明が日本へ帰る前に会う場所は、私もわかりませんでした。

匿名 さんのコメント...

xiaogangさん

こんにちわ。
『香港の夜』のスチールを見ると、大三巴がかなり大きく見えているので、砦に向かう途中でそれほど低くないところ、ということで大まかに木が生い茂っている辺りかと推測しました。
たしかに正確に確認するのは困難ですね。
引用した『女性自身』の記事の中に、司葉子が同じ場所で写っている写真があるのですが、やはりそれを見ても木が生い茂っていた辺りかなあと。
次回はスチール持参で再確認しようと思います。