2007年8月26日日曜日

陳曼玲やら『太極門』やら

〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕

今のところ、陳曼玲の國泰物で
ソフト化されているのはこれのみの模様。
(DVDはこちら、VCDはこちら

どうも。
あせも完治目前のトドです。

ここのところ、検索ワード「陳曼玲」でお越しになる方が多いので、メインサイトにある以外の情報をてきとーに。

これは旧ブログでも取り上げたことがありますが、1963年、陳曼玲が台湾で開催された電懋のオーディション(彼女は台中出身)に合格した時の映像が「国家文化資料庫」にあります(←そちらのリンクで見られないときはこちらからどうぞ)。
このとき彼女と一緒に合格しながら兵役の関係で香港に行くことができずに台湾に残留、しかし、後に台湾が誇る「亞洲影帝」になったのが柯俊雄。
もしも柯俊雄が電懋に加入していたなら、その後の電懋の歴史も少しは違ったものになっていたのではないかとせんきちは思うのですけれど、大げさすぎるでしょうか・・・・。

『レッツゴー!若大将(足球健将)』の香港・澳門ロケは1966年11月に行われました。
一行は11月16日深夜に香港到着、翌朝から早速ロケを開始、10日間の予定で撮影を行いました・・・・って、10日もいて、あんなにおざなりな場面しか出てこないって、どーよ?
ドライブ場面でちょっとだけ景賢里が映るのが、今回の発見でした。
『ホノルル・東京・香港(香港・東京・夏威夷)』で、尤敏の妹が養女に行った先の邸宅もこの景賢里じゃなかろうかとせんきちは思うんですけれど、今ひとつ確信が持てません。

11月17日夜に行われた記者招待会にて。
向かって左から陳曼玲、加山雄三、星由里子。

せんきちが陳曼玲の映画を観たのはもちろんこの作品が初めてでしたけれど、その後、香港で『應召女郎』を観て彼女のチ○コ斬り演技に大変な衝撃を受け(便所で赤ん坊産み逃げ!も、かなり衝撃的だったけど)、以来、

陳曼玲=チ○コ斬り女優

のイメージがせんきちの中で固定化してしまい、そのせいで『レッツゴー!若大将』の彼女なんか物足りなくて物足りなくてしようがないですわ、おほほ。

東宝スタジオにて。
お目付役(?)として一緒に来日した羅蘋と。

あ、そうだ!
通信社社員(『香港の夜』)に始まり、中国育ちの日本人(『最長的一夜』)、日中ハーフ(『香港の白い薔薇』)を経て、ついに生粋の中国人になってしまった宝田明のしゃべる北京語も、よーく聞いてみてね。

ということで、次の話題。

本家Amazonに注文しておいたDVDが届いたので、観ましたよ、『太極門』。

DVD本体も石堅大フューチャー。
樂蒂は隅っこでひっそり。


ちっちぇー!

監督が袁秋楓なので、さぞかしつまんないだろうと思っていたところ、果たしてその期待を裏切らない(?)ぬるーい武侠映画でおました。

物語は、太極門の宝物である金剣・魔鏡及びその秘伝書を巡る争いにまつわるもろもろの出来事・・・・なんですけれど、悪役として大暴れしてくれるはずの石堅が娘(樂蒂)可愛さのあまり途中からいい人になっちゃって、雷震にあっけなく殺されて退場というのはいかにも中途半端。

てなわけで、この映画で一番悪い人は雷震。

でもねえ、なんか、カッコ悪いというか、様になんないのよ。
しかも、前歯がヘン。
『教我如何不想她』のナマ歌同様(?)、イタ過ぎる雷震なのでありました。

で、金劍・魔鏡を使った秘技というのが、魔鏡を使って目くらましをしたところへ金劍をブスリ!という、かなり邪道な技。
しかし、悪いお父ちゃんのせいで盲目になっていた樂蒂にはこの技は通じなかったのでした。
めでたしめでたし。

樂蒂の『めくらのお市』な演技はそれなりに面白かったけれど、同じ盲目演技なら『暗くなるまで待って(Wait Until Dark)』の方がしっくりきたような気もします、彼女の場合。

ジャケットの裏面。
オリジナル予告編がおまけに付いてます。

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