2009年12月22日火曜日

一見鍾申(意味不明) (その1)

〔えいが〕〔ちょっとお耳に〕


どうも。
トド@恥ずかしながら帰って参りますたです。

体調はまだまだ万全ではないのですが、年内に片付けておきたいネタがあるので、そいつを書いてしまいます。

郭南宏監督の『少林寺への道(少林寺十八銅人)』の撮影を台湾へ渡った日本人カメラマン・中條伸太郎(注1)が担当していることは、知っている人なら知っている、知らない人は全く知らない事実ですが、この映画の中で中條カメラマンは「鍾申」という変名を用いています。
これはおそらく、

中條の中

と、

伸太郎の伸

を取り、それぞれの文字に同じ読みの別の漢字(「鍾〔zhong〕」「申〔shen〕」)を当てて作った変名と考えられ、調べてみると、中條カメラマンには他にもこの名義で撮った映画がかなりの本数存在します。

というわけで、今回の調査で判明した鍾申名義の作品に、「日本映画データベース」及び「台灣電影筆記」にある中條カメラマンのフィルモグラフィを加え、この機会に新たな作品リストを作成してみました。
以下が、その作品リストです(太字は鍾申名義の作品・注2)。

(日本での作品)
1965年
『夜の女炎』、『夜のいたずら』
1966年
『女で銭を抱け』、『甘い体臭』、『若い刺激』(ここまで中条伸太郎名義)、『泣かされた女』、『女のふくらみ』、『悲器』、『処女の血脈』

(台湾での作品)
1966年
『霧夜的車站』  
1967年
『青春悲喜曲』、『懷念的人』  
1968年
『藍衣天使』  
1969年
『雨夜花』
1970年
『小飛俠』
1971年
『朱洪武』『甘羅拜相』
1972年
『單刀赴會』(「鍾伸」名義。leecooさんよりご教示頂きました。ありがとうございます) 
1974年
『森山虎』、『少林功夫』『怒れドラゴン(廣東好漢)』
1975年
『少林寺への道(少林寺十八銅人)』『風塵女郎』『小妹(別題:『春花秋月』)』
1976年
『少林寺への道 十八銅人の逆襲(雍正大破十八銅人)』、『孫悟空七十二變』(監督作品)
1977年
『少林寺炎上(火燒少林寺)』『少林寺への道 ラマ僧の復讐(少林叛徒)』『少林兄弟(別題:『湘西、劍火、幽魂』『湘西趕屍』『劍火金羅衣』)』『武林客棧(別題:『亡命客棧』)』、『旋風十八騎』
1978年
『新雨夜花』『十八玉羅漢』
1979年
『戚繼光』
1980年
『古寧頭大戰』『武當二十八奇』
1981年
『美人國』
1982年
『大小濟公』、『酒色財氣』、『終戰後的戰爭』、『人偷人』  
1983年
『午夜蘭花』  
1984年
『東京來的小寡婦』
1986年
『今夜微雨』
1988年
『勾魂黑薔薇』『重犯出擊』
1989年
『野生之旅』(監督作品)
1992年
『末代響馬』
1995年
『邊城皇帝』
製作年不詳
『千里眼順風耳』

次回は、上記作品群の中からいくつか気になったものを取り上げて、少々考察してみることにいたします。

(つづく)

(注1)日本盤ソフトのパッケージや解説等では、なぜか「中条申太郎」となっていますが…。
(注2)「台灣電影筆記」の中條カメラマンのプロフィールには、「手がけた作品は128本ほどある」とありますので、このリストはあくまで作品名が判明したもののみを取り上げています。

4 件のコメント:

leecoo さんのコメント...

せんきち様。お久しぶりです。leecooと申します。
(私を覚えていますでしょうか?)
こちらの鐘申こと中條氏の記事大変興味深く読まさせていただきました。ちなみに太字には何か意味がありますでしょうか?

『少林寺十八銅人』記事も面白いですね。
82年版ではなくてオリジナルの75年版『少林寺十八銅人』では3人のカメラマンの名前があります。(もう一人は陳勝堂となっていました)ご参考までに。
なぜ再編集で1人減ったのか分かりませんが・・。

中條氏ってまだご健在なんですかねぇ?

せんきち さんのコメント...

leecoo様

こんにちは。
いつもブログ拝読しております。
太字の件ですが、作品名のそれは「鍾申」名義で撮っていることがわかっているものに用いています。

カメラマンの名前、ご教示ありがとうございます。
香港盤のDVDを以前観ましたが、そちらは3人の名前になっていましたね。

中條氏は、10年ほど前にお亡くなりになりました。

leecoo さんのコメント...

せんきち様。こんばんは。レスありがとうございました。

>太字の件ですが、作品名のそれは「鍾申」名義で撮っていることがわかっているものに用いています。
そうでしたか。了解しました。
例えば『旋風十八騎』なんかだと本名の松井五三名義なんですね。

あと、71~74年って間が開き過ぎてますよね、
とりあえず72年の『單刀赴會』は鍾伸でした。(微妙に異なりますが。まだ他にもあるかと・・)これは郭監督ですね。

>香港盤のDVDを以前観ましたが、そちらは3人の名前になっていましたね。
香港盤には記載されていましたか。(どうも失礼しました)
あの国内ビデオなんなんでしょ。字が小さ過ぎますよね~。

>中條氏は、10年ほど前にお亡くなりになりました
本当ですか、知らなかったです。とても残念に思います。


これからもせんきちさんのブログを楽しみにしております。

せんきち さんのコメント...

leecoo様

こんにちは。

>71~74年って間が開き過ぎてますよね.

おそらく、72年の日台断交による日本人スタッフ・キャストの禁止が影響していると思うのですが。

>とりあえず72年の『單刀赴會』は鍾伸でした。

ありがとうございます。
加えておきます。
ということは、72年から郭監督とのコンビが始まったことになりますね。