いのちしらず。
どうも。
トド@あったかくなって桜満開と同時にまたぞろ花粉症も満開……です。
さて。
来たる4月4日(土)からシネマヴェーラ渋谷にて開催される特集上映「祝・芸能生活50周年 安藤昇伝説」について、とてつもなく偏った映画ファンであるせんきち的観点による見どころをご紹介。
・『阿片大地 地獄部隊突撃せよ!』ニュープリント上映!!!
以前、旧ブログでも取り上げましたが、ペギー潘こと潘迎紫(ジミー先生の腕をちょん切った命知らずのじゃじゃ馬娘にして今ではアンチエイジング女優)がヒロインに抜擢され、安藤昇先生(こちらも先生)と共演した作品。
戦中派三部作の一作であるばかりでなく、満映OBである加藤泰監督による大陸映画というのも、見どころのひとつであると言えましょう。
もちろん、潘迎紫の初期作品であるという点においても。
せんきちがラピュタ阿佐ヶ谷で観たときには落命寸前のボロボロプリントだったのですけれど、このたび、ニュープリントで復活!、これを記念した山根貞男氏によるトークショーも開催されます(4月4日〔土〕18:00から)。
・湯浅浪男監督作品(『血と掟』『逃亡と掟』)の上映
後に台湾へ渡って彼の地に帰化、湯慕華となった湯浅浪男監督と安藤昇先生が組んだ3作品(『血と掟』『やさぐれの掟』『逃亡と掟』)の内、2作品が上映されます。
『血と掟』は、言わずと知れた安藤昇先生の映画デビュー作。
安藤先生が映画界入りしたいきさつに関しては、『映画俳優 安藤昇』(山口猛、2002年、ワイズ出版)にくわしいので ここでは割愛いたしますが、結論だけ簡単に言うと、映画界入りのきっかけを作ったのが湯浅監督だったという次第。
その後立て続けに3本の映画で湯浅監督と組むことになる安藤先生でしたが、その後は野村芳太郎監督や井上梅次監督、加藤泰監督といった一線の監督と組むことになり、やがて東映へ、という流れになることは周知の通り。
その安藤先生による湯浅監督評が『映画俳優 安藤昇』にありますが、
「湯浅は素人の俺が見ても、ひどい監督だもの。最初こそ俺は初めての体験で分からなかったけれども、映画の仕事を続けていれば分かるわな。俺でさて、これが映画なのかと思ったほどだった。」(96頁)
と、さんざんです。
しかし、その後も湯浅監督と安藤先生の縁は完全に切れたわけではなく、湯浅監督が台湾から一時帰国したさい、ひょっこり安藤先生の許を訪ねてきたことがあるそうです。
「…だけど、 一〇年くらい経って、忘れた頃に(恐らく湯浅がいったん帰国した昭和五〇年だと思われる)俺の家に遊びに来たことがあった。台湾の女優を連れてきて、俺に紹介したが、たいした女優ではなかったな。」(97頁)
台湾女優と共に帰国して、もう一度日本映画界で一旗挙げようとしたのでしょうか、その辺りのことは謎のままです。
ところで、拙ブログでは、これまで湯浅監督に関して何度か詳しく取り上げてまいりました。
以下は、それらの記事の一覧です(別ネタにちょこっと出てくるものも含む)。
朱洪武續集劉伯温傳 (A Story of "Lou Bo-Wen")〔2007年7月11日水曜日〕
湯浅浪男監督超不完全作品リスト(その1)〔2009年2月23日月曜日〕
湯浅浪男監督超不完全作品リスト(その2)〔2009年2月25日水曜日〕
湯浅浪男監督超不完全作品リスト(補遺)〔2009年5月15日金曜日〕
懷念的人〔2009年6月7日日曜日〕
一見鍾申(意味不明)(その2)〔2009年12月25日金曜日〕
一見鍾申(意味不明)(その3)〔2009年12月27日日曜日〕
原びじつかんへ行ってきました〔2011年7月8日金曜日〕
原びじつかんへ再び行ってきました〔2011年8月5日金曜日〕
また、湯浅監督作品で助監督を務め、湯浅監督の台湾での第1作『霧夜的車站』で主役(!)を演じた安藤達己監督(1938~2013)のインタビュー記事(「安藤達己監督インタビュー 幻の日台合作映画のこと、主演映画『霧夜的車站』のこと」)を台湾映画の研究誌『台湾映画 2009』(2009年、東洋思想研究所)に寄稿させて頂きました。
今回の特集上映で取り上げられる作品をご覧になる前に、ぜひともお読み下されば幸いです。
付記:湯浅浪男監督についてここのところ殆どブログで取り上げていなかったので、 「久しぶりに何か書くかー!」と思い、何気なく検索してみたところ、ウィキペディアに湯浅監督の項目ができていることを発見いたしました。
拝読する限りかなり充実した内容で、確認してみると、どうやら昨年(2014年)の8月から9月頃にかけて書かれたものであるようです。
監督の生年及び生地(注1)や台湾での作品リスト等、拙ブログや安藤監督へのインタビューを参考にして下さったと思しき記述も多く、当方の趣味の調べ物が少しでもお役に立ったとしたら嬉しいことだわと思い、注記と参考文献を確認したところ、どうしたことか拙ブログや安藤監督インタビューに関しては全く触れられていませんでした。
無論、「おたくのブログやインタビューは一切読んでいない。あくまで独自に調べたものだ」と言われてしまえばそれまでなのですけれど、少しでもこちらをご覧になっておられたのでしたら、どうかその旨明示して頂きたく存じます。
よろしくお願い申し上げます。
(注1)監督の生年及び生地を明記したのは『安藤達己監督インタビュー』が最初で、武久康高氏の「映画「神童桃太郎」「桃太郎斬七妖」(1970、台湾)について 戦後台湾における「桃太郎」」における記述はこれを踏襲したものです。ちなみに、監督の生年と生地に関しては、『中國時報』の報道にその記載があります。
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