2006年1月17日火曜日

王女と私

〔ちょっとお耳に〕


尤敏ネタのついでに。

東宝の『香港の夜』が大当りした後、大映が尤敏を使って『王女と私』なる映画を撮ろうとしたものの断念したという話は、以前メインサイトでも書きました。
その後、この企画は尤敏の代わりにチャリト(チェリト)・ソリスを起用することになるのですが、雑誌『週刊女性』1961年7月第5週号にはその間の経緯が記されています。


「王女と私」にソリス主演
大映がホンコンの名花ユーミンの主演作品として企画中の「王女と私」が、永田雅一社長のツルの一声でフィリピンのチェリト・ソリスに決まった。
というのは、アジア映画祭の会長で、ユーミンの所属するキャセイ・オーガニゼーションともつきあいのある永田社長は、二年前からユーミンの日本映画出演を計画していたが、東宝が一足おさきに「香港の夜」で売り出したため、彼女の主演で企画した「王女と私」も、東宝への道義上、ユーミンを断念し、かわって「釈迦」に出演したチェリト・ソリスにふりかえたもの。(略)
「王女と私」は、松浦健郎がシナリオを担当し、近く東南アジア各国のシナリオ・ハンティングに出発するが、東南アジアのある国の王女が、ホンコン-東京を訪問し、その取材に派遣された日本人記者と恋におちるという、「ローマの休日」の"東南アジア版"である。
ソリスの相手役の日本人記者には、「釈迦」ですっかり意気投合した本郷功次郎が出演を予定されている。


「東南アジアのある国の王女が、ホンコン-東京を訪問し、その取材に派遣された日本人記者と恋におちる」とは、なんだか冴えないストーリーですが、『香港の夜』だって「『慕情』の翻案プラス『東京-香港蜜月旅行』の趣向(日中ハーフ女性が生き別れた日本人の親を探し、これに日本人記者が協力)」でしたから、ま、お互い様の企画でしょう。

上記の報道を見る限り、「尤敏の代わりにチャリト・ソリス」というキャスティングは、いかにもすんなり決まったかのように思えますが、中華圏の報道に目を通すと王女役の候補としてもう1人香港のビッグネームが登場しています。

1961年8月24日付『聯合報』には、


香港邵氏公司の責任者・邵逸夫は今月20日東京へ飛び、『江山美人』の日本での上映手配の他、大映の永田雅一と合作映画に関する会談を行う。両者はすでに香港を舞台にした映画『王女と私』の製作に合意しており、李麗華が王女を演じることになるだろう。脚本は大映の松浦健郎が執筆中で、9月か10月にクランクイン予定。(超訳)


とあり、李麗華が王女を演じることを示唆しています。
でも、李麗華と本郷功次郎じゃねえ・・・・。
釣り合いが取れないと思うんですけど。

邵氏もその点に難色を示したのか、けっきょく李麗華が王女を演じる案はボツとなり、邵氏は「香港ロケに協力するだけ」ということに落ち着いて、その結果生まれたのが1962年の映画『熱砂の月』でした。
ストーリー自体も、王女と記者の恋から王女と科学者の恋に変わっています。

大映との合作計画が頓挫した邵氏は、同じ時期に東映との合作も模索しており(二股かけてたのね)、こちらは1962年2月に『香港旅情』の製作発表にこぎつけますが、しかし、これも樂蒂のおめでたによって全てがパーになってしまったのでした。

つくづく合作運がなかったのね、邵氏って。

付記:李麗華は、それ以前にも東宝が新華との合作映画で主演女優に起用する予定があったそうですが、張善琨の死でおじゃんになったようです。

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