2006年8月23日水曜日

誰敢惹我 (Who Dare Challenge Me)

〔えいが〕

こんなんで母親やってまーす

1981年、台湾(陽光)。楊家雲監督。楊惠姍(珊)、姜厚任、李小飛、華方、王俠、應采靈主演。

またまた懲りずに帰ってきた台湾黒電影(前回の特集はこちら)。

黒社会の女ボス・夏紅塵(楊惠姍)は、ひょんなことから今しがた人を殺したばかりだという少女(華方)の逃亡に手を貸すことになりますが、少女の言動が気に入らず、途中で彼女を車から降ろします。
しかし、車中に残された少女のIDカードから、彼女が実は自分の生き別れになった娘・丹丹であることを知ります。
手下に命じて丹丹を探し出させた紅塵は、養父母を亡くしたという丹丹を引き取り、一緒に暮らし始めますが、丹丹の背後には驚くべき陰謀(それほど大したことじゃないんだけどさ)が隠されていたのでした・・・・。

紅塵は当年とって30歳の女ボス。
14歳(!)の時に娘を産んだというムチャクチャな設定ですが、その経緯がまたすごいんだわ。

紅塵の養父が博打狂いで、賭ける金がなくなったため代わりに当時14歳の紅塵(三つ編みのお下げ髪に白いワンピースという無理やり過ぎるいでたちの楊惠姍が登場。でもメイクはいつもおんなじ)を差し出し、賭けに勝った王俠(役名失念)は彼女を18歳だと勘違いして(そりゃあの見た目じゃ勘違いするよ)「いただきマンモスごちそうサマンサ(死語)」してしまい、その結果生まれたのが(命中率極高)丹丹だったとさ。めでたしめでたし(めでたくないわ!)。

で、しばらくは丹丹と幸せに暮らしていた紅塵でしたが、養父が勝手に丹丹を人手に渡し、そんなこんなでグレちゃった紅塵は黒社会に足を踏み入れたのだそうな。

映画はこの後、丹丹と再会して同居を始めた紅塵にありとあらゆる災難が降りかかることになるんですけど、敵対するボスである黒鬍子が縄張り争いから丹丹を拉致する場面では、なぜか拉致監禁の場所が

牛小屋

だったため、本来ならば緊迫するであろう両者のやり取りの合間に

ンモ~、ンモ~

というのどかな鳴き声が響き渡り、なんだか牧歌的でさえありました。

また、丹丹が実は偽物だったとわかったことから始まる一連の事件もなんだか飛躍しすぎていて、14歳の楊惠姍同様無理やり感は否めず・・・・。
これだけ黒社会のあれこれを描いていながら、根っからの悪人がほとんど出てこないのも、ちょっと甘い気が。

ところで、この映画の製作会社である陽光は、本作の監督・楊家雲と作家・玄小佛が1979年に興した会社で、この映画の原作・脚本も玄小佛が担当しています。
玄小佛は瓊瑤の少し後に現われたやはり愛情小説を得意とする女流作家で、以前こちらで取り上げた『白屋之戀』も彼女の作品です。
それゆえ、陽光もその初期にはいわゆる愛情文芸映画を撮っていたようで、本作からいわゆる黒電影に手を染めたようなのですが、玄小佛自体は愛情小説の作家だったせいか、この映画の特に後半は愛情文芸映画のテイストがかなり残存しているような雰囲気がありました。
つまり、愛情文芸映画の残り香漂う黒電影とでも言うのでしょうか、そんな映画でおました。

ちなみに、この映画が製作された1981年に陽光は解散しているようですが、黒電影に突っ走る楊家雲と愛情文芸映画に未練を残す玄小佛との意見の不一致(せんきちの勝手な推定だけど)が、その背景にはあったのかも知れません。

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