〔ちょっとお耳に〕〔えいが〕
どうも。
トド@生活に追われてますです。
今日、新聞を読んでいたら、下記のようなシンポジウムの紹介が掲載されていますた。
放送文化基金設立35周年事業
国際シンポジウム「テレビがつなぐ東アジアの市民~交流から対話に向けて~」
詳しい内容はこちらをご参照頂くとして、一般参加可能(要申し込み)とはいいながら、7月17日(金)という平日昼間のシンポジウムですので、例によって(言い方は悪いけれど)普通のお勤め人の事情は全く無視な催しのようです。
それと、これも例によってなのか、パネリストの顔ぶれを見る限り、日中韓3カ国の輪から台湾は仲間外れにされているようですね。
あるいは、「中」の中に「台」も含まれている、ということなのでしょうか。
ま、何はともあれ、興味とお時間のある方は参加なさってみてはいかがでしょう。
さて。
先だって易文監督に関する記事を書いたさい、うっかり書き漏らしてしまったことがあったので、ちょっこし補足を。
先の記事でも触れた『櫻都艶跡』の日本ロケの折、李麗華の特別通訳を務めたのは、俳優の伊豆肇でした。
1955年4月7日付『読売新聞』夕刊にはその辺りの事情について、
…日本ロケに当っては、藤本プロが協力しているが、李麗華の特設通訳の役は東亜同文書院出身で戦時中七年間も大陸で送った伊豆肇が進んでひきうけ、演技の相談はもちろん、衣装、カツラの世話まで伊豆肇が手伝っている。しかし東宝撮影所で日本の着物を着た彼女から腰ヒモが痛いがどうしたらラクになるかと相談されたが、これにはどう答えていいかわからずにひと汗かいたという。
とあります。
たしかに、女性であれば腰紐に関するアドバイスもできるでしょうが、男性ですと難しいでしょうなあ。
それに、変に緩くしてしまうと今度は着崩れる心配もありますし。
ところで、引用した記事では伊豆肇のことを「東亜同文書院出身」としていますが、実際には「北京大学出身」のようです。
彼がもう少し若かったら(1917年生)、あるいは日港合作映画の主役に起用されていたかも……知れません。
4 件のコメント:
はじめまして。
真珠郎と申します。
伊豆肇つながりで覗きにきました。
「李麗華」来日時の通訳については、伊豆肇によるルポ記事が「映画ファン」(S30・7月号)に載っていました。
小生、伊豆肇のファンで、伊豆肇の出演作を中心としたblogを立ち上げております。興味がありましたらご覧くださいませ。
真珠郎さん
はじめまして。
「映画ファン」のこと、ご教示下さりありがとうございます。
真珠郎さんのブログ、拝読しております。
今後ともよろしくお願いいたします。
「映画ファン」誌における伊豆肇ルポをブログにアップしましたので、良かったらご覧ください。
伊豆肇が手伝うことになった背景などの詳細は記されてなく、消化不良になるかもしれません。
せんきちさんの記事によれば藤本プロが協力ということで、当時、専属俳優であった伊豆が充てられたのはうなずけられますね。
真珠郎さん
ありがとうございます。
拝読しました。
『櫻都艶跡』を製作した新華のオーナー(張善琨)は、親友である川喜多長政を頼って日本で撮影を行っていたので、その繋がりで藤本プロないしは東宝が製作協力していたもののようです。
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