2005年5月29日日曜日

萬博追蹤

〔えいが〕

1970年、台湾(中影)。廖祥雄監督。翁倩玉、馮海、魏蘇主演。

愛・地球博」開催記念企画(ウソ)。
翁倩玉(ジュディ・オング。以下、ジュディさんと記します)主演の大阪万博ロケ映画(英文タイトル不詳)。

日本育ちの中国人・林雪子(ジュディさん)は、大阪万博の中華民国パビリオンのコンパニオンに選ばれたのを期に、今まで素性を明かさずに学費を援助してくれた台湾に住むという恩人・陳春木を探す決意をします。
パビリオンに来場した台湾人から陳の妹が神戸に住んでいると聞いた雪子は妹を訪ねますが、妹は、陳は別の人に頼まれて送金をしているだけだ、と説明します。
その後、雪子は陳が奈良に住む山崎という日本人から頼まれたということを知り、山崎に会うものの、山崎も他の誰かから頼まれているとだけ話し、しかし、それが誰なのかについては頑として口をつぐんだまま、姿を消してしまいます。
雪子は彼女を追って大阪にやって来たボーイフレンドの藤本哲男(馮海)の助けを得て山崎を探しますが、哲男の父(魏蘇)が倒れたという知らせを受けて、急遽東京へ戻ります。
死の床にある哲男の父を雪子と母が見舞いに訪れると、そこへやって来たのは、なんと山崎その人でした。
そして、山崎と哲男の父から、雪子の恩人に関する驚くべき真相が語られるのでした・・・・。

戦時中、1人の中国人(雪子の父)を殺した日本人(哲男の父)が、その罪を心から悔い、彼の未亡人と娘に対して自分の素性を隠したまま援助を続けていた、というのがこの映画のオチなのですが、そのきっかけとなるのが蒋介石の「徳を以って怨に報いる(以徳報怨)」だったというところが、いかにもと言えばいかにもであります。
ただ、終戦当時、この言葉に感銘を受けた日本人は多く、戦後、国府軍の捕虜として集団生活を送った経験を持つ市川潔氏の『台湾の旅 鉄道と温泉をたずねて』(1979年、りくえつ)にも、

兵隊は中国大陸で、蒋介石総統の「以徳報怨」の政策のお陰で、無事に復員することができた。

と、書かれています。
ま、今では「うへっ!結局は国民党のプロパガンダかよ!」で、おしまいなのですけれど。

ラスト、哲男の父は雪子に自分の拳銃を渡して父の仇を討つよう促しますが(銃刀法違反!)、雪子は哲男の父を赦し、日本人は再び偉大なる中華民族の「以徳報怨」の精神に触れるという駄目押しまであります。

とはいうもののこの映画、「蒋介石万歳!」な上記の展開もかなり控えめな描写に徹しており、それは監督が本省人であることと、スタッフに日本人が加わっていること等が関係しているのかなとも思いました。
日本人役の服装や風俗考証も、やたらに和服の人が多い他は比較的きちんとしていました。
戦後、山崎と藤本がなぜか和服に番傘を差して東京の街をそぞろ歩くという「仁侠映画」と見紛う場面には、さすがに苦笑しましたけど。

劇中のジュディさんは芸能活動をしながら学業に励む華僑という設定らしく(詳しい説明がないもんで)、映画の冒頭10分間ぐらいはジュディさんの歌って踊ってショウタイムでした。

それから万博ロケですが、雪子と哲男が山崎を探す場面で、会場内をロングショットでだらだらと映し出しているだけ(常にBGM入り)、というのはいかにももったいない気がしました(中華民国パビリオンの中も少ししか出てきません)。
『ガメラ対大魔獣ジャイガー』のように各パビリオンの紹介を織り込んだ方が、やはりよかったのではないかと。
見物客でごった返す会場内の映像というのも、今となっては貴重かも知れませんが。
また、神戸や奈良のロケ場面も、港は映らないわ、同じような場所&もの(二月堂、奈良公園の鹿)ばかり映るわで、かなりもったいなかったです。
その割には、「北海道へ行った山崎を追って、雪子と哲男は雪の北海道へ」という強引な力技を繰り出し、観客の嗜好(雪が珍しい)に即した撮影も行っています。

最後にもう一つ。
途中、林海峯(この林海峰じゃなくて)が無理矢理ゲスト出演していました。
囲碁ファンの方も、ぜひ。

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