2011年2月1日火曜日

セックスドキュメント 性倒錯の世界

〔えいが〕

むかーし東郷健さんが都知事選挙か何かに出た時、
選挙公報に「掘って掘って掘って地球の裏まで掘って」とか
書いてあったのを読んで驚愕したことを思い出します。

1971年、東映京都。中島貞夫監督。ナレーション:西村晃。

『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』に始まる、いわゆる「東映セックスドキュメント」の第3作(←リンク先のあらすじ、全くあてになりませんので念のため〔『家畜人ヤプー』が『家畜人プヤー』になってるし〕。ちなみに以前書いた『にっぽん~』のヘタレ感想文はこちら)。
『にっぽん~』がゼロ次元からブルーフィルムまで、さまざまな事象を取り上げていたのに対し、本作品では対象を同性愛(服装倒錯含む)とSM(刺青含む)に特化、前半で同性愛、後半でSMを取り上げています。

まず前半の同性愛に関する部分。
男性同性愛が東郷健、銀座ローズといった特異なキャラクターを持った人物を得てなかなか興味深い仕上がりになっているのに対し、女性同性愛については監督自身気乗りがしなかったのか、銀座ローズの弟のような妹である静子(おなべ)や轟竜子(裸で大蛇と絡むショーに出演)への取材は通り一遍で、後は延々と女性同士の絡みを映し出すことに終始していました。
まあ、これはおそらく東郷健の絡み(バックに「笛吹童子」が流れます。秀逸)を観た観客から出るであろう「男の汚ねえケツばっかり映してないで、もっと女のハダカを見せろや!」という声に応えるものなのかもしれませんけれど、監督にもうちょっと気合が入っていたらたぶん当時だと桐かほる辺りにアタックしていたのではないかと思われ、その点、物足りなさが残りました。
ところで、現在では一口に同性愛といってもそのあり方には様々な形があるということが知られていますが、銀座ローズや「女になりたい」と言って整形手術(二重瞼、豊胸)を行う少年(東郷健の店の従業員)は性同一性障害だと容易に推察できるものの、東郷健の立ち位置がわたくしには今ひとつよくわかりませんでした。この世から全ての差別をなくそうと必死になっている姿は、よくわかりましたけれど。

後半のSMに関する部分は、まず伊藤晴雨の責め絵から。
晴雨のさまざまな責め絵(美しい)を取り上げながら、これらの絵に関して団鬼六と辻村隆が見解を述べ、続いてサディスト・辻村隆の紹介に移ります。
辻村隆は石井輝男の異常性愛路線映画で緊縛指導を務めた人物として有名ですが、自宅の庭で孫をあやす姿と、自室で緊縛写真をアルバムに整理したりハメ撮りフィルムを鑑賞する姿にそう落差がないことに驚きを禁じえませんでした(注)。
その後梯子に逆さ磔にした女性を的にしてダーツをするというこれまた驚くべきプレイが登場しますが、手元の『奇譚クラブ』1968年11月号所収の辻村の連載記事「SMカメラハント 悦痴(エッチ)な季節」によれば、これはSM愛好家のN氏のアイデアによるものらしく、となると、辻村と一緒に女性を責めていた男性はN氏かも知れません。

※たしかこの辺りに刺青に関する件があったはず…なのですけれど、既に記憶があいまいになっております。

そして締め括りはマゾヒズムですが、この頃『家畜人ヤプー』の映画化に向けて邁進していた監督にとって、一番取り上げたかったのはおそらくこの件だったに違いありません。
不肖せんきちは映画の中でマゾヒズムについて熱く語っている人物(最後は便器になりたい)がてっきり沼正三だと思っていたのですけれど、上映後のトークショーでの監督のお話によれば「沼正三は企画段階でいろいろアドバイスをしてくれたが、映画には登場していない」とのことでした。
ということは、映画の中でさんざんに陵辱されている2人の男性の内の1人(同一人物かも)がコメントも担当していたのでしょうか。

そんなこんなでカオス状態のまま、最後は紅蓮の炎に焼かれる人々に夕陽の映像が被って終了。

あ、そうそう、この手の映画に付きものの知識人のコメントコーナーでは、奈良林祥、戸川昌子、渡辺淳一等が登場していましたが、お約束(?)の菅原通済の出番はなし。

観終わって、なんだか疲れたなあというのが正直なところでした。
観る側にも体力が要りますね、こういうネタって。

注:以前『奇譚クラブ』で読んだところによると、辻村はSMデビュー(?)当時、よちよち歩きの長女を連れて『奇譚クラブ』編集部を訪ねたこともあるらしいので、通常の生活とそういう活動をあんまり区別しない方のようです。

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