2005年10月23日日曜日

映画祭初日

〔しようもない日常〕

映画祭初日。
この日観たのは3本。軽めの感想なんぞを。

『長恨歌(長恨歌)』
2005年、香港。關錦鵬監督。鄭秀文、梁家輝、胡軍主演。

サミーの歌う『香格里拉』は今風でした。

サミー版『嫌われ松子の一生』(ウソ)。

しかし、どうしてこの女性、あれだけ男を惹きつける魅力を持ちながら、あれだけあっさり捨てられちゃうのか。
自分から追いかけるということをしない(変に物分りがいい)人みたいなので、その辺の押しの弱さが敗因(?)なのか。
サミーは、そんな曖昧模糊としたヒロイン像をそれなりによく表現していたと思いますが、彼女を見守る梁家輝の男の情念にこそ心打たれますね、あっしは。

時代背景に関しては暗示するのみの描写が多く、国共内戦のときには窓外で銃撃戦が行われているとか、文革のときには大音響のシュプレヒコールが聴こえるとか、そんな感じでした。

こんなのは、ナシね。

かつて国民党幹部の愛人だったヒロインが、文革のときに吊るし上げを食らわなかったのは、ラッキーだったのか、それともそこは原作でも映画でも敢えて避けたのか、やや疑問が残りました。

そして疑問と言えば、最大の疑問は、なぜこのヒロインは、何度も上海を脱出するチャンスがあったのに(上海に)留まり続けたのか。
彼女にとっての上海とは、一体なんだったのか・・・・。
となると、この映画の主人公は、ヒロインではなく上海そのものということになるのでしょう。
去年の映画祭で上映された『ジャスミンの花開く(茉莉花開)』も、なんだかんだいって上海が主人公の映画でしたし。
ただ、ヒロインと上海の関係性、というか、結びつきみたいなものが今ひとつ感じられなかったのもたしかです。

あ、そうそう、映画の本筋とは全く関係のないことながら、ヒロインの親友(なのか?)で香港へ移住した麗莉が、口を開けば「香港人蔑視発言」をしているのを観て、「こういう考え方が省籍矛盾を生む原因になったんだよなあ」と、嘆かわしい気分(?)になってしまいました。

『飛び魚を待ちながら(等待飛魚)』
2005年、台湾。曾文珍監督。王宏恩(Biung)、Linda主演。


蘭嶼島を仕事で訪れた台北のキャリアガールが、原住民の青年と出会い、やがて彼女の心の中に変化がおきてゆく・・・・というありがちなストーリーながら、そこそこ楽しく観ることが出来ました。
青年の友人たちも、いい味出してます。

ただ、だからなんなの?と言われれば、それまでの気もするのですが。
それに、窓もない家にみんな平気で住んでるのどかな島で財布を盗まれるなんて、ちょっと設定としては無理がありますね(後で種明かしがあるが)。

最後の美容院シャンプー頭脱走事件、できれば島へ着いてもシャンプー頭のままでいてほしかったです。
違う映画になっちゃうけど。

阿妹の歌、ノンクレジットでした。

『月光の下、我思う(月光下、我記得)』
2004年、台湾。林正盛監督。楊貴媚、施易男、林家宇主演。


李昂の小説(『西蓮』)の映画化。
映画の中で特に説明をするわけではないので、主人公たちの小道具、あるいは使用言語からその背景を類推することになるのですが、冒頭、まず初期の何莉莉が表紙の雑誌『今日世界』が映り、これが1960年代の台湾であることが提示されます。

尤敏が表紙の『今日世界』。

夫と離婚した後、女手一つで娘を育てあげた母親(楊貴媚)は、日本の植民地時代に高等教育を受け、日本語と台湾語を話し、部屋には日本画と原節子のポスターを飾り、寝巻きも浴衣、聴く音楽は美空雲雀(ひばり)なのに対して、戦後の国民政府の教育を受けた娘(林家宇)は、北京語と台湾語を話し、香港製の北京語映画を愛し(部屋に置かれた雑誌は、凌波が表紙の『南國電影』。ラジオの傍らには凌波と林黛の写真が飾ってあります)、ジェームス・ディーンのポスターを貼り、『亂世佳人(風と共に去りぬ)』を読み、聴く音楽は台語歌謡と、2人の間にある世代間の断絶がここから垣間見えます。
さらに、いとことの恋に破れた娘が、今度は同僚の外省人教師(施易男)と恋仲になったと知った母親が、娘に対して外省人への悪感情を吐露する、そこには今も台湾が抱えている問題である住民間の断絶(省籍矛盾)が登場します。
また、別れた夫が政治犯(政府の批判をして捕らえられた)として囚監されている緑島の対岸に住む母子の姿には、夫婦間(そして娘)の断絶をも見ることが出来ます。

そういった様々な断絶をはらんだままストーリーは進行するのですが、娘の恋人が緑島へ赴任した後、彼から娘宛に届く熱烈なラブレターを盗み読みした母親が、自分の若き日の恋をそこに重ねあわせ、やがて緑島にいる別れた夫と娘の恋人とを同一化させていく・・・・と、ここからは、天下御免の李昂ワールドが炸裂。

娘を訪ねて緑島からやって来た外省人教師が、母親との会話が成立しないため(母親は北京語ができないし、彼は台湾語ができない)筆談で意思の疎通を図るのも、断絶の象徴の一つといえましょう。

とにかく、楊貴媚なしには成立しなかった映画とだけ申しておきます。

「ラブレターに萌える楊貴媚」という描写は、彼女がハイミスの化学教師を演じた『恋人たちの食卓(飲食男女)』にも出てきますけどね。

残念だったのは、使用権の問題で揉めたせいで、美空ひばりの曲が流せなかったこと。
『黃櫻桃(黄色いサクランボ)』に対抗するひばりの歌とは、はたして・・・・?

付記:こちらに、『月光の下、我思う』のロケ地案内があります。

(VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ スクリーン2、Art Screen)

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