2005年6月30日木曜日

そんなに言うなら行ってやる!

〔ちょっとお耳に〕

27日の記事「行けるもんなら行ってみな!」の続きです。

前回取り上げたKさんの香港旅行が、社用と私用をごっちゃにした代議士の視察旅行(皆が皆、そうじゃないと思うが)みたいなものだったのに対して、今日ご紹介する「女ひとりアイデア冒険旅行 たった500円で東南アジアを回ったH・K子さん(実際の記事では実名)」(『週刊明星』1963年3月24日号)は、お金はないけど知恵と度胸で東南アジアを周遊した若い女性のルポです。

1961年2月、Hさんは台湾の薬品販売業者が募集した現地キャンペーンガールの試験に合格、3ヶ月の契約で台湾へ渡りました。
このとき、彼女の所持金はたったの500円。
台湾では各地の薬局、病院、官庁などを訪問、セールスマンが薬を売り込むその傍らでニコニコ笑っているだけの役を無難にこなし、月2万円のお手当を貰っていましたが、あっという間に3ヶ月が過ぎ、お役御免となりました。

が、そのまま日本へ帰るのももったいないので、東南アジア周遊の旅に出ようと思ったHさんは、台北の日本大使館(日台断交前の話です)へ相談に行くものの、「女1人の旅などもってのホカホカ弁当(言ってないって、そんなダジャレ)」とけんもほろろの応対(日本の在外公館がやっかいごとを嫌うのは、今に始まったことではないのですね)をされたため、現地で知り合った日本の繊維企業の台湾支社長に頼み込み、そこの社員ということにして貰って、ようやく旅行の許可を得たのでした。
事務手続きがクリアーになったら次は旅費とばかり、Hさんは日本から密かに担いできた衣料品(着物、洋服)を闇で台湾のご婦人たちに販売(いいのか?こんなことして)、これで30万円もの売り上げを稼ぎ出しました。

その金を手に、まずは香港へ渡ったHさん、そこから船でサイゴン(ホー・チ・ミン)へ行き、さらに、

サイゴン(ホー・チ・ミン)→シンガポール→ジョホールバル→バンコク→香港

のルートを2週間で回って、5月末に帰国しました。

心配された言葉の問題はカタコトの英語と身振り手振りでなんとかクリアー、危険な体験も「途中、サイゴンで乗った自動車が、べトコンのテロを避けるために180キロのスピードでつっ走ったとき」以外は特になかったそうで(「べトコンのテロ」という記述が、時代を感じさせます)、きわめて快適な旅だったとか。

んー、なんだか度胸ありますね。
この方、今ではどうしてらっしゃるんでしょう。

記事では「自分をグイグイ引っぱっていってくれるような頼もしい男性と結婚したい」と語っていらっしゃいますが、その通りの男性にめぐり合えたのでしょうか。

今さらながら、ご多幸をお祈りします。

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